国体創造 - 3 国防に関する提言

3.1 巨大原子力ミサイル潜水艦の所持と実質的な核武装を行え

[執筆日:H12/8/12]

1 先進国同士の戦争を回避してきたのは核兵器

 はっきり言うが核兵器は戦争回避に役立ってきた。
 第二次世界大戦までは世界の列強は互いに戦争を繰り返してきた。しかし第二次大戦終了以降、先進国同士の戦争は突如なくなった。それはなぜか。この答を得るには、第二次大戦以前と以降の違いを考えればよい。大戦前後の違いとは、核兵器の有無である。
 第二次大戦以降においても、核兵器のない国と核兵器のある国と戦争、核兵器のない国同士の戦争はあった。しかし核保有国同士の戦争は突如として消滅した。さんざん戦争を繰り返してきた英仏は突如戦争をやめ、米ソは延々と直接の戦争をせず、ソ支は全面戦争を行わなかった。

 核兵器は先進国同士の戦争回避に役立ってきた。これはいかなる詭弁をもってしてもくつがえすことのできない事実なのだ。先進国間の戦争がないがゆえ、再度の世界大戦は防がれた。先進国の経済的軍事的影響力を考慮した場合、先進国においては核武装は絶対必要なのである。

2 日本は既に核武装している

 そして言うまでもないが、戦後日本が外国侵略を回避できたのは、単にアメリカの力を借りた実質的な核武装(及び自衛隊と米軍による通常兵器による武装)を行ってきたからだ。これがあったから例えば共産支那は、チベットウイグルを侵略しながら日本を侵略しなかった。チベットウイグルと日本の差はただそれだけなのだ。仮に終戦当時、日本が核武装をせずチベットウイグルが核武装をしていたなら、今ごろはチベットウイグルが侵略されなかった代わりに日本が共産支那に侵略されていた可能性もある。その場合は、日本人数千万人が民族浄化の対象となり虐殺され北海道が共産支那の核実験場となっていただろう。
 時折「日本は核武装を行うべきか」という議論を聞く。行うべきかも何も既に日本は核武装している。アメリカの核による核武装を。本来議論となりうるのは、「日本の核武装をアメリカによるものから日本自身で行うようにするべきか」であろう。

 当然日本自身で行うべきだ。
 アメリカ軍による核武装は良くて、日本軍自身による核武装はダメなどという発想は成り立たない。そういう腐った発想は、日本を軍備管理能力無しの劣等国家とみなすGHQの刷り込みから脱却できない者の発想と言える。
 外国軍隊の核武装艦船を国内に停泊させることによる核武装は、やはり不自然である。なにより独立国の態ではない。日本を守る核武装は日本自身で行うのが、最も自然で当然な姿だ。

3 巨大原子力ミサイル潜水艦の所持による実質的な核武装

 日本独自に核武装を行う必要がある。どのように核武装を行うべきか。

 それは原子力ミサイル潜水艦を保持し、その潜水艦により核物質の運搬と保管をすることだ。
 プルトニュウム運搬には過激にハンタイする連中がいる。グリーンピースなどだ。これを逆手に利用するのだ。こういうアブナイ団体がいるため十分にテロ対策等安全を確保しつつ運搬を行うには、原子力潜水艦による運搬が必要とし原子力潜水艦を建造する。魚雷や爆雷が相手でない限り、水中が最も安全だ。
 また、どうせ原子力潜水艦を建造するのであるならより国防に役立つ形にするべきだとし、水中からの遠隔ミサイル発射可能な原子力潜水艦にする。

 この原子力潜水艦にプルトニュウムを運ばせ、保管するのだ。この方法は以下の利点がある。

(1)核武装していないと主張することができる。

 あくまでプルトニュウムの運搬と保管であると主張するのだ。また実際に査察があったなら核弾頭を保管庫に戻せば良い。

(2)潜水艦であるため極めて先制攻撃の目標となりにくい。

 潜水艦は水中に存在するため、極めて攻撃目標となりにくい。潜水艦を攻撃できるのは、魚雷や爆雷を搭載した艦船や戦闘機のみである。つまり、遠隔地からの狙い撃ちがほぼ不可能なのだ。これらに気を付けてさえいれば、潜水艦は沈没させられることはない。
 これが存在するかぎり、日本を侵略する外国は日本からの核ミサイル攻撃に脅えた状態で日本侵略を行わねばならないという事になる。抑止力としては十分である。
 実は、これが本当に核ミサイル発射可能であるかどうかは、それほど重要ではない。核ミサイルは恫喝カードとして機能すればそれで良い。
 潜水艦は複数であればより効果的である。

(3)核武装の解除、再装備が容易である。

 単に核弾頭を搬出すれば、それは核ミサイル兵器ではなくなる。支那やアメリカが核武装をやめた時、この潜水艦も廃船とすれば良い。

4 日本の核武装は避けられない [執筆日:H16/5/3]

 様々な詭弁をろうした核武装反対の意見を聞くが、反対したところで全く無駄だ。どうあれ日本は核武装をせざるえないからだ。

(1)日本の核武装の可否は米国が握る(支那などそれ以外の国など無関係)

 核武装論議となるとサヨクは例によって耳にタコができた「近隣諸国の理解が得られないいい」という脅迫観念を煽るだろう。的外れと言う他無い。サヨクの言う「近隣諸国」とは支那だの朝鮮だのだが、これらは全く日本の核武装の可否とは無関係だ。これらは日本にこびりついた寄生虫に過ぎない。

 ようするに日本の核武装の可否は米国にかかっている。米国が日本の核武装を認めれば例え米国以外の全ての国が反対したところで日本の核武装は可能だ。逆に米国が認めなければ米国以外の全ての国の賛同があっても日本の核武装は不可能だろう。
 身もふたも無い言い方だが、資源ルートをおさえているのは実質米国だからだ。
 かつてABCD包囲網により日本は戦争をせざるえない状況に負いこまれたが、これは実質A(アメリカ)包囲網である。アメリカが包囲したため包囲網は完成したわけであり、BCDなど他の国などほとんど関係無い。

 そして米国が日本の生命線を握っているという点で、今も大東亜戦争前といささかも違わない。万一原油経路を米国に止められたら、数千万人の餓死者を防ぐために再び対米戦を戦う以外に無いという点でいささかも変わらない。
 それゆえ核武装に限らずイラク戦争だろうが何だろうが日本は対米追従する以外にないのだ。

 ようするにこれが軍事力なのだ。
 軍事力があれば、いかなる理不尽な要求もできるし、身勝手な行為をゴリ押すこともできる。逆に軍事力が無ければあらゆる理不尽な無理難題を飲まねばならない。軍事力=発言権なのだ。だからこそ米国は軍事力弱体化憲法を日本に投下したわけであり、またサヨクもその憲法を用いるなどして日本の軍事力弱体化にいそしむわけだ。

(2)アメリカが「崩壊する」ことは避けられない

 アメリカの財政赤字たるや膨大である。実質日本がアメリカの国家財政を支えていると言えるほどに。その原因は明瞭だ。膨大な軍事費である。
 アメリカは日本の五倍のGDP、予算にして何と日本の十倍の額を軍事費に用いている。考えてみれば金がかかるのは当然だ。ほぼ地球上全域の国防を一国で行っているのだから。

 こんなことがいつまでも続くわけがない。
 かつてこれを全く同じ状況にあった国があった。旧ソ連だ。旧ソ連は膨大な軍事費をまかないきれなくなり、崩壊した。
 仮にこのまま米国の路線変更無しなら、米国は間違い無く旧ソ連と同じ運命を歩むことになるだろう。

 もちろん「崩壊」とは言っても米国の「崩壊」が旧ソ連と全く同じものになるわけではない。
 旧ソ連の崩壊とは、「あまりの軍事負担から、ロシアが東欧やグルジアなど衛星国の軍事支配を継続できなくなった。」というものだ。
 そして筆者が予測する米国の「崩壊」とは、「あまりの軍事負担から、日本など衛星国の軍事支配を継続できなくなる。」というものだ。これが筆者の予測する米国(による世界支配)の崩壊である。
 そしてこれは絶対に避けられない。日本が出す「思いやり予算」「米国国債の買い支え」ごときではどうにもならない。旧ソ連もまた衛星国を搾取しまくったが、それでも焼石に水となって崩壊をした。

(3)日本の核武装は避けられない

 米国の世界支配体制が崩壊するということは、米軍が日本を含む極東から撤退するということであり、米国が現在行っている極東安保を日本が丸ごと引き受けざるえなくなるということだ。
 米国無きあと極東でそれが可能な国は日本のみだ。「先進国かつ、民主国家かつ、大国」という条件を満たすのは幸か不幸か極東では日本しかない。インドも有望だが、中進国の人口大国という程度であり、「日本の良き民主国家の仲間」とはなりえても極東安保の中心国とはなりえない。現実的には日本を中心とした米インド豪州台湾などによる民主国家連合の防衛体制が望ましい。

 もちろん極東全土の安保を行うということは、大規模な核武装をするということだ。当然、空母や潜水艦などの所持も不可欠となる。

 旧ソ連は財政的に東欧や衛星国を支配しきれなくなり瓦解した。
 軍事に膨大な予算を浪費するアメリカも同じ運命となるだろう。いつまでも極東安保などしている余裕は無くなる。軍事費の縮小は避けられず、極東の安保は好き嫌いに関わらず日本が行うことになる。行わなけれカンボジアのような国(支那の侵略を受けた傀儡政権が生まれ、六百万人以上が虐殺される)が次々と生まれ、尖閣諸島のような侵略が頻発するだけだ。

 「日本の核武装反対」をわめく勢力は多いが、全く無意味という以外にない。そういうセリフは「屁ーワケンポーをマモレー」にも似た空虚な屁に過ぎない。一瞬臭い空気を放って終わるだけの屁だ。
 下品なヤカラがいかなる屁を放とうが、いずれにせよ米国の世界支配は崩壊するし、日本は核武装をせざるえない。

 結局、核武装の要不要論議のようなことをしている暇はないということだ。「どこにどういう核兵器をいかに配備するか」のみが重要なのだ。

5 日本は核武装をする責務を負う(日本の軍事プレゼンスの欠如が支那による侵略大虐殺をもたらした)

 日本が核武装をすることは権利ではない。義務だ。

 筆者は支那や北朝鮮の核武装を批判している。にもかかわらず、日本の核武装の必要性を訴えている。これを二重価値基準だと批判する人もあろう。
 なぜ支那や北朝鮮の核武装はダメで、日本は行うべきなのか。簡単だ。日本が民主的な大国だからだ。民主的な大国は非民主的な国の暴虐を抑止する責務を負うからだ。

 サヨクは「戦後の平和」は、ヘーワケンポーがもたらしたと嘘ぶく。全くの逆だ。、ヘーワケンポーによる日本の極東軍事プレゼンスの欠如が支那による東亜侵略と大虐殺をもたらした。
 よく知られたチベットウイグルを侵略虐殺以外に、共産支那はカンボジアポルポト政権(600万人虐殺)の後ろ盾となり、ベトナム戦争にも加担してきた。
 これらは全て日本の核軍事プレゼンスがあれば防ぐことができた。日米安保が旧ソ連や支那からの直接的な対日侵略を抑止してきたのと同様に、核武装国家日本の軍事プレゼンスがこれらの国に及んでいれば、支那による暴虐が抑止できた可能性が高い。

 今一つ知られていないこと(というか意図的に隠蔽されていること)だが、東南アジア諸国における支那の軍事脅威は極めて深刻だ。
 考えてみれば当然だ。仮に、日本に在日米軍が無く、更に自国軍事力が自衛隊より虚弱である状態を想像してみればいい。考えるだけで身震いが出る。東南アジア諸国は、まさにそういう状態に延々とおかれているのだ。そして支那からの侵略は現実に起こっており、ベトナムやカンボジアでは桁はずれの人々が虐殺されている。
 この恐怖感はただごとではないだろう。

 そういう国々(特に民主国家)からすれば、強大な軍事力を持つ民主国家の後ろ盾は喉から手が出るほど欲しいだろう。強大な核軍備を持つ日本軍が駐留すれば、突如として支那による侵略を恐れる必要は無くなる。やがてそれは日米関係に匹敵する関係となりえ、日本に強固なシーレーンをもたらす。
 いくぶんか日本側からの無理難題があったとしても、支那なんかの支配下におかれるよりは何億倍もマシだ。

 日本は東南アジア諸国を支那の暴虐から守る責務がある。もはやこれは権利ではなく義務である。この義務を果たしす果てにこそ、常任理事国となる未来があるのだ。果たさなければ台湾など東南アジア諸国は支那に侵略され、シーレーンは分断され数千万の餓死者を産むか対支核戦争を行うかの選択を強いられることになる。


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