共産党というと、何か普通の政党と異なるヘンな政党というイメージをもつ人は多い。このイメージは全く正しい。まさしく、普通の政党と異なるヘンな政党なのである。どこがヘンなのかを以下に記す。
サヨク政党の一翼をになった社民党(旧日本社会党)は自民党と連携したあげく、野党イメージを失い大幅に議席を減らした。結構なことである。
しかし一方、その票のいくらかが別のサヨク政党である共産党に流れ、不気味に着々と議席を増やしている。また、一部マスコミも共産党が議席を増やしてきる点から「共産党はがんばっている」などとエールを送っている。それが更に共産党に票が流れる要因となっている。しかしその一方で、共産党が他の普通の政党とは全く異なる独裁政党であることは完全に隠蔽されている。恐ろしいことである。
マスコミは、共産党にある決定的な問題点と言い得る以下二点について完全に隠蔽している。
1:今現在、共産党は党運営方法、党幹部選出方法が全く民主的でなく、完全な独裁政党であること。
2:戦前の共産党は査問殺人を繰り返し、銀行強盗も行う犯罪組織であったこと。
以上の恐るべき点が、ほとんど人々に知られていない。完全に隠蔽されている。2:については、「1.1 戦前の左翼」で触れている。ここでは今現在の共産党にある問題点である、1:について記す。
筆者がなぜ共産党を支持できないかと問われると、政策や主張以前に、まずこの民主主義的中央集権制(民主集中制)という共産党独自の制度をあげる。共産党は、民主集中制という幹部選出など党の政策決定機構がまったく民主的でない制度、完全な最高幹部独裁の制度を採用している。
主張以前に、党運営制度自体が支持できないのだ。
共産党における民主集中制とは下記のようなシステムである。
1:上級組織で一旦決定した事項については、下級組織ではそれについて中央委員会の許可無しでは論議自体が認められない。下級組織は上級組織による決定に対して疑問を挟んではならない。即時実行あるのみ。
2:下級組織での人事は、基本的に全て上級組織の承認を得なければならない。
3:分派活動も禁止。
4:党内の問題を党外に開示することも禁止。
5:以上の規約に反する党員は全て除名。
以上のように、共産党は党中央が全てを意のままにに操る隠蔽独裁組織なのだ。
上記の中でも最もいかがわしいのが、1:である。もちろん、普通の民主政党も同様に党決定に拘束されるが(でなければ政党の意味をなさない)、共産党の場合まったく意味が異なる。
普通の民主政党では、いったん党決定がなされれば無論それに拘束されるが、党員が党決定に疑問を呈し党決定を変えていくことは認められる。これは我々国民にとっての法や条例と同じである。いったん立法されれば国民はこれに拘束される。と同時に、それに疑問を呈し変えていこうとすることは、当然認められる。これが普通の民主国家というものだ。
共産党では、党決定がなされればそれに拘束されるのみならず、党員が党決定に疑問を呈し、党決定を変えていこうとすること自体が許されない。(共産党は中央委員会の許可があれば論議はできるなどと言うだろう。しかし、そもそも許可が必要であるということ自体が、共産党に言論の自由など無いことの証明になるのだ。)党中央に逆らうものはすべて除名される。
民主集中制という制度は当然のことながら、民主的な考えの人間からは往々に批判される。まあ、当然であろう。この批判への共産党の反論はこのようなものだ。
↑この論法、馬鹿丸出しだ。この世に存在するあらゆる大規模な組織は中央集権主義的である。でなければ、組織として成立しない。中央集権制度の政党と中央集権主義的な政党とでは、全く意味が違う。
馬に似ている人間と馬そのものとでは、ワケが違うのだ。人類で最も馬に似ている人間より、間違いなく馬のほうが馬に似ている。モノゴトの程度を把握しないにも程がある。
この論法を聞いて、「ううむ、確かに民主集中制は正しいんだなあ。」などと納得するレベルの人間が共産党に集まっているのであろう。
党が民主集中制(つまり独裁政党)であることがアイデンティティ(党の存在意義)とまで言うのなら、その党そのものが存在してはならないという結論になる。民主国家における政党とは独裁政党であってはならず、民主的に運営されるべきだからだ。
独裁がアイデンティティの政党など民主国家の政党として全くふさわしくない。そう言い切るのなら、党そのものを潰していただく以外に無い。
民主集中制は、ロシアのボルシェビキ(ロシア社会民主党労働党が分裂してできたレーニン率いる一派。もう一派はトロツキー率いるメンシェビキ。)の党規約に準じていると言われる。
レーニンとトロツキーは、党組織論において対立した。ボルシェビキ率いるレーニンは民主集中制により、党を完全な上意下達の強固な一枚岩として暴力革命を行うべきだと主張。一方、メンシェビキ率いるトロツキーは民主集中制に反対し、大衆政党の道を歩むべきだと主張。
トロツキーは「もし現在の道(民主集中制)を歩めば、党は党役員に代行され、党役員は中央委員会に代行され、中央委員会は独裁者に代行されるようになろう。プロレタリア(労働者階級のこと)独裁は、プロレタリアに対する独裁に至るだろう。」と予言。この予言は、ソ連や支那、北朝鮮や日本共産党など、あらゆる民主集中制の社会主義組織において完全に的中した。
民主集中制は、党を革命を行う軍隊として機能させるために生まれた制度なのである。
民主集中制は以下のような事態をもたらす。
共産圏諸国が相次いで崩壊した時期、その余波を受けた共産党は大幅に議席を減らした。もちろん普通の民主政党なら、党執行部の責任が問われる事態である。これについて、宮本議長(当時)は、「わが政党は、そういうことが問題になる政党ではない。」と言ったという。興味深い意見である。
共産党は、大幅な議席減らしが党執行部の責任問題にならない政党らしい。選挙をもって政権を獲得しようとする民主政党であるなら、議席減らしは敗北そのものであり、党執行部の責任は間違いなく問われる。つまり、共産党は、選挙をもって政権を獲得しようとする民主政党でなく、今なお暴力革命によって政権を獲得しようとする政党であることを、宮本が自白したものといえる。
日本共産党に限らず、世界の共産党における政権移譲を追ってみると独特の特徴を見出すことができる。最高幹部の入れ替えがほとんどないのだ。世界の共産党では、ほとんど全て最高幹部の死によって政権交代がなされている。あとはせいぜい革命による政権遺失である。つまり普通の政権交代がまったくない。
戦前に、査問リンチ殺人の罪で服役していた日本共産党の宮本も同様である。終戦のどさくさにより思想犯と混同されて釈放になり、程なく共産党の実権を握って以来、幹部会委員長、中央委員長、議長などを歴任し、おまけに今は名誉議長とやらに収まり別荘で専門医をつけ大名暮らし。
民主集中制においては、いかなる失態があっても、党中央は下部組織の動議から辞任させられることはないのだ。
共産党批判の多くは、共産党の主張や党名をなどを批判したものだ。例えば、「既に共産党は資本主義を認めているのに、共産党という名称はおかしい。」、「共産党の消費税反対は、深刻な財源問題に思考停止したものだ。」、「ダムなど大規模公共投資反対と言うが、ダムや高速道路などの大規模な公共投資なしに日本経済も国民生活も成り立たない。」という批判。
これらの批判は全て正論だ。しかし、現在の共産党の本質的な問題点を指摘した批判ではない。というか共産党の手の平の上で踊った批判とすら筆者は言い切る。
共産党の問題点は、そもそもが民主集中制という旧ソ連と全く同じ独裁政党であるということなのだ。最高幹部が全く党員から批判できず普通の幹部交代のない、下級党員が最高幹部の意のままに動く上位下達の革命軍政党である点が最大の問題点なのだ。
仮に党名が「愛国皇民党」に変わり、主張が消費税率上昇賛成に変わったところで、現在の独裁制である限り筆者は全く支持しない。そのように幹部決定をすれば、間違いなく下級党員は盲従するだろう。
そして独裁政党であるかぎり、政権獲得後に、いとも簡単に「共産党」に戻り、ソ連同様に「反動分子の粛正」を開始することは、おおいにありうる。その決定にも下級党員は盲従するだろう。
共産党は、今後とも間違いなく民主集中制を廃止しないだろう。党幹部の既得権力擁護システムだからだ。印刷局などで懸命に働く下級党員が生み出す利益を大量に搾取可能な地位だ。おまけに威張り放題。こんなおいしい地位を幹部が手放すわけが無い。
共産党はその権力争いにより、あらゆる人間を党から除名してきた。最も有名な例が、宮本顕治委員長の「刎頚の友」袴田里見副委員長の除名、日本共産党創立期からの党への功労者であり党名誉議長野坂参三氏の除名である。
ところが、除名後に死亡した野坂氏の葬式に、共産党の関係者は誰一人として来なかったという。
きっと、野坂氏にも共産党に親しい者がいたに違いない。親しかったであろう党員は、除名された者の仲間であるという認識を党からもたれないために、一切断交したのであろう。これは、村八分どころの制裁ではない。村八分というのは、葬式など(残り二分にあたる)を除いて断交するという制裁だ。葬式すら関わらないとなると、それは究極の断交と言っていい。
いかなる党への功労者であっても、除名者であるなら葬式にすら出ないのが共産党だ。さすが共産党、完全に論理的に一貫している。除名者となった瞬間から全否定され、心情や友情や常識の立ち入る余地なしだ。
筆者が共産党に、たとえようもない恐怖を感じるのは、こういう有り様なのだ。
興味深いことに、現在の共産党は共産主義を訴えない。
本来、共産主義政党だから共産党という名称であるのはいうまでもない。おまけに共産党は、最近では社会主義という言葉から更に修正し、社会民主主義とまで言い始めている。かつて共産党は、旧社会党が社会主義政党や社会民主主義政党を自称してきた時期には、修正主義者と罵倒していたにもかかわらず。
更に、前の選挙で大量の票を得て躍進した共産党は、かつての旧社会党同様に連合政権の一角を担いたい欲が出て「テンノーセーハンタイ」、「ジエータイはケンポーイハン」すら棚上げにするとまで言い出した。
さて、基本理念に関わる党中央の方針転換に党員は反対したか。全く反対していない。むろん共産党特有の制度上反対できないのだが、制度以前に党員は党中央に完全に盲従する。
旧ソ連スターリン体制の日本支部から唐突なソ連非難への豹変、ルーマニアのチャウシェスク体制支持から東欧崩壊による唐突なチャウシェスク非難への豹変、消費税反対から消費税三%論への豹変、テンノーセーハンタイから棚上げへの豹変、共産党員はこれら幹部決定に全て盲従してきた。盲従しなかった者は全て除名された。
もちろん、風向きが変われば、いとも簡単に逆豹変もありうるということだ。よって、共産党を論じる場合、その主張そのものの評価や検証などほとんど無意味である。いつ突然変わるかわかったものではない。共産党を論じる場合に着目するべきなのは、主張などでなくその体質なのだ。
共産党員は共産主義者というより、共産党主義者という言い方が的確だ。
それにしても、共産主義を訴えない共産党に忠誠を発揮する共産党員とは、なんとも奇妙だ。
労働者の政党を自称する共産党は、宮本(旧帝大)を含めて幹部には、東京大学卒業者が多い。不破哲三(東京大学理学部物理学科卒業)、志位和夫書記局長(東京大学工学部物理工学科卒業)といった最高幹部は双方東大卒だ。本当の労働組合からのたたき上げの大幹部は、金子書記局長くらいだ。大幹部は労働者出身などとは到底言えないエリート連中で占められている。
むろん、とにかく無学な人間に政治をまかせさえすれば世の中良くなるなどと筆者は考えない。高学歴の者にも有能な人間は多いに違いない。労働者出身の人間にも、それこそ金子氏みたいな、共産党のテープレコーダーに退化したゴリゴリの教条主義者もいる。
ただ、ここまで偏執狂的なエリート主義にはヘキヘキさせられる。田中角栄のように無学で有能な人間も多いのだ。学校などという一種バーチャル世界で長年言葉遊びに興じてきた連中よりも、実社会で努力や工夫をしてきた人間にこそ有能な人間がいる場合もある。
共産党には宮本を筆頭として、旧帝大(現在の東大)の学閥体制のようなものを感じる。
共産党の他政党に関する主張を要約すると、「日本共産党以外の地球上にあるあらゆる政党、国家は誤っており、日本共産党のみが正しい政党である。」という結論になる。
ソ連の下部組織であった昔は、ソ連及びルーマニアなどその同盟国、及び日本共産党のみが正しいという発想だった。しかしこれらの国における大量の悲惨と絶望が明らかになった。
そのあげく、今では、支那もソ連も北朝鮮も旧ルーマニアもアメリカも日本も自民党も自由党も民主党も社民党も公明党も全部ダメで、「地球上唯一自分たちのみが正しい」と考える組織になった。
つまり狂った独善カルト組織なのである。こういった究極的な独善性もまた、共産党という組織を我々国民が全く支持できない大きな理由なのだ。
以上の理由から普通の民主主義者であるなら、共産党など全く支持できないことがお分かりいただけると思う。共産党に投票するということは、自分が以下の人間だと自白することになる。
共産党は戦前に大量の人間をテロで殺している。また、銀行強盗も行っている。なおかつ、今現在も共産党はそういった過去のテロ行為について全く自己批判していない。
共産党は、普通の民主政党と異なり民主集中制という党幹部の完全な独裁により運営される政党である。
筆者は、修正主義的にとはいえ民主主義を肯定するものであり、上記の人間ではない。政治運動におけるテロや殺人など肯定しないし、共産党幹部による独裁政治も望まない。よって、共産党には投票しない。
もっと端的にいえば、共産党に投票するということは、
@ 民主主義者でない。
@ 民主主義を理解していない。
のいずれかというほかないのだ。
共産党問題をかなり多角的にくわしく研究しているページ。共産党についてくわしく知りたい人におすすめ。
共産党の実行部隊、民青(日本民主青年同盟)元幹部が昨年末出版した本『査問』(筑摩書房)が紹介されている。戦後にあっても、その恐るべき吊し上げ体質が続いている実例。
戦後間も無い頃を中心に、共産党による数々の殺人テロが紹介されている。
ソ連に亡命し粛正された多くの日本人に、日本共産党が深く関わっていることがわかる。
加藤哲郎論文集
「2 国際労働運動史・旧ソ連日本人粛清史関係」などに、共産党に関する記述がある。
民主集中制に関する部分や、そこから派生していると思われる、徹底した下級組織統制の規約が記述されている。
日本共産党の主張を検証し批判したページ。
共産党の本質的な問題点は殺人テロ独裁政党であるという点だ。人殺しの説教になど耳を貸す必要などないのと同様、本来は共産党の主張になどなんら耳を貸す価値は無い。ただ、犯罪者の心理を研究するにあたって犯罪者の言動を分析する必要があるが、それと同様の意味においてのみ共産党の言動を分析する価値はある。
元日本共産党副議長 上田耕一郎氏による論文が記されている。「その(筆者補足:社会主義国の)軍事力は、一時的に『平和政策』によって指導され、平和の維持のためにのみ使用されてきたのであって、社会主義国の軍事政策は、平和と独立をめざす系統的な『平和政策」』の一部分であり、」とし、ソ連の核実験を「断固支持」している。
共産党が在日朝鮮人と深く関わっていたことを記述。
なお、このページにおける共産党に関する記述は、ほぼ「日本共産党の研究」に依存している。
書名 :日本共産党の研究 一から三巻。
著者 :立花隆
出版社:講談社
ID:ISBN4-06-183041 ISBN4-06-183042 ISBN4-06-183043