筆者は国防費を四倍(普通の先進国と同レベル)にせよと主張している。それには税金を上げるか赤字国債をさらに乱発するなど借金をするか他の支出を減らす以外に無い。その中で最も妥当なのは支出を減らす方法だろう。
はたしてそれは可能か。可能だ。いともたやすい。ごっそり減額可能な支出がわが国にはある。それを減らせばいい。その一つが大学の助成金だ。
誰もが思っていることだろうが、わが国には大学生はもとより高校生も多すぎる。基本的に中学までで(というか本当は小学校までで)社会生活に必要な一般教養は身につく。大学生高校生は減らすべきだろう。
大学が、就職猶予免状付与機関であり遊び友達集合場所にしかなっていない場合も多い。
誤解の無いように記すが、筆者は特に有能な若者に多くの税金を投じることになんら反対しない。祖国のためになる有能な若者には、できるかぎり税金を投じ才能を伸ばしたい。オリンピック選手の養成などの予算は、むしろ少ないとすら考える。
しかし概して全然大学で学ぶ必要性の無い学生が多すぎる。一部の特に優秀な学生を除いて、公費で学ばせる必要は無い。
とは言っても無理やり学校を潰せなどと筆者は主張しない。筆者が推奨する政策は以下だ。
(あ)一部の特に優秀な学生を除いて、学校経営に必要な経費は基本的に全額学生負担とする。
(い)銀行に学生への学費融資を推奨する。(たとえば学費融資による利益については減税するなど。)
(う)学費捻出のための休学制度を設ける。
(え)補助金を支給せざるえない分野の大学には、実績にもとずいて支給する。
これを行えば無用な大学は自然に淘汰される。以下に解説する。
以上の中から、(あ)〜(う)について以下に解説する。
学校経営に必要な経費は基本的に全額学生負担とするべきだ。しかしながら、ごく一部の御曹司を除いて学生には金が無い。どうるべきか。学生が銀行から借りればいい。政府は銀行による学費融資を税制面で補助する制度を用意しておけばいい。
大学で学びたいが金の無い学生は、高校時代の成績表を銀行に提出するなどし、自分への学費貸し出しがいかに安全な融資かを説明するのだ。当然卒業後に学生自身が働いて返済する。また、そういった交渉を行う能力の無い学生は、そもそも大学で学ばせる必要がない。
あるいは特定企業と契約する方式でもいいだろう。学生が企業から学費の融資を受ける代わりに卒業後に規約年数以上その企業で働くものだ。そういう交渉を学生自身に行わさせるわけだ。
またあるいは学費捻出のための休学を認めてもいいだろう。一年目は学び二年目は働いて学費を捻出する。毎年それを繰り返して倍の年月で卒業するわけだ。こうすれば金の無い学生にも借金をせずに大学に通う道も開ける。当然休学中は聴講は認めても単位は与えない。
上記あ〜うの制度を設けることにより、以下の利点が生じる。
学費が全額自己負担となると、膨大な負債を抱えてでも学びたい学生のみが大学に集まるようになる。つまり勉学の意欲がある者のみが大学に集まる。就職執行猶予期間程度のつもりで入学する学生は学び屋から消滅する。
留年は更なる借金の増加を意味する。よって学生はより勤勉に学ぶ。現在、留年をしたところで納税者の負担が増えるだけで自分は痛くも痒くもないから大学生は気楽に留年をする。他人ではなく自分の懐に影響が出るとなると、学生は懸命に留年を回避しようとするだろう。
その結果、学生自身もより充実した学生生活を営むことができる。
本来の目的はここにある。
少子化している現在、あらゆる分野の人材が不足している。外国人労働者を不法就労させることで成り立っている業界もある。大学に流れる学生が減れば、当然その分各職場に若者が流れる。外国人労働者の流入をある程度防ぐことができる。
今後更に少子化は進む。若者を大学で遊ばせておく余裕は無い。
学生からすれば、膨大な金を支払いながらくだらない時代遅れの講義を寝ぼけながらされては、たまったものではない。自分が金を支払うとなると講義に向けた学生からの要求や期待は格段に高くなるだろう。大学は、より積極的に最新の学説にもとずく講義内容の研鑚を余儀なくされる。マルクス経済学とか、今の時代から考えるとほとんどジョークのような講義がまかり通る事態も無くなる。
これは、大学側学生側双方にとって望ましいことだ。
上記(あ)〜(う)の制度を設ければ大学は学ぶ意欲のある人間の集まる真の学び屋になり、学生自身もより充実した勉学生活を送ることができ、無用な公費の浪費を防ぐことができ、労働者不足をいくぶんか解消でき、大学の講義レベルも上がるというわけだ。
そもそもが膨大な数の若者を数年間も遊ばせること自体が、大いなる国家的損失であり無駄なのだ。しかもその無駄金を支払わさせられているのは、中学高校短大を卒業し地道に働き納税している若者達を含む納税者なのだ。そもそも政府は税金を浪費する学生なんぞより、働き納税する若年者こそを優遇するべきだろう。根本的におかしい。
またそもそも学問とは学校に行くことによってのみ成しうるものではない。やる気があればどこででもできる。各自勝手に書籍を購入したり図書館に行くなどをすることで、いくらでも学ぶことができる。また多くの社会人がそのようにして学び研究している。エジソンなど大学どころか学校すら満足に行っていないが、偉大な業績の数々を残している。私的研究機関も設け数々の社会貢献をしている。
またわが国では私塾の開設を全く禁止していない。学校経営をしたければ、公費の助成を一切受けない私塾を開設すればいい。公的な金が全く出ない代わりに、教育内容は完全に自由である。需要と供給のバランスが取れれば、その学校経営は成り立つはずだ。成り立たないなら、そもそも社会的な需要から逸脱しているというだけの話であり、潰れることは必然的な結果だ。
大学が気に入らないなら私塾で学ぶのもいい。
日本を、遊ぶべきでない人間を遊ばせない、より効率的な社会にする必要がある。
(え)について以下に解説する。
基本的に学校運営に必要な費用は全額学生負担とするべきだ。しかしながら、どうしても公費補填をせざるえない分野もあろうし、報奨的な意味で公費を支給するべき場合もあると思う。例えば、基礎物理学研究など高価な研究機材を要する分野、医師の養成など高価な学習設備を要する分野、音楽などマンツーマンに近い指導が必要な分野などだ。
しかし野放図に学生数に応じて補助金を支給するべきでない。筆者は学校の実績に応じて支給するべきだと考える。補助金を受け取るに値する実績とは以下だ。
例えば臨床医学部なら、卒業生が医師となり納税している人数と納税金額に応じて補助金を支払う。芸大なら、卒業生が芸術家となり納税している人数と納税金額に応じて補助金を支払う。
逆に言うと仮に卒業生にそういう実績を持つ者が少ないということは、それだけ大学での教育内容が世間の需要とかけ離れているということだ。そういう大学は駆逐されるべきだ。
支払う助成金の金額は、大学で専攻した分野の職業につき納税している額の何パーセントと冷徹に決めてしまうのが望ましい。卒業生の納税金額の集計は、行政のIT化により自動でできるようにするのがいいだろう。
複数の学校を卒業している納税者の場合は、納税者自身に補助金支給先の学校を決めさせるといい。A大学とB大学を卒業している場合、A大学に何パーセント、B大学に何パーセントという具合に。自分が一番世話になったと思う学校を補助金支給先と決めるといい。
OBが活躍すればするほどその学校は栄えるというわけだ。
学術関係の賞はもちろん、体育大学ならオリンピックなどで優秀な成績をおさめたり、優れた記録を出したりするなどだ。
賞を受賞しなくとも優れた研究はありうる。研究結果が産業などへの応用で優れた結果を生み出した場合も、優れた実績と言える。基礎物理学など直接技術的な応用に結びつかない研究の場合は、専用の評価機関で研究結果を査定する以外に無い。
上記(え)を行えば、各大学は競って優れた人材を求めるようになるだろう。実績を生み出す可能性のある学生を。特に優れた才能をもつ学生には、時に契約金を支払ってでも入学させようとするだろう。
こうなれば英語ができないから美大に入学できないなどという馬鹿げた事態も発生しなくなる。逆に大学で学ぶ必要の無い学生は、学園から消え去る。
更に大学は卒業後に職業人となりうるようにするため、より実際的で最新の研究結果を教えるようになるだろう。なにしろ卒業後に役に立たない講義を行っていると、大学の補助金が減らさせられるのだから。今となっては全く役に立たないくだらないカビの生えた大昔の学説の繰り返しでは大学は成り立たなくなる。そういう講義から学生は解放される。
人は職業上の成果が自分の利害と関わらないとなると、時にいくらでも怠慢で不誠実な仕事ぶりができるものだ。税金収奪怠慢サヨク教師のように。
ならば成果が直接学校経営や学校関係者の給与に結びつくようにすればいいだけの話だ。