よく、サヨクに自分たちの祖父を吊し上げるのはよせと意見すると、「違う、我々が糾弾しているのは、謝罪しない日本政府である。」などという返事が返ってくる。しかし、日本政府の戦争責任とやらを糾弾すること自体が、実質的に戦争行為者である祖父を吊し上げることになる。団体の行為に問題があると規定するなら、その団体の構成員にも問題があることになるのは自明の理なのだ。
ただ、ここに紹介するのは、日本政府でなく、直接自分の祖父を吊し上げた外道僧である。
その人物は、真宗大谷派の若僧大東仁氏という。大東仁氏は、「お寺の鐘は鳴らなかった。仏教の戦争責任を問う」という自著で、自分の祖父を吊し上げた内容を自慢げにレポートしている。
内容は真宗大谷派の僧侶が戦時中に行った「戦争協力」なるものを、吊し上げていくというものである。鐘の供出や、疎開児童への住居提供などを「戦争協力」と断罪するなど、例によって今現在の価値観から先人の苦労を切り捨てるという思い上がった内容だ。
この若僧侶、以前から戦争責任に感心をもっていたという。本多勝一氏の本「中国への旅」に記された「万人坑」を見るためにわざわざ支那に旅行している。そこで展示された骸骨の山を見て、完全に反日僧侶に解脱してしまった。「日本が悪い」→「俺が悪い」と思い込んでしまい、贖罪地獄に落ちてしまったのだ。
ちなみに、この「万人坑」とは、日本企業が支那各地の支那人を、炭鉱などで奴隷同然に働かせて死亡させた人捨て場所だと、「中国への旅」に記述されている。ただ、「中国への旅」とは、文革真っ最中の支那人の「証言」を本多勝一氏が、検証もせず丸ごと記したものだ。
ちなみに、文革(文化大革命)とは、毛沢東などが行った、文化の政府統制を強化する革命をいう。実質的には政治闘争である。これにより支那政府当局は、数千万人以上の支那国民を殺したと言われる。この恐怖政治下では、国民は完全に思想言論の自由を奪われていた。後に毛沢東婦人などがこれの責任をおわされ、吊し上げ裁判により死刑に処された。
田辺敏雄氏によると、当時「万人坑」で働いていた日本人数百人に調査したところ、一様に否定した。更に支那人「証言者」が落盤が日常茶飯事だったという、南満鉱山などは露天掘りであり、(地下を掘り進むのでなく、地表を爆薬などで削っていく工法)であり、落盤事故など起こりようもない現場だった。
田辺敏雄氏は、反日宣伝のための文革支那当局によるでっちあげだと断定している。おそらく、骸骨の山は文革の犠牲者であろう。
「万人坑」の骸骨の山を見てころりと贖罪地獄に落ちてしまった大東氏は、自分の御祖父への吊し上げを、国営放送によるテレビインタビューの形で行った。たとえるなら日本版文革といった感じか。国営放送から、若僧が年老いた僧侶に戦争についてインタビューするという企画がもちこまれ、それに大東氏がのったのだ。それにしても、国営放送は国営のくせして、この手の反日宣伝企画がやたら好きだ。
しかし、御祖父へのインタービューは失敗だったようだ。それはほとんど会話にならなかったという。
命懸けで祖国を守り、更に戦後は黙々と働き、現在の平和と豊かさを築いてきた老人が、その平和と富を満面に享受してきた若造から「なぜ、御老僧は戦争に協力していったのですか」などと、テレビカメラの前で吊し上げられる情けなさ。同情にあまりあるというほかない。
最後にはその御祖父は泣きながら叫ばれたという。
御祖父は、その吊し上げ番組が「宗教の戦争協力を問いなおす」などという題で放映された半年後、急死なさる。
大東仁氏は、「かわいそうなことをした」などと嘘ぶきながら、自著を御祖父をむち打つような内容で埋め尽くしている。そして、「祖父に対する私の同情も最後には消えてしまいました。」などと記述している。得意げに本にして出版するということは、本人結構イイコトしたつもりになっているのだろう。自分の祖父をテレビの前でいたぶり、失意のうちに他界させて。
大東仁氏は、完全に救いようのない畜生道に落ちているとしかいいようがない。僧侶に「祖先に感謝しましょう」、「祖先を敬いましょう」などと説教しなければならず、しかもそれが通じないとなると、もはやそれはギャグを通り越している。
出典元:「教科書が教えかねない自虐」竹内義和、小林よしのり共著 ぶんか社発行