左翼がサヨクにさよく時 - 4 現代日本に巣食うサヨクの具体例

4.4.3 子供にしゃべらせるNHK

[執筆日:H13/2/4][執筆対象:NHK][病理:洗脳]

 NHKはテレビで子供に話をさせるのが大好きだ。何気なくチャンネルをNHKにひねると、おうおうに子供がNHKプロデューサーの思惑通りの愚にもつかない内容を話している。あたかも子供に裁判をやらせたポルポト虐殺政権のように、NHKは子供に話させるプロパカンダ手法を好む。
 NHKプロデューサーの提起するテーマたるや、おなじみの「日本軍の戦争の悲惨さ」とか、「古文は必要か」とか、ひどいものになると「海外援助は政府を中心に行うのがいいか」みたいなものまである。これなどは要するに「(政府が直接行うのではなく)政府はNGOに金を出せ」という結論に誘導しようというものだ。

1 子供とは大人に反発し、また認められ気に入られたがるもの

 そして当然のことながら子供には設問そのものを疑う知恵などない。
 子供は常日頃、学校で設問対して正確に迅速に出題者の意を汲んだ形で答えるという訓練を繰り返す。しかしその一方物事を推論したり論理構築力を訓練する機会は少ない。よって、設問そのものを疑問視するなどはあまりない。逆にNHKに登場する子供たちは、設問をするNHKプロデューサーに気に入られようと、その意を汲んだ答をしようと全力で努力する。あたかも教師の出題に正解を答えようと努力する学生のように。子供とはそういうものなのだ。
 おまけにそのプロデューサーが出演する子供に求めているのが、大人の「シャカイ」への「ギモン」を呈する事だ。子供の大人への反抗心も満たされ、嬉々として子供たちは大人の「シャカイ」への「ギモン」を呈する発言に熱中する。
 そしてプロデューサーの思うが侭のプロパカンダが行われる番組となる。

 子供の大人への反抗心と大人に気に入られようとするコビをたくみに利用するわけだ。この手段は、子供裁判ポルポトや紅衛兵支那やヒトラーユーゲントナチのような社会主義体制、いかがわしい社会体制が常に行ってきた手段だ。要するに子供をおだてて弾圧と思想運動に消耗利用する手段。

 仮に筆者が出演者なら、プロデューサーが嫌がる内容のみを話すだろう。プロデューサーがその設問をする意図や、政治的背景。設問そのものの不公正さ。設問を作成した人物や責任者の部署氏名などだ。こういうものを抉り出すのが筆者の趣味だからだ。まあ、こんなヤツが番組に出られるはずも無いのだが。

2 発言権もまた権力の一つであり、それは本来本人の実績により与えられるもの

 本来、人に発言権を与えるものとは実績である。株主は会社に対して出資をするという実績により会社に対して発言権を得る。より多くの出資をしたものがより大きい発言権を得る。上司が部下より発言権があるのは、会社に対する貢献をしてきたという実績があるからだ。
 そして発言権とは権力のことだ。発言権とは、自分の意見を聞くために、他人に自分の話を聞くための時間を確保させ自分の声に耳を傾けさせるように拘束する力があって成り立つ。
 そして権力とは責任が伴うのだ。

 かつては子供の意見を懸命に耳を貸し喧伝する馬鹿などいなかった。子供が口出しなどできる場など無かった。本来それが当然なのだ。社会的な実績が何一つ無い存在であり社会的な責任をとれない存在なのだから。

 社会やら国家やら道徳やらについて子供に話させるNHK。物分りのいい大人のつもりなのだろう。日本がまともな大人の社会でないことを実証するかのようで恥ずかしい。
 ポルポトは子供に司法権という権力を与え、政敵をつるし上げる要員にした。NHKは子供に発言権という権力を与え、政敵(元日本兵など)つるし上げる要員にしている。

 もし読者氏が学生なら気をつけて欲しい。大人の一人として恥ずべきことだが、日本には読者氏を思想運動の手駒にしようと網をはる恥知らずな大人が多い。特に学校あたりに。
 諸君の道徳違反や学力不足を口うるさく叱責する教師というのは、鬱陶しいだろうが危険は無い。むしろ責任感のある普通の教師である。ピノキオに出てくるコオロギみたいなものだ。
 一番危険なのは、諸君をおだて意のままに使おうとする、びっこのふりをするキツネと目くらのふりをするネコ(=サヨク教師)だ。物分りのいい顔をしておだてながら近づいてくるヤツこそが一番危険なのだ。

余談:子供をおだてて無料で働かせ視聴率購読数増大に貢献させる高校野球[執筆日:H13/3/26][執筆対象:NHK][病理:子供で金儲け]

 漫画の「あしたのジョー」に興味深いシーンがある。しつこく拳闘を勧める丹下段平に対して、矢吹丈は「俺を猿回しの猿に使って一儲けしようとしてるんだろう。」という主旨の指摘をする。これに対して丹下段平は「その通りよ。」と素直に答える。(こういった奇麗事に終始しない徹底したリアリティが梶原作品の魅力の一つだ。その後丹下は拳闘への真摯な情熱を語る。)

 プロスポーツ選手とは、要するに悪く言えば猿回しの猿だろう。プロ野球選手は球団という猿回しの猿であり、大相撲の力士は相撲協会という猿回しの猿だ。
 そして言うまでも無く他人をなんら猿回しの猿に使ってよい。以下条件を満たす場合は。

* 猿となる者が猿となることを認識し了承する判断力のある大人であること
* プロフェッショナルとして十分な金銭的な見返りがあること

 大相撲であろうがプロ野球プロサッカーであろうが、上記条件を満たす。なんら存在してよい。判断力のある大人が納得ずくで行っていることだ。
 その一方、高校野球の卑劣な点は以下だ。

* 主催者には莫大な金銭的な利益がもたらされながら、ビタ一文出演者(選手)に支払わない点
* そういった事柄の理不尽さを理解できない子供を使う点

 意外と知られていない事だが野球の本場アメリカには高校野球大会のようなものなどない。勝ち抜き戦がもたらす勝利至上主義のもと、身体育成途上の子供に学業そっちのけで練習させ、大会では子供に連戦連投させ将来有望かもしれぬ子供に時に肩を潰させ、そういった大会の映像で主催者は莫大な利益を得、出場高側も宣伝効果を得るようなマネをする狂った野球大会など存在しない。
 とはいえアメリカにも大学リーグは存在する。ただ大学の場合は、ある程度大人でありまた体もほぼ完成しているためまあかまわないだろう。勝利至上主義の部活動があっても。

 予選段階からニュースや大新聞が連日報道し、本戦ともなれば真昼間から国営放送が連日完全生中継をする。子供の野球大会を、である。あらためて考えてみれば異常極まりないことだ。
 毎日朝日が主催しNHKが放映するこの子供の野球大会。猿回しの猿に子供を使い莫大な利益を得ながら、本人には「名誉」のみ。子供をおだてて使うのはこういった連中の常套手段のようだ。


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