左翼がサヨクにさよく時 - 4 現代日本に巣食うサヨクの具体例

4.4.1 テレビ媒体を跋扈するサヨク

 他人様のモンダイセーを尊大に指摘する快感の虜となったがサヨクだ。例えば大東亜戦争とか社会に暮らす多くの人々について訳知り顔で。単なる思い上がりと言ってしまえばそれまでだが、なぜこういう人間が増えたのかを考えてみる。
 これは間違いなくテレビや新聞の影響である。他人に訳知り顔で威張るのは実に愉快だ。こういった悪趣味な需要を公的な媒体が満たしている。アタマワルイ系の視聴者がそれの猿マネをしているのだ。言ってみれば子供番組に出てくるヒーローのセリフ「ショッカー!、その子から手を放せ!」を真似る幼児のようなものだ。

 テレビや新聞などの媒体情報を素直に信じ、テレビ解説者(なんじゃこの職業は)があきれ顔で政治家批判する有り様にうんうんうなずくどちらかというと単純な体質の人間。こういった単純系人間の中から、サヨクが生まれる。

 テレビの低俗さを指摘する人間は多い。筆者は別に低俗な文化があっても良いと考える。全ての文化が高尚である必要などない。低俗と言われるテレビ番組に面白いものは多い。というか、筆者は低俗な番組にしか面白いテレビ番組はないとすら言い切る。娯楽の供給はテレビの最も得意とする分野だ。
 誤解のないように記すが、筆者は高尚といわれる文化も同様にあっても良いと考える。深い教養を持つ一部の人間にしか理解できない高度な芸術や文学などがあってもいい。例えば古典文学、能楽などだ。「芸術は一部ブルジョアジーのためのものであってはならず、常に労働者にわかりやすいものであるべき。」などという、キョ−サンシュギな発想にはたたない。

 筆者が懸念するのは、テレビにより高尚で高度な文化が、低俗に引きずり落とされることだ。低能なテレビ解説者によるやたら馬鹿丸出しのコメントなどにより。

テレビ解説者にみるテレビ媒体の低劣さ

 テレビ解説者なるものを出演させ、政治家などについてあきれ顔で説教させる手法が、ここ十年程度流行っている。
 政治はもとより、国防、経済、科学技術、宗教神事司祭、野球やサッカーなどスポーツ、映画や音楽など芸術などあらゆる事柄について、ヌケサクキャスターが訳知り顔でボケ評論。それぞれに詳しい人間から見ると、おおむね目を覆いたくなるようなマヌケ極まりない内容が多い。
 ニュースステーションの久米氏がなぎなたを振るう女学生を見て「掛け声がイアという感じですね。」。アホか。
 アメリカで忍者道場が流行っているという報道のあと、女子アナウンサーが「忍者の心も教えて欲しいものですね。」。バカか。
 これらの文化や現象はテレビ解説者ごときが看破できるような浅はかなものではない。それに無理にコメントしようとするから、こんなアホなことになる。解説をさせるのであるなら、せめてその道に通じた専門家にさせるべきである。
 しかしながら、NHKのテレビコラムのように専門家に淡々と解説させるのみでは視聴率は上がらない。テレビ番組ではある程度の個性のある特定キャラをウリにするのが視聴率向上に有効だ。この結果、視聴者は毎回同じバカ面が奏でるタワゴトを聞かせられるハメになる。

 テレビでは様々な文化が放送されるが、それぞれに詳しい人間が見るとあれは本物ではないと一様に言う。例えば以下のような言い回しで。

「テレビで放送されている○など見ても本当の○の良さが解るわけではない。表面的な○の紹介程度にしかなっていない。本当に理解するには◎だ。」

 ○◎の部分それぞれに、例えば以下の言葉があてはまる。

 ○‥落語 ◎‥寄席に行くべき
 ○‥映画 ◎‥映画館に行くべき
 ○‥ロック ◎‥CDを聞いたりやライブに行くなどするべき
 ○‥クラシック音楽 ◎‥CDを聞いたりや演奏会に行くなどするべき
 ○‥野球 ◎‥野球をやるべき
 ○‥学術 ◎‥長い期間こつこつと学び研究する以外にないの

 これらは全く正論である。むろん政治であっても同様だ。
 筆者はテレビ放送が娯楽の供給に秀でていることを素直に認める。と同時に、テレビや新聞などでは真の教養は身につかない。真の教養とは、例えば茶道なら十年やって身につくかつかないかというものなのだ。
 娯楽の供給こそがテレビの王道であり、その点においてテレビは莫大な文化的貢献をしてきた。逆にそれ以外のいかなる文化的価値もない。

 要はテレビはニセモノなのである。特にニュース番組が。そのニセモノテレビ解説者を信奉し、他人様のモンダイセーを尊大に指摘するニセモノ解説者の口マネをする白痴になってはならないのだ。


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