自民党の圧勝に終わった平成十六年衆議院選挙。「敗北した側」にあてはまるサヨクは、自民党や小泉氏を罵倒するよりはむしろ、狂ったような有権者罵倒を繰り返した。はからずもサヨクは衆愚論者の本性を自ら白日のもとにさらした。
実はその狂態にこそ、「サヨクはなぜ支那や北朝鮮のような独裁体制を愛するのか」という問いへの答がある。
有権者を「小泉総理の催眠術」にだまされる愚者と総括する者もいた。民主党の幹部がこの言いまわしをしていた。
似ている言い回しに「小泉劇場」というのもある。有権者を小バカにした言い草だ。有権者を「小泉総理が脚本を執筆し監督し主演をした演劇」に心酔したがゆえに投票した、みたいなイメージで決めつけ政策など眼中に無かったかのように論じている。更に「国民が民主党の体質や主張に賛成できなかったため」とも決して総括しない。
「俺に投票しないヤツは馬鹿」と言わんばかりのいきおいで、有権者への憎しみをあらわにした。
不本意な結果を全部「愚かな国民」のせいにして自らの失敗を決して認めない政治家。こういう政治家は共産主義独裁国家によくいる。大躍進政策の結果生じた大量の餓死を「反動分子」のせいにして文化大革命という大虐殺を行った支那あたりに。
そもそもサヨクが愛してやまない共産主義国家は、徹底した衆愚論の立場に立つ。大衆を、すきあらば搾取しようとたくらむ詐欺師、あるいは搾取にあまんじる愚者のいずれかと決め付け、そういう愚者による愚行を防ぐために「労働者の政権」と称するものによる統制的な支配が必要であるという立場である。まさにそれを実現したのがサヨクが愛する金正日、毛沢東、ポルポト、スターリンらの「指導層」を「愚かな大衆を救うヒーロー」と位置づける独裁体制だ。
言うまでも無いことだが人間の行動の理由は多様である。
投票の理由も同じだ。対象が何党であれ人々が投票する理由は様々である。主張、実行力、容姿、実績、利益、宗教、人種、育ち、学歴、性別など人それぞれに重視する価値は異なる。もちろんどういう価値観で投票するのか、も完全に自由である。人の勝手と言うものだ。
選挙になるとマスコミは必死で勝手に「争点」を喧伝する。選挙後、マスコミが勝手に喧伝した「争点」外の政策を当選した政治家が行うと、「国民はそんな政策を理由に選んだのではない」と勝手に喧伝する場合がある。例えば憲法改正などはその典型例だろう。「自主憲法制定」は自由民主党の結党理念であり基本政策である。民主党も改憲にはふれている。にもかかわらず、自民党や民主党議員による憲法論議を阻むために、こういう勝手な詭弁を使う場合がある。
マスコミは、有権者の「争点」を勝手に捏造するな。選挙にあたって、マスコミ自身がどういう点が争点だと思っているのかを喧伝するのは自由だ。しかしマスコミが喧伝した点を有権者もまた争点にして投票する、または投票したという妄想を前提にして論じるな。勝手に有権者の心の中を作って定義するな。思い上がるな。
マスコミの中でもサヨクがかった連中は特に、大衆の行動を単純な図式にあてはめて十派一からげに衆愚論的見地で論じることを好む。あたかも民衆の心を見通す神にでもなったかのように尊大に威張り大衆の動向を論評したがる。
そもそもサヨクの信奉する戦後体制は、日本国民を徹底的に貶め愚者とみなした神話を前提とする社会体制である。
↓これが戦後体制の前提認識である。
日本国民=身の程知らずにアメリカ様にたてついた愚者。
日本国民=支那を侵略した殺戮者。
日本国民=軍備を持つと何をするかわからない軍備管理能力のない野蛮人。
日本国民=アメリカ様に憲法を与えていただき拝領するのがふさわしい存在、つまり憲法立法権など必要ない奴隷。
日本国民=アメリカ様に「悪い政府首脳」を殺していただくのがふさわしい存在、つまり司法権など必要ない奴隷。
日本国民=アメリカ様に支配していただいて「民主化」した愚者。
戦後体制の神話つまりサヨクの主張は要約するとこういうものだ。
つまり、「愚かな日本国民に主権、政治権力を与えてはいけない」が戦後体制(サヨク)の大前提なのだ。もちろんこれは民主主義の全否定である。当然「「戦後日本は民主化した」は100%嘘ということだ。
読者諸氏の中には「『愚かな日本国民に軍備を与えてはいけない』という発想は、戦後体制の病理として確かにあるけど、国民の政治権力までを全否定する病理はない」と言う人もいるかも知れない。軍備とは国民の政治権力(主権)を守る装備のことだ。国民の政治権力を国民自身が守れないということは、国民に政治権力(主権)が無いということだ。
と、ここまで書けば「サヨクはなぜ支那や北朝鮮のような独裁体制を愛するのか」という問いへの答は理解できただろう。
まさにそれこそが彼らにとって理想的な社会体制だからだ。
そこはまさに「愚者」に政治権力が存在しないサヨクにとっての夢の独裁体制だ。国民に政治権力は一切存在せず、「労働者の政権」と称する存在による命令指導支配恫喝抑圧のみが存在する夢の国。
そこは果たして極楽浄土か?
まさしく極楽浄土である。北朝鮮を見てみたまえ。金一族は食べたいだけ食べ、美女をはべらし、大宮殿で贅沢三昧だ。人々には威張るだけでいい。適当な思い付きの政策を命じておけば、現実の政策の結果はさておき、取り巻きはその政策を声を大にして絶賛してくれる。「偉大な業績」が教科書に載り、でかい銅像が建ち、国民はマスゲームで賞賛をしてくれる。
そんな世の中は、自分が「労働者の政権」の側に立てる思っている人間にとっては、まさに桃源郷ではないか。