ここに紹介してきた数々のサヨクの底無しに腐った有り様。我が国がいかにサヨクにより目茶苦茶にされてきたか理解していただけたと思う。しかし悪いことばかりではない。我々国民も黙って放置していない。多くの人々がサヨク問題(戦後問題)に取り組み出し、成果をあげている。
国民の力によりサヨク問題が解決している例もしくは、解決しつつある例を列記する。
この惨敗は、多くの国民にとって待ちに待った朗報であった。二大サヨク政党の一角が崩れたのだ。我々国民は、議会にこびりついた冷戦の汚物のやや半分をごっそり洗い落とした。我々国民自身が洗濯(選択)をして。
この惨敗が例えば国旗国歌法という形で実った。むろん思想に狂った一部組合教師は、国旗国歌法に違反を始めた。ある意味これでいい。組合教師の実態がいかに狂っているのかを報告するネタ集めに役立つ。とりあえず今は、組合教師による無茶苦茶なやりたい放題の有り様を記録し克明に国民に報告し、組合教師への国民の怒りを蓄積する段階でいいだろう。進んで法律違反をするという常軌を脱した組合教師の実態を明らかにし、そこまで狂った教育界の現状を多くの国民に示しえた点など、この法律の成果は大きい。
むろん、国政の汚物はまだまだ残っている。
社民党惨敗した分、ソ連型社会主義の正統後継者共産党が不気味に票を伸ばしている。また自民党にも宮沢喜一氏とか河野ようへい氏とか腐ったサヨクが存在する。民主党にも民主党代表選に出馬した横路孝弘氏みたいな冷戦の残存物がある。社民党自体も国会議員数が零になったわけではない。政界にこびりついた冷戦の汚物は、まだまだ洗い落ちていない。
社民党惨敗は、サヨク政治家といえども我々国民自身の力で駆逐が可能であることを明瞭に立証した。我々国民自身が賢明な選択をすれば、社民党、共産党、自民党の一部、民主党の一部など残った汚物を洗い落とすことも夢ではないのだ。次の選挙で。
昭和五十年代あたりから旧日本軍の冤罪を捏造する奇怪な「平和記念館」が日本の方々に建築された。あらゆる嘘写真、捏造写真で埋め尽くしたシロモノだ。多くの有権者の知らぬ間に、いつのまにやら。ただでさえ地方行政が大赤字で苦しむこのご時勢に、大量の税金を浪費して。
狂った組合教師はここに子供たちを連れ込み、血みどろの強姦虐殺嘘写真でショックを与え贖罪意識を植え付ける反日洗脳を施した。
そして東京にもこれが造られようとした。多くの「平和記念館」同様、東京大空襲を「シンリャクのムクイ」とするなど、戦災を受けた多くの人々の気持ちを泥足で踏みにじる内容だ。これに多くの都民がNoと立ち上がった。
多くの人々が都議会前でハンストをするなどし、やがて心ある都議会議員なども動き出した。そして、ようやく都議会決議で「平和記念館」なるものを凍結させるところにまでこぎつけた。
日本各地にある、日本の軍事行動のみをこき下ろす嘘写真だらけの「平和記念館」。支那のチベット侵略とそれによる百二十万人以上のチベット人虐殺を隠蔽した「平和記念館」。ソ連による敗戦寸前の日ソ不可侵条約破りと北方領土略奪、日本人シベリア抑留と死の強制労働を隠蔽した「平和記念館」。支那事変の発端となった支那人による日本人虐殺事件(通州事件)を隠蔽した「平和記念館」。共産党軍、国民党軍による日本人や支那人虐殺を隠蔽した「平和記念館」。支那の核兵器を隠蔽した「平和記念館」。毎年二十%以上もの支那の軍備拡大を隠蔽した「平和記念館」。
「ピースおおさか」など、日本中にあるこうした税金浪費記念館(建築や用地買収はもちろん、単に維持するだけでも莫大な税金が必要となる)。東京都の事例は、こういった狂った「平和記念館」を人々の力で潰せることを明確に示した。
多くの人々が力を合わせれば、狂った官僚の暴走を食い止めることは可能なのだ。
それにしてもいったい誰がこれを企画し誰がを許可したのか。むろん最終的に予算を認めるのは都議会だが、都議会への予算提出をすすめた張本人は誰か。誰が展示内容を決めるのか。全て謎だ。
各地の地方行政機構の奥底に潜む病理構造を白日の元にさらす必要がある。
「平和記念館」に失敗したサヨクが、あらたに「平和資料センター」なるものを画策していることが報告されている。例によって、表面的には「ハンセンヘイワ」を押し出し、結局反日プロパになだれ込むおなじみのシロモノ。
こういう連中は叩いても叩いても単細胞生物のように再び復活する。我々国民は引き続き注意深く監視し芽のうちに潰していかねばならない。「ピースおおさか」みたいな取り返しのつかないシロモノが出来上がる前に。
都市博中止により世界中に東京無責任都市を宣言した男、青島都知事の任期が終わり、東京都知事に石原慎太郎氏が圧倒的な票を得て当選した。石原氏は戦後問題を人一倍深く憂慮する人物であり、すばらしいことだ。東京都民の良識もなかなかのものだ。
横田基地返還など石原氏の公約に、いわいる保守系の人間も拒否反応を示した。サヨクの支那政府腰巾着ぶりはほとんどピエロだが、必要以上に対米追従したがる一部保守系をも筆者はあまり肯定しない。
むろん、現在の日本の軍事力ではアメリカ軍の力に頼る以外にないが、未来永劫このままでいいはずがない。明瞭に憲法を改正し普通の先進国並に国防努力をしなければならない。そして対等の対米外交を可能にするべきだ。我々の子孫が我々同様、アメリカの腰巾着であっていいはずがない。
その石原知事が東京都教育委員会の見直しを確約した。すばらしいことだ。必要なのはまさにこれなのだ。
サヨク教師は我が物顔で我々国民の国旗国歌を侮辱するなど、我々国民を舐めまくり続けている。こういう役人の横暴を監視し指導し時に立ち向かうのが、教育委員の役目だ。ところが昨今その教育委員にすらサヨク教師上がりが紛れ込んでいる。これではまともな職務を果たせるはずがない。泥棒に泥棒を監視させるようなものだ。
まず組合教師上がりを除外した、まともな人材のみを教育委員に据える。そして組合教師へのアンケート結果に頼るような教科書選定をやめ、教育委員自身が責任をもって教科書選定を行う。選定権を持つのは教師ではなく教育委員会であり、これは当然のことだ。また、卒業式入学式などの折、学校教育の現場に出向き指導要領や法律にもとずいた教育が行われているかを監視する。逸脱した教育が行われている場合、責任者もろとも解雇をも含めて処分する。
ただこれだけ、つまり教育委員が普通の職務を果たすだけで教育界に潜む汚物の除去は可能なのだ。
もちろん石原氏と言えどもここまで完全に筋を通し切れるかどうかは疑問だ。しかし、これに準じる程度の教育委員の見直しは行って欲しいものだ。
いずれにせよ地方行政であっても有権者が賢明な選択をすれば、サヨク問題の解決は可能だ。石原氏は明瞭なその実例となる。
支那政府への謝罪など、口頭でやるだけでも噴飯ものだ。日華事変当時、最も支那人(および日本人民間人)を虐殺し略奪したのは現共産党政府と国民党である。その虐殺政権に謝罪するなど、ほとんどジョークである。
ただ、文書による謝罪を拒否しただけでもいくらかマシだ。なぜ小渕首相は文書による謝罪を拒否したのか。
それは支那政府への謝罪を繰り返す行為に、多くの国民からの批判があったからだと思われる。結局政治家も人気商売であり、著しい民意からの逸脱は困難だ。
支那政府による謝罪要求がいかに図々しく馬鹿げたものであるかは、小林よしのり氏の著作や、関係マスコミの尽力により知られることとなった。多くの国民がこれを理解し、国民の声となり、ほんの少しだけ土下座外交が改善された。
読者諸氏はとうにご存知と思うが「新しい歴史教科書をつくる会」という団体執筆の教科書が検定に合格した。国民自身の手による国民のための国民の教科書作成という日本最初のプロジェクトが実を結んだのだ。
それにしても共産支那韓国及びその忠犬サヨクの合格阻止に向けた、なりふりかまわぬ狂乱ぶりはすさまじかった。元外務省幹部検定委員による不合格工作、サヨクマスコミによる非公開の白表紙本を断片的恣意的に引用した非難、それに煽られた支那韓国北朝鮮による内政干渉の繰り返し、ついには長年検定制度の廃止を唱えてきた社民党(旧社会党)が扶桑社編集教科書を標的として政府に検閲を求め世間の物笑いの種となった。
こういう狂乱に対し、森総理や文部大臣はいつになく冷静な対応をした。国民意識をくみとる政治家の鋭敏な感性のなせるわざだ。そういう感性が大切なのだ。新聞紙面の煽りにのみ目を向けるのではなく。
今後サヨクは採択をめぐって、合格阻止に向けた狂乱ぶりと同様の嘘歪曲偏向を交えたプロパカンダにより、採択権のある市町村教育委員会などに圧力をかけ始めるだろう。まさにこれからが正念場である。官僚権力報道権力を振りかざし共産支那プロパカンダ丸写し教科書を教育委員会に採択させようとする勢力(サヨク)と、我々国民との戦いの。
そんな中、極めて明るい話題がある。何と全国三十三道県議会が、中学歴史公民教科書採択にあたって正常化を求める請願、陳情、意見書を採択したのだ。更に二百十六市町村議会で同様の請願陳情がなされた。(産経新聞平成十三年四月四日夕刊一面)これらの地方議会は、共産支那の利益代表もどきが大量に流れ込んでいる国会などより、はるかに国民の利益を重視している。
さあ、後はこういった議会(国民の代表者)の請願にもとずいた教科書を、教育委員会が採択するだけだ。教育委員会は、まかり間違っても教師選出の「調査員」とか「学校票」なるものの指示に盲従した採決を行うような愚挙を繰り返してはならない。
腐った占領教育のぬかるみから脱する方向で、少しづつ時代は動いている。着実に。
狂った広島教育をあらためようと立ち上がった父兄の報告。