ハンケンリョクはサヨクのキャッチフレーズである。このいかがわしいコピーに「ううむ、ハンケンリョクかあ。かっこいいなあ。」とコロリと騙される人も多いに違いない。
間違ってはならない。そもそもハンケンリョクとは権力指向の裏返しにすぎないのだ。
サヨクが用いるケンリョクという言葉の意味は一般的なものとは異なる。サヨクの言うケンリョクとは主に皇室(サヨクの言うテンノーセー)のことだ。報道被害に苦しめられる人々にとってのサヨクマスコミも、父兄や学生にとっての内申書を握る日教組洗脳教師も、支那政府の圧政に苦しむチベット人や満州人にとっての支那政府も、サヨクは権力と呼称しない。
本文においても「権力」という言葉を、テンノーセーとかサヨク独自の意味のケンリョクなどでなく、「人々を動かす力」という本来の意味で用いている。
ハンケンリョクを自称するサヨクの権力観は、どしゃめしゃに支離滅裂だ。
・ 支那政府国家権力を相手にする時→支那政府のご懸念お怒りを、時に先回りしてまでうろたえ大騒ぎ。支那政府国家権力のご見解を紙面で丸ごと垂れ流し、進んで国家権力の機関紙化。国家権力の犬ぶりを正視に耐えないほどに発揮。
・ 日本国民を相手にする時→支那政府にはあきれるほどの媚びを発揮する一方、日本国民相手となると報道権力を振りかざし、恐ろしいまでに居丈高。威張って説教をしたがり、我々国民の国旗国歌を臆面も無く舐めまくり、誤報による人権侵害やり放題。日本国民相手となると底無しに横暴で傲慢な権力者となる。
・ 学生や父兄や学校教材を売る業者(つまり自分より下の立場)を相手にする時→国家権力から与えられた教職という地位を振りかざし傲慢な官僚権力者となって大威張り。
・ 文部省や校長など上司や教育委員会を相手にする時→ハンケンリョクを自称して命令無視。
・ 官僚権力で御しきれない不良学生を相手にする時→「ボクチン、ケンリョクシャ(責任者)じゃないので責任とれまシェーン。」
学生や父兄に対して圧倒的な権力を持つ権力者のくせして、ハンケンリョクを自称する底抜け脱線天然ボケ。自身は権力者ではないらしく、その理由が「モンブショーのオシツケがあるから」「政府関係者でないから」とか、内申書を握る教員の圧倒的な権力に支配されている学生やその父兄からすれば開いた口が塞がらない珍論を展開。
以上の腐ったダブスタ権力観をまとめると、
・ ケンリョクシャ=ワルモノという幼児向けヒーロー物テレビ番組のような発想をもっている。
・ 支那の国家権力などを権力と認識しない。支那政府を愛しており、ワルモノと思いたくないがゆえに。
・ また自分自身をも奇怪な詭弁を用いて権力者でないと主張。自分をワルモノと思いたくないがゆえに。
・ 自分自身を権力者と認めないため、権力者としてとるべき職務上の責任がおうおうに怠慢になる。
・ 自分の上司や監督官庁をケンリョクシャ(つまりワルモノ)と呼称することで、上司に従わない自分を正当化する。
つまり、
「ボクは他人に権力者として沢山威張っちゃおう。だけど権力者としての責任なんかとりたくない。他の権力者に従うのもごめんだ。だからハンケンリョクを名乗ろう。自分自身が権力者であることに思考停止して。」
ということだ。考えが甘いにもほどがある。権力者と非権力者のおいしいところ取りをしている。
権力には責任が伴う。権力を認証し与えた存在(政府)や、権力を行使される者(教師なら父兄)に対する。そういった責任を果たさない権力者など、権力者である資格はない。責務を果たさない権力者が教師なら教職(権力)を剥奪するべきだし、マスコミ関係者ならマスコミ関係者に与えられている様々な特権(権力)を剥奪するべきだのだ。
権力者とは責任者のことなのだ。
権力には麻薬的な快感がある。自分の命令により人々が従い動く有り様はなんとも気味がいい。そういった快感を追い求めているのがサヨクだ。
サヨクは命令が大好きだ。例えば↓こういう。
こういった言葉(例えば支那)を使うな。こういった言葉(チューゴク)に言い直せ。
こういった服装(人民服)をしろ。
こういった歌(旧日本軍軍歌など)を歌うな。こういう歌(反戦歌)を歌え。
こういった音楽を奏でるな聴くな。こういう音楽を聴け。
こういった書物を書くな読むな。こういう書物を読め。
こういった命令愛好体質の人間が権力を握ると、あらゆる文化が制限され補正させられることになる。
サヨクは人々が群れ集まりカクメーを起こす有り様を夢想する。特に指導的な立場にある上級サヨクは。もちろんその指導者は自分なのだろう。上級サヨクは人々を自分の意のままに動かせる権力者になることを夢想している。
上級サヨク「そうらゴミ共おお、俺の指揮のもと国会に攻め込めえええ。」
下級サウク「うおおおお。」
上級サヨク「でへへへ。こいつら俺の手足だ。カクメー成功のあかつきにはテレビ演説でどんなカッコイイセリフを言おうかな。」
ハンケンリョクがキャッチスレーズのサヨクは、最も命令愛好権力指向の持ち主でもある。権力指向の持ち主だからこそ、既存の権力者が妬ましくてしょうがないのである。「ああ、俺も国民にエラソーに命令したり説教したりしたいなあ。セーフの連中めえ、エラソーに命令しやがってええ。うらやましい妬ましいい。」
共産党大幹部あたりは特にそうではないのか。「東京大学出身の同期の連中は大蔵省あたりで高給もらって天下りで左ウチワ。一方俺は東京大学を出ながら落ちこぼれて高級官僚になれず、その反発から共産党に入党。そのあげく偏屈政党の親玉となり笑い者。こん畜生、ケンリョクシャめえええ。」
ブルジョアの娘にふられて一人前の共産党員になるというジョークもある。
ハンケンリョクとは権力指向の裏返しにすぎないのだ。