筆者はこのページを開くにあたって、伝統的サヨク思想である社会主義について論じるつもりなど当初はなかった。社会主義は間違っている。こんな話は、筆者がわざわざ論じるまでもなく、昨今あたりまえだと考えていたからだ。更に、今時大まじめに社会主義を信奉するなど、ごく一部の変わり者であり、特に論じる標的とする価値がないと考えたからだ。
しかし、どうやらその限りでないことが判明した。少なくともネット世界では、いくぶんか社会主義を信奉する伝統的左翼が徘徊しているようだ。
今更馬鹿馬鹿しいが、社会主義がなぜ間違っていると断定できるのかを、結果論と、論理的な観点の二点から考察する。読者はあくびをこらえて、読んでいただきたい。
20世紀中におこったあらゆる戦争により死んだ人間の数は、総合計一億人と言われる。一方、スターリン、文革支那政府、ポルポト、サダムフセイン、ヒットラー、金日成、チャウシェスクから、日本の共産党や中核派まで社会主義者が殺した人間の数の総計は、なんと200000000人(二億人)とも言われる。あらゆる戦争犠牲者の倍にも登る人々が社会主義の犠牲となっている。
社会主義は、今世紀に行われた全ての戦争をあわせた量より遥かに恐るべき罪悪、絶望、恐怖、苦痛を全人類にもたらした。
なおかつ支那や北朝鮮においては今現在も、もたらされている。これらの国々ではこれからも人々は社会主義者に殺され続けるだろう。
結果から判断するなら、社会主義は地球上に存在する全ての宗教、全ての思想を圧倒的に凌駕して、飛びぬけて最悪の思想である。問答無用に、人類史上最大最悪の悲惨が社会主義によりもたらされている。
以上のことから、普通の判断力があれば、社会主義はダメだと即断できる。しかし、社会主義が自分のアイデンティティーとなった狂信的社会主義者はぬけぬけと言うだろう。「やりかたが誤っていただけだ。」と。
筆者は、高層ビルの上の階から下に降りる場合、階段やエレベータを利用する。いわば、階段歩行主義者とでも言うべき人間だ。
一方、世の中には奇特な人がいる。高層ビルの上の階から下に降りる場合、窓から飛び降りる方が正しいと主張する人間だ。いわば、飛び降り主義者とでもいうべき人間だ。
飛び降り主義者はさかんに訴える。様々な晦渋な数式などを用い、明らかに速度において飛び降り主義が秀でていることや、ひいては世の中のためになるということを。
中には飛び降り主義者の訴えを真に受けて、飛び降りて怪我をしたり死んだりする人がいる。その有り様に、この飛び降り主義者は、飛び降りかたが良くなかったから死んだんだと言う。飛び降り主義そのものは正しいが、死んだ人間は「やりかたが間違っていたのだ」と強弁する。
ところがこの飛び降り主義者、自分では絶対に飛び降りない。安穏と階段を歩行する。自らの主張を真に受けた多くの人々が死亡し、怪我をしている間も。
この飛び降り主義者が社会主義者である。社会主義者の言い草を真に受けて、ソ連に飛び降りた人や、北朝鮮に日本人妻として飛び降りた人。こういった多くの人々が弾圧され、拘留され、死亡しているにもかかわらず、今なお「やりかたが間違っているだけ。」などと強弁する。
一方、自分は絶対に飛び降りず、階段歩行主義国家日本で安穏と階段を歩行しつづける。満面に階段歩行主義の恩恵を受けつつ、なお飛び降り主義の正当性を盲信する。
この圧倒的現実逃避無責任体質こそがサヨクなのだ。
論理的な考察は、狂的な社会主義者の絶好の逃げ場所である。具体論となると、社会主義の正当性など証明されようもない。しかし論理世界は、無責任な空論、言葉遊びのファンタジーだ。この世界は社会主義者の最後の逃げ場所である。
しかし残念ながら、論理ファンタジー世界も社会主義者の逃げ場所にはならない。論理的にも、いとも簡単に社会主義は否定できる。
社会主義=「生産手段の公的所有にもとずく社会体制」
これがなぜ間違っていると言うことができるのか。簡単である。社会主義は一言で否定できる。
「公的に所有された生産手段を管理する存在もまた搾取を行うから。おわり。」
シャカリキに社会主義を何十年も勉強してきたおじいさんやおじさんには悪いが、これで終わりである。必死で理解した社会主義の数式や、晦渋な社会主義用語の暗記は、全て徒労だ。ご苦労様。
社会主義の問題点は、以下に示すように、人間観において決定的な矛盾点が有る点だ。
資本家。
ひたすら私利私欲に走るブタ。祖国や他人の利益を何一つ顧みず、ひたすら金もうけに終始する。生産手段を私的に所有するという立場を利用して、労働者が生み出した利益を徹底して搾取する。
労働者の政権:具体的には共産党や社会党、もしくはその下で働く官僚。
ひたすら労働者や祖国の利益を考え、献身的に働くエライ人。公的に所有された生産手段を管理するという立場を利用して、搾取するなど全くありえない。
という発想だ。これが間違っているのだ。人間観が定まっていないのだ。「資本家」と称する存在には、物欲の権化のような性悪説を論じる。しかしながら、「労働者の権力」と称する存在には、物欲のない神か仏かのような性善説を論じる。人間の本性についての価値基準が二重になっているところが、誤っているのだ。
資本家だろうが、労働者の政権の構成員だろうが、どちらも人間であり、どちらも一概に悪人善人とは決め付けられない。それぞれに、人並みに誠実で人並みに姑息であろう。
資本家のみが悪辣な搾取を行い、労働者の権力とやらは何一つ搾取を行わない、もしくは資本家による搾取よりも軽度だと誤解した点が、誤りなのだ。逆に、生産手段が公的に所有される社会では生産手段の公的所有を管理する存在に強大な権力が集中し、より悪辣に人々は搾取される。
サヨクは、筆者による単純な言い草に「不勉強」とか「馬鹿みたい(笑)」とか「アホか」、のししるに違いない。筆者は、社会主義の正当性を訴える社会主義用語にあふれた詭弁が、大量に存在することも知っている。こんな一言で論破可能なシロモノが、ソ連し支那で長年信奉されるわけがないと考えるに違いない。
もし筆者の主張が間違っていると考えるなら、是非とも筆者の主張を論破していただきたい。筆者への感想などどうでもいいから、筆者の主張が否定できるという結論を、根拠とともに示してもらいたい。
懇切丁寧に、筆者の主張を論破する方法を説明する。
筆者の主張は以下。
提起「生産手段の公的所有にもとずく社会体制(社会主義)は、間違っているか。」
結論「間違っている。」
根拠1「公的に所有された生産手段を管理する存在もまた搾取を行うから。」
根拠2「更に生産手段の公的所有は権力の集中をうみ、より悪辣な搾取が行われるから。」
以上の主張を論破する方法が、以下。
根拠が否定されれば、すくなくともこの根拠からの結論は瓦解する。
「公的に所有された生産手段を管理する存在が、その立場を利用して搾取を行わない。」と証明できたなら、筆者の主張は崩壊する。
全ての社会主義国では、公的所有を管理する立場の人間(共産党幹部から工場の監督者まで)は、ことごとく搾取し続けた。日本でも、政治家や官僚の汚職は多い。「労働者の政権」が大量に搾取し続けてきたにもかかわらず、なぜ「労働者の政権」が搾取を行わないと言い切れるのかを示して欲しい。示しきれたなら、1は完了し、筆者の主張は瓦解する。
根拠が結論に結びつかないことが証明されれば、少なくともこの経路からの結論は瓦解する。
公的に所有された生産手段を管理する存在が搾取を行うにもかかわらず、なぜこの社会体制が正しいと言えるのか証明して欲しい。
しかし、2の証明はまあ無理だろう。1を証明するしかあるまい。
以上のいずれかを為し得たなら、筆者の主張は崩壊する。
逆に、なにひとつ為し得ないなら、「社会主義は間違っている」と証明されることになる。「社会主義は間違っている」と論理的に証明されたにもかかわらず、社会主義の幻想から逃れられない人は、筆者を「不勉強」とか「馬鹿みたい」とかのししることで、自分自身に「俺は正しい」とマインドコントロールし、どうぞ思考停止して暮らしてくださいとでも言っておく。
こうなると、社会主義者というよりサヨクであり処置なしだ。
社会主義者にしてみても、詭弁は好きなはずだ。「ホラ証明できました(笑)」とか、得意げに書いてみたくないか?だったらがんばって証明して見せて欲しい。証明が完了したなら、投稿枠に投稿して欲しい。
なぜ、社会主義(生産手段の公的所有にもとずく社会体制)が間違っていると断定できるのか。
「公的に所有された生産手段を管理する存在もまた搾取を行うから。おわり。」
所詮、社会主義など一言で吐いて捨てることのできるシロモノなのである。