イラクで三人組などによる「テロリストによる拘束」騒動がおきた。その背景は様々に推察できる。
可能性1:犯人グループ、「被害者」、家族がグルになった自作自演。
可能性2:犯人グループ、「被害者」がグルになった自作自演であり、家族は事件後にとび入り参加した。
可能性3:犯人グループと「被害者」に面識は無い。
当局は、こういったあらゆる可能性を考慮し犯人逮捕と事件の全容解明を目指し詳細に捜査していくべきだ。もちろん「被害者」が事件解決にあたって全面的に協力するのはあたりまえのことだ。仮に「被害者」が様々な言い訳のもと事情聴取を回避しようとしたなら、全容解明をされたら困る、何かうしろめたいことがあると断じていいだろう。
この騒動のおり「被害者」とされる三人組家族のうち何人かは、一貫して「テロリストの要求どおりに自衛隊はイラクから撤退するべき」と大げさな身振り手振りと表情で訴えづけた。ちなみに「被害者」家族の一人は共産党の関係者である。
こういう「政府はテロリストの要求に従うべき」という主張は、「国民は政治権力をテロリストに献上しろ」という主張のことである。とんでもなく思い上がった主張だ。
そもそも民主主義とは、「選挙などによる民意を背景とした政策実現」を目指したものである。「暴力などによる一部テロリストによる国民への恫喝による政策実現」とは逆だ。それは独裁主義である。
「民主主義(民意による政策実現)を守る」とは、「テロ(暴力恫喝による政策実現)に屈さない」ことであり、「テロリストと戦い国民の主権を奪わせないこと」なのである。
これは実は、赤軍やイスラム原理主義組織などのいわいるテロリストのみならず、部落解放系組織や暴力団や朝鮮人組織などあらゆる暴力的な恫喝集団に対しても言える。こういった連中が正式な手続きにより訴えるのではなく暴力的な恫喝を行政や司法などに行った場合、当局は頑迷堅固に拒否しなければならない。暴力の恫喝にもとづく要求には鉛筆一本動かしてはならない。
本質的にはテロリストとは交渉など無用である。テロリストからの話し合い要求などあらゆる要求を完全に無視し、即座に壊滅することが民主主義を守ることなのだ。
考えてみれば共産党家族が「テロリストの要求に従え」つまり、「テロリストによる国民への暴力恫喝による政策実現」を懸命に補佐するのは当然のことだ。彼らが愛してやまない共産主義体制とは、まさにそういう社会体制だからだ。
旧ソ連や共産支那がまさにそれである。何一つ制度的な民意の信託を受けていない共産党という組織が、党直属のテロ組織人民解放軍を使って国民を恫喝し、自在に政策を実現している。(今一つ知られていないことだが、支那の人民解放軍は国軍ではない。日本共産党で言えば民青にあたる党直属の私的軍事組織である。「与党共産党が直属の私的暴力組織を持ち、その恫喝により国民を支配する。」というのが、テロへの屈服を訴える社民党共産党の愛する支那の政治体制である。)
更に現に共産党は既にそれを実践している。教科書採択騒動のおり、執拗なファックスや電話の繰り返しにより教育委員を恫喝し、「作る会」教科書採択を放棄させた。
支那共産党 「我々に殺されたくなければ国民は我々テロリストに従え」
「被害者」家族「テロリストに殺されたくないので国民はテロリストに従え」
サヨク 「我々にイタ電イタFAX放火テロをされたくなければ教育委員は我々テロリストに従え」
こいつらは国民にテロへの屈服を要求している。
考えてみると、戦後体制自体がテロへの屈服から始まっている。「原爆をこれ以上落とされたくなければ政体を明渡し軍備放棄憲法を受け入れろ」というアメリカからのテロ恫喝から始まったのが戦後だ。戦後体制自体(現憲法)が、民意に基づく方式でなくこういうテロ恫喝の受け入れから始まっている。(アメリカは今現在それをイラクに行っているわけであり、戦後体制を賛美するサヨクはアメリカによるイラク支配を賛美するべきだ。)
その憲法の内容自体も「戦争の放棄」、つまり「外国やテロリストからの実力行使を背景とした主権侵害と戦うこと」を「永久に放棄」したものだ。つまりは国民の主権の放棄が前提となっている。
結局例によって諸悪の根源がここにくる。とにかくまともな憲法にすることは急務だ。
筆者は「テロリストの要求を受け入れろ」派の人に問いたい。仮にテロリストが日本国民を拉致し憲法破棄を議会と政府に要求したら、どうするべきだと思うかを。例えば100人の国民を拉致し「憲法破棄が行われるまで毎日一人づつ殺す」などと宣言し実行し始めた場合だ。
「命は地球より重い」と即刻破棄を行うべきか、それとも国民が何人死のうが国会議員は破棄を議決せず無視するべきだと考えるか。特に拉致されているのが、あなたもしくはあなたの家族であった場合だ。
少なくとも現憲法を肯定する立場に立った場合、仮にこういう経路で憲法の破棄が行われたところで、さして問題視するべきでないし破棄を撤回するべきでない。
なぜなら現憲法自体が「原爆をこれ以上落とされたくなければ政体を明渡し軍備放棄憲法を受け入れろ」というアメリカからのテロ恫喝によるものだからだ。サヨクはアメリカのテロ恫喝のもとでの帝国議会の決議をもって「現憲法は民意にもとづいている」と強弁する。ならば再びテロ恫喝による議会決議により再び憲法を破棄しまた変えたところで、「現憲法は民意にもとづいている」と強弁するべきだろう。
後は憲法破棄状態を続ける実績を積み重ねればいい。そうすればサヨク的な言い草では「長年憲法破棄状態が支持されてきた実績がある」という結論になるはずだろう。
ちなみに筆者は「テロリストの恫喝による政策実現を行う政治体制は間違い」と考える。よって「テロリストが何を要求しようが叩きつぶすべき」であり「叩きつぶすことのできる軍事力法制度をそなえるべき」であり「テロ恫喝の結果である現憲法は恫喝にもとづかない民主的な議会手続きにより即刻破棄するべき」という結論になる。