なぜ日教組のような官公労を禁止する必要があるのか。それは民主制に反する組織だからである。
かつて江戸時代以前においては、民衆は政治参加ができなかった。幕府及び藩の官僚のみにより政治は行われた。浪人、百姓、職人、商人などには政治参加ができなかった。全て役人の手により政治は行われた。
この政治制度では充分に民衆の意向は反映されない。そこで明治維新以後、民衆が選挙により代表者を選び、代表者が政治を行う制度が取り入れられた。民主制である。
民主制とは民衆が選挙により代表者を選び、代表者が政治を行う制度なのである。
こう記すと「んなの、あたりめーだろが。ナニ中学生でも解る民主主義についての講釈をエラソーに垂れてんだよ。」という読者諸氏の声が聞こてきそうだ。ご容赦願いたい。なぜなら、本文は中学生でも解る当たり前の話が通用しない官僚組織に関する記述だからだ。
この民主制という制度に逆らう官僚組織が、明治維新から百年以上たったこの平成の御代においてなお存在する。日教組や全教である。
日教組を支持できるかどうかは、以下の見解により決まる。
政治はお役人様の手により行われるべきだ。愚かな民衆は干渉するべきでない。民衆が代表者を選挙で選び、お役人様に命令する制度、すなわち民主制は間違っている。我々民衆は、お役人様のご指導ご鞭撻にしたがっていればよい。
日教組様は、平和の教えをといて下さる立派な組織だ。その日教組様に国旗国歌を民衆の代表者ごときが押し付けるなど、もってのほかだ。民衆に政治をまかせると、大東亜戦争を評価し始めるなど、ろくなこことはない。日教組様は、愚かな民衆の干渉に負けず、今後とも我々民衆に平和の教えを学校などご指導くだされば良い。
政治は民衆の手により行われるべきだ。役人に民衆の代表者からの命令への拒否など認められない。民衆が代表者を選挙で選び、役人に命令する制度、すなわち民主制は正しい。役人は、民衆の代表者によるご指導ご鞭撻にしたがっていればよい。
日教組は、民衆の代表者の命令に逆らう ろくでもない組織だ。民衆の代表者が国旗国歌を尊べと命令しているのに、これに逆らうなど民主主義に反する暴挙だ。役人に政治をまかせると、民意を逸脱した政治をはじめたり、収賄にふけったり、特にひどい連中ともなると我々民衆の祖先を毀損し始める場合があり、ろくなこことはない。日教組は解散させる必要がある。
筆者は(2)を支持する。
役人は我々民衆に盲従していればいいのである。
筆者が主張する「日教組は民主制に反する組織」という言いぐさに、熱狂的日教組役人やその役人の三下はこう言うだろう。「日教組は民主主義の大切さを頻繁に主張してきた」と。
実はこの言いぐさは正しい。まさに、日教組は民主主義の重要性を頻繁に主張してきた。
しかし、「主張すること」と「行うこと」は異なる。百万回「ミンシュシュギはタイセツデス」などと繰り返したところで、行っていることは完全に民主主義に反する行為であり全く無意味だ。「盗みは悪いことです」などと喚きながら泥棒を行っても、全然無罪にはならないのと同じだ。(サヨクは一般に「ナニを主張した」という言い草で、具体的な行為によって他人に与えた不利益を誤魔化そうとする傾向にある。)
民衆の代表者からの国旗国歌を尊べという命令に逆らう役人は、間違いなく民主制を根底から否定する役人だ。民意をもって政治を行う制度、民主制に反している。民主主義は民主制を肯定する主義主張なので、反民主主義者でもある。
この有り様を組合教師本人はどのようにとらえているだろうか。以下二つの可能性がある。
可能性1:自分たちが民主制を破壊している現状を冷静に認識している。組合教師は職務怠慢や思想活動を正当化するため確信犯的に民主制の形骸化にいそしんでいる。
可能性2:自分たちが民主制を破壊している現状を認識していない。組合教師はマジで自分たちを民主主義の擁護者であると信じている。
筆者は可能性2:に該当する(つまり下級サヨク)と推定する。可能性1:に該当する冷静な組合教師も存在するだろうが、おおむね2:であろうと思う。実は2:の有り様は特に珍しくない。(1:も珍しくないが。)思想であれ宗教であれ、熱狂的な信者が最も教えに反する行為をするという例は多い。
仏陀もキリストも偶像崇拝を否定したという。ひたすら像など拝んでも仕方がないというわけだ。しかし、実際のキリスト教徒も仏教徒も、キリストの像や仏像を拝み偶像崇拝にふけっている。偶像崇拝にふけるという点において、キリスト教徒の牧師や仏教の僧侶が最もキリストや仏陀の教えに反するものと規定できる。逆に、そんなことにふけらない一般人のほうがはるかにキリストや仏陀の教えに近いとも言えよう。
つまり、牧師や僧侶は仏陀やキリストの教えに真っ向から反しながら、キリストや仏陀の偉大さを喧伝しているわけだ。熱狂的な信者が最も教えに反しているという場合の、最も顕著な例である。
ちなみに筆者は、キリスト教徒や仏教徒が、キリストの像や仏像を拝み偶像崇拝にふけることを悪いこととは考えない。むろんキリストや仏陀の教えとは異なるが、教えを単純に絶対視しても無意味だと考える。民衆の需要があるなら、あるがまま満たせば良い。
日教組は民主主義の空念仏を唱えるのみの狂信的民主主義者の集団なのだ。民主主義の形骸化をもたらす輩だ。民主主義の大切さを頻繁に主張してきたのが日教組であり、民主主義を根底から瓦解させることをしてきたのも日教組なのだ。
組合教師が民衆の代表者に従わない現状を正当化する論法に以下のようなものがある。
<我々教師は『科学的真理』を教えている。>→<『科学的真理』は政治には関わり無く絶対である。>→<よって我々教師が教える内容を政府が干渉してはならない。いかなる内容を教ようが教師の勝手である。>
話にならない詭弁だ。例えばこういう主張をする大工と同じである。
<我々大工は『建築学的真理』にもとずいた設計、建築を行っている。>→<『建築学的真理』は顧客の需要に関わり無く絶対である。>→<よって我々大工の仕事を顧客が干渉してはならない。いかなる間取り、部屋数、様式の建築にしようが大工の勝手である。>
こんな馬鹿な大工に仕事を依頼する顧客がいるはずがない。しかし教育界に限ってこういう話にならない詭弁がおうおうに鳴り響く。
民衆の代表者からの命令を無視する行為を正当化する官僚によるこういった詭弁。現在は組合教師の常套句だが、戦前は一部軍人がこの種の詭弁を得意としたという。以下のような。
<憲法には『統帥権条項(天皇は陸海軍を統帥するという条文)』が存在する。>→<よって我々軍人の行為を政府が干渉してはならない。いかなる作戦行動をとろうが軍人の勝手である。>
関東軍などがこの種の詭弁を得意としたといわれる。
組合教師の詭弁より、こちらの詭弁のほうがまだしも筋が通っている。『科学的真理』なるものは組合教師の間でしか通用しない思いこみの結果であり、なんら一般性はない。しかし『統帥権条項』は憲法という明瞭な国家規範の内容であり、官僚が憲法を守るのは一般性のある当然のことだからだ。
現在の組合教師:『科学的真理』をたてに民衆の代表者からの命令を無視する行為を正当化。
戦前の一部軍人:『統帥権条項』をたてに民衆の代表者からの命令を無視する行為を正当化。
民意を無視しその有り様を詭弁で正当化する官僚という点で、現在の組合教師と戦前の一部軍人は同じなのだ。
民主主義を擁護する観点からも、日教組は解散させる必要がある。教育権とか、いかなる詭弁を用いても民主主義を覆すことなどできない。また、してはならない。教育権なるものがあるとするならば、それは日教組など官僚にあるのでなく、民主制社会においては有権者にあるのだ。
もし、官公労が存在する余地があるとするなら、それは待遇面の改善を要求する官公労であろう。民衆はもっと税金を払って我々官僚の給料を増やせとか、もっと税金を払って職場環境を改善しろとかいう要求である。こういった要求が通る通らないは別にして、これは勤労者が出資者(納税者)に行う正当な要求である。
それに対して我々の代表者は「いや、君にそれだけの価値を見出さない。これだけのお金なら出そう。」など提示すれば良い。金額など条件が折り合わないなら、辞めて折り合う職場を探せば良いだけの話だ。
いずれにせよ、納税者(に選ばれた代表者)からの命令内容に逆らう権利など官僚にはない。官僚が民衆の代表者からの命令に従わずに、のほほんとしていられる状況。これは、まぎれもなく日本が民主国家として未完成ということなのだ。
この章で主張していることをまとめると、
前提:
@ 民主制は民意にもとずいて政治を行う政治制度をいう。
@ また、民意にもとずいて政治を行おうという主張を民主主義という。
@ わが国では選挙をもって代表者を選ぶ方式により、民主制を実現している。
@ ところが、官僚の独自組織である日教組は民衆の代表者の命令に従わない。
結論:
@ よって、日教組は民主制に逆らい、民主主義に反する組織である。
@ 民主主義を前提とする政治体制を支持するのであるなら、日教組は否定される。
ということである。
サイクセンセイの常套句と、それへの著者による返事を列記する。
サヨク教師「文部省による国旗国歌を尊べとういう命令や教科書検定制度はコッカケンリョクのオシツケだあ。」
「コッカケンリョクのオシツケ」などと表現すればワルイコトオオみたいな雰囲気がしますね。単にそういう雰囲気がするだけです。オオカミ少年朝日新聞じみた雰囲気プロパカンダに騙されてはいけませんね。
民主制とは民衆の代表者(つまり民主制における国家権力)が様々な政策をあなたがた官僚に押し付ける政治制度なのです。ワルイコトどころか、必要なことなんですよ。民主主義国家では。
逆に江戸時代などは、民衆が官僚に何一つ押し付けることのできない社会体制でした。現代日本は封建制社会ではありません。民主主義体制です。お役人様意識で思い上がってもらっては困ります。
サヨク教師「ボクにはリョーシンのジユウがあるんだあ。やりたくないことは、やらなくてもいいんだあ。」
確かに。辞めてもらっていっこうに構いません。命じられた仕事を「良心に反する」とまで断じるのであるのなら、辞めていただく以外にありません。良心に反する仕事などやる必要はありません。辞めて良心に反しない仕事を探してください。どうしてもやりたくない仕事を無理矢理続けるのは体に良くないですよ。
やりたいことをやるのなら、それは仕事ではありません。やりたいことをやるのは道楽です。道楽は自分の時間に自分のお金で存分になさって下さい。自分がやりたいことをやるのが仕事なのでなく、顧客(教師なら父兄)や出資者(教師なら納税者)がやってもらいたがっていることをやることが仕事なのです。
「ボクは教師をやり続けて国民の皆様が支払った税金をたらふくいただきます。だけど国民(の代表者)からの命令に従うつもりはありませんよ。」などという発想は国民として納税者として認められません。我々国民はあなたがたを雇っているのです。金を払っている雇い主の言うことが聞けないのなら辞めてください。
辞めた瞬間にあなたはコッカケンリョクのオシツケから自由となります。そんなあなたは民間企業で働くといいですね。民間企業ではコッカケンリョクがあなたの仕事内容を押し付けることはありません。
やったあ、リョーシンのジユウが保証される道が見つかりました。良かったですね。これであなたはコッカケンリョクから自由になり、我々納税者国民は無能な官僚への税金支出を減らすことができます。四方万々歳です。あなたより有能な人材はいくらでもいます。早く辞めましょう。
サヨク教師「モンブショーはボクらのキョーイクケンを侵すなあ。」
思い上がってはいけません。教育権なるものがあるとするなら、あなたがたでなく本来我々納税者国民にあるのです。我々納税者国民は国会議員を選び、国会議員は内閣総理大臣を選び、その総理大臣が文部大臣を選んでいるのです。あなたは単に国民から仕事を委託されているだけなのです。
サヨク教師「ヘーワの教えを子供たちに伝えるのは我々の権利であり義務だあ。」
あなたがたの権利や義務はあなたがたを雇っている我々納税者国民が決めます。自分で勝手に決めないで下さい。
サヨク教師「日の丸君が代は、シンリャクのシンポルだあ。」
我々国民は、あなたの意見なんか聞いてないのです。
政治的な意見があるのなら、投票と立候補という手段で反映させるようにしなさい。我々普通の国民と同様に。自分が持っている官僚権力を使って、役人が自分の考えをゴリ押すようなマネなど認められるワケがありませんよ。普通の民主国家で。
サヨク教師「もっと金よこせえ。」
もっと仕事しろ。
とりあえず授業を成り立たせなさい。
仕事中に政治的プロパで遊ぶ有り様や自分の無能や怠慢を、こういう言い訳で正当化する有り様。顧客や出資者(給料を払っている存在)の意向をここまでないがしろにする有り様。顧客や出資者(給料を払っている存在)の祖先を虐殺者強姦者と侮辱する有り様。顧客や出資者(給料を払っている存在)の旗や歌(国旗国歌)を舐めきった有り様。ここまで顧客や出資者(給料を払っている存在=納税者国民)を馬鹿にして給料がもらえる有り様。やりきれないほどに馬鹿げている。
こんな仕事ぶりがまかりとおるのは教師のみである。客に「おまえの祖先は虐殺者だハンセイするべきだ」と説教する飲み屋があったとする。こんな飲み屋に客が集まるはずがない。これと同様のことを行っている学校になぜ子供たちが集まるのかと言うと、国家権力が無理矢理集めているというだけの話だ。なんら組合支配学校そのものや洗脳教師に魅力を感じてのことではない。つまり普通の会社で言う営業の部分を丸ごと国家権力が行っているわけだ(それだけにコッカケンリョクのオーボーとか騒ぐ組合教師は、極楽トンボと言う以外にないのだが)。教師自身は何一つ顧客を意識した営業努力をする必要が無い。だから、顧客を無視し侮辱した仕事ぶりとなる。
こういう組合教師の仕事ぶりは普通の仕事に従事する多くの国民からすると、やれやれいい気なもんだという以外にない。逆に言うとこんな遊びで給料がもらえるのであるなら、志望者が多いのは当然と言うものだ。筆者とてやりたい位だ。
民主制度を真っ向から否定し我々国民に宣戦布告をした狂った教員組織の実態が明らかになった。北海道教職員組合である。
この教職員組合の主張の要点は以下だ。(北海道教職員組合本部住友書記長が産経新聞の取材に答えたもの)
@ 学習指導要領には法的拘束力はなく、教育課程編成上の資料にすぎない。
@ 教育課程の最終的な編成権は、教職員にある。
ここまで明瞭に民衆に対して挑戦したサヨク組合教師を見るのは始めてだ。
要するに↓こういうことだ。
@ 民衆の代表者の指導要領は教職官僚への拘束力はない。民衆の代表者による指導要領を、教員官僚は資料程度に扱えばよい。
@ 教員官僚の業務内容に関する最終的な決定権は、民衆の代表者にはない。教職員官僚にある。民衆の代表者には教職員官僚に命令する権限はない。
自分を江戸時代のお役人様と間違えているのではないか。民主制社会の常識世界からワープしまくりだ。
従来のサヨク教職員組合は、民衆の代表者からの命令を実質的に反故にし続けながらも、表面的には職務命令に従うべきだという建前論に立ってきた。
この教職員組合は、我々国民から教育に関する政治的権力を盗む行為を完全に肯定している。
これは我々国民に対する反逆である。我々国民は、このサヨク教職員組合からの反逆を受けて立つべきだ。
これは、民衆の代表者に従わない行為を肯定する役人(つまり我々民衆の政治権力を盗んでいる役人、盗む行為をぬけぬけと肯定する役人)と、我々民衆との戦いである。そして、民衆の代表者を無視しながら教員の間でハナシアイがあるのでミンシュテキと称する本末転倒なミンシュシュギと、民衆が代表者を選び代表者が政治を行うという真の民主主義との戦いである。
戦い、勝利し彼らを政治権力の場(学校教育現場)から駆逐し、まともな民主制社会を確立しなければならない。
日教組に関するページ
世羅高校が行った、韓国への謝罪修学旅行を報じる産経新聞のWeb記事。
日教組問題を取り扱ったページ。
「O君のお父さんは自衛官です。自衛隊は人を殺すのが仕事です。しかも憲法違反の集団です。みんな、大きくなってもO君のお父さんのようにならないようにしましょう。先生たちは自衛隊や安保をなくすために闘っているのです」などと臆面もなく授業でホザく、たわけた人権侵害鬼畜教師の報告など。