社民党およびその議員は次の点に思考停止する。
共産支那のチベット東トルキスタン満州侵略、共産支那の現地民虐殺、共産支那の虐殺革命、社民党がその虐殺革命を賛美してきたこと、共産支那の人権侵害、共産支那の言論弾圧宗教弾圧、共産支那の劣悪な労働環境、共産支那の核兵器、共産支那の軍拡、社民党土井氏がその軍事パレードに参加し賞賛していること。
日本の大昔のシンリャク?についてはエンドレステープのように騒ぎ立てるが、社民党はこれらの点に完全に思考停止する。
なぜ、こんな馬鹿げた思考停止野郎がぬけぬけと議員を続けていけるのか。それは、他の議員や国民から議員に対して質問を行う公的な場がないからだ。議員が答えたくない事には答える必要が無いままに、言いたいことのみを言うだけですむ立場にあるからだ。
多くの国民が、辻本議員赤軍派愛人疑惑とか、橋本元首相支那女スパイ愛人疑惑とかが、うやむやであることに欲求不満になっている。これらは、その議員の根本的な資質にかかわる問題である。前者はテロリストの仲間であるという疑惑であり、後者はスパイの仲間であるという疑惑だからだ。こう言う事柄には多くのマスメディアは役立たない。サヨクテロリスト関係の疑惑とか、支那関係の疑惑とかには、多くのマスメディアは徹底して及び腰となる。
こういった疑惑を徹底していつまでもいつまでも延々と全てが明らかになるまで繰り返し直接国民が問いつづけることのできる公的な仕組が必要だ。
現状では、公的な質疑を行う仕組みは以下である。
議員→行政担当者や高級官僚: 議員が予算委員会などで行政担当者に質疑する仕組み。
マスメディア→行政担当者や議員: 記者会見などである。
これを改め、以下のような公的な質疑を可能にするべきなのだ。
議員→行政担当者や全官僚: 議員が予算委員会などで行政担当者に質疑する仕組み。更に定例議員会見を行う。
議員→議員: 議会で議員が他の議員に質疑をする仕組み。
議員→判事: 議員が裁判完了後の判事に質疑をする仕組み。
国民→行政担当者や全官僚: ネットなどで質疑をする仕組み。
国民→議員: 同上
国民→判事: 同上
以下に説明する。
国民からの質疑はネットで行う仕組にすればいい。質疑内容をネットで公開で公募し、その質疑そのものに国民に投票させ、賛同の多い質疑に政治家や議員や官僚は答えるのだ。こうすれば、国民が直接大臣や議員や官僚に訊ねることができる。
国民が直接質疑ができれば、議員やメディアが全くあてにならないとも大丈夫だ。支那やサヨクにせよ、議員やメディアや教育委員を恫喝し懐柔することはできても国民を直接恫喝し口封じを行うことなどできない。
またネット環境を持たない国民のためには役所で端末を貸せばいい。
行政責任者は予算委員会などで議員からの質疑に答える必要がある一方、議員自身は何一つ答える必要が無い。議員に質疑を行う公的な仕組は無い。議員は賛同者からの答えたい提起にのみ答える茶番劇のみに終始できる。これでは不十分である。
議員が議員を質疑し、議員が官僚を質疑し、議員が判事を質疑し、更には国民が行政責任者や議員や官僚や判事を直接質疑できる仕組が必要だ。それが無いから赤軍派愛人疑惑に思考停止する辻元議員とか、支那女スパイ愛人疑惑に思考停止する橋本元首相とかが、いつまでも議会で徘徊を続けられる。
共同通信三国人騒動のように、おうおうに政治家の言動は記者により歪曲されて流布される。これは政治家国民双方にとり不幸なことだ。政治家は自分の主張を正しく国民に伝えられないという点が不幸であり、国民は政治家の主張を正しく知ることができないという点が不幸だ。
これを解決するには内閣総理大臣など行政責任者が直接国民に訴える仕組があればいい。テレビなどを用いて。
筆者がここまでこだわるように、政治家への質疑とはきわめて重要な政治権力なのだ。しかし、その政治権力が今は記者の手に握られている。国民は政治的に平等であるべきだ。特定の職業であることを理由に、政治的特権が与えられる社会など間違っている。報道関係者という貴族を我々国民と同様の権力に引きずり落とし、より完全な民主制社会を作り出さねばらない。
上記(3)、(4)については本ページ姉妹ページ「左翼がサヨクにさよく時」の「5.3.2 サヨクマスコミ支配を打ち砕くために」に記している。
こういう仕組があれば、従来の質疑応答にあったかも知れないような質問者に金を渡したり恫喝を行うことでうやむやにするようなことが不可能となる。外国やテロリストの妨害や圧力から完全に切り離したところで質問ができるようになる。
筆者はやや大げさながら、これを従来の民主制度をさらに凌駕した超民主制度と呼称したい。
従来の(間接)民主制度:
選挙で代表者を選び政治運営をさせることで民意を反映。議員を選び立法させ、更に行政府への質疑を行わさせ行政を監視させる。
しかしあくまで質疑は議員が行う方式であるため、議員を外国などが恫喝や収賄などをすることで時に物事はうやむやとなり、政府は時に外国政府や一部利権団体の利益代表者となって動く。
またマスメディアは一般国民にはない様々な政治権力が与えられ特権貴族化している。
今後あるべき民主制度:
選挙で代表者を選び政治運営をさせることで民意を反映。議員を選び立法させ、更に行政府への質疑を行わさせ行政を監視させる。
さらに議員や行政担当者や判事への質疑を国民自身が行えるようにし、本来の質疑者たる議員を外国などが恫喝や収賄などをしたところで無意味な状況にする。また議員から議員への質疑、議員から判事への質疑も可能にすることで、無責任な放言や国民意識から遊離した判決を抑止する。
マスメディアだろうが弁護士団体だろうが教職員組合だろうが、制度的に国民を代表する者でない者の特権貴族化を抑止する。
ようするにこれは質疑応答についてのみ直接民主制を導入せよという意見だ。直接民主制と間接民主制の折衝案のようなもの。
読者諸氏の中には、ならば更に進めて完全な直接民主制を導入せよという意見もあろう。議会そのものを廃止し、例えばネットで議会を開き国民が直接法律を作成できるようにせよなどという意見。これには筆者は懐疑的だ。以下の理由から。
そもそも、法を立案し可決するなどという仕事は誰にでもできるものではない。豊かな経験と常識と洞察を必要とする。その点で、世の中にある様々な仕事となんら変わりは無い。
たとえばビルを建てるにあたって、各所の柱をどういう材質にしどの程度の太さにするかを決めるにあたって、八百屋、教師、金貸し、弁護士、百姓、医者、主婦、板前、店員、落語家など、建築に関しずぶの素人が集まって「話し合い」をやって決めるなどという有様の荒唐無稽さを考えてみればいい。そういう事柄を決めるには、強度計算を行う高等数学の知識などあらゆる技術的な能力が必要だ。
もちろん今現在の議会には「法律作成の専門職」などとは到底言えない素人丸出しが多いことは重々承知している。現憲法とは占領軍が投下したものであることを忘れた忘呆症もどきの「憲法学者」などだ。
ただ、少なくとも「我こそ法を作成する組織(議会)の一員たるにふさわしい能力の持ち主である」と自任する人間のみが立候補しているはずだ。現に法律について深い洞察のある議員もいる。
立法をそんじょそこらの有象無象になどまかせられない。
別に我々国民は政治参加を行うために生きているわけではない。それぞれに何かと忙しい。毎日毎日ネット端末から議会への参加などしているヒマなどない。せいぜい代表者を選ぶため選挙に行く程度の時間しかない。
ネット端末経由の直接民主制などをしけば議会は、ひきこもり、無職、学生、ご隠居、有閑マダムなどのヒマ人が意のままに法を可決するようになるだろう。最も重視するべき納税している勤労者をさしおいて。