サヨクのアジテートは、単に言い回しを変えることでナニやらモンダイセーがあるかのような雰囲気に浸らせようとする空虚なシロモノが多い。他の媒体などにより内容をよく把握すると、実はなんら問題はなかったりするシロモノだ。
東スポか?
言葉というものは面白い。なんでもない行為であっても、言い回しを変えることで何やらワルイコトであるかのような雰囲気になったり、ステキナコトであるかのような雰囲気なったりする。
例えば以下のような表現
あ:「甲は、豆腐屋で豆腐を買ってきた。」
これは例えば以下のように表現できる。
い:「甲の野郎は、金があると何でもできると言わんばかりに札びらをはたいて豆腐屋から豆腐を毟り取ってきた。」
う:「偉大なる甲主席は、自らのおみ足を1歩1歩進め、豆腐屋よりその手に豆腐をいだき高らかに凱旋した。」
かたや極悪非道な行為に見え、かたや素晴らしい行為であるかのような雰囲気がする。もちろん単にそういう雰囲気がするだけだ。両方共、甲がやっていることは同じである。
こういう何の内容もない言葉遊びの雰囲気だけを練り固めたようなプロパ。サヨクが得意とするプロパだ。
以下にサヨクにありがちな言い換え雰囲気プロパを例示する。
札幌市議会におけるサヨク議員「教育委員会が職務命令というかたちで教師に押し付けるのは良くない。」
江戸時代の代官か、こやつわ。
民主制とは民衆の代表者と官僚が話し合って政治を進める政治制度ではない。ましてや、官僚が民衆の代表者の意志を参考程度に扱い、官僚が思うが侭に政治を行う政治制度ではない。民衆が政治権力者となってその代表者が官僚に様々な政策を押し付ける政治制度のことだ。
民主制とは人民が官僚より上位に立って政治を行う政治制度だ。平民が官僚のご指導ご鞭撻に従うことを前提とした政治体制のことではない。
民衆の代表者の意向を、江戸時代の目安箱程度の認識しか持っていない狂った議員、それに後押しされた江戸時代お役人様意識の役人。政治権力の場から放逐しなければならない。
「日本軍は国体、天皇を守ろうとしたわけであり、日本国民を守っていなかった」はサヨクの伝統的なアジテートだ。もう底成しに馬鹿げたアジテート。勝手に日本軍兵士の方々の心の中を捏造するな。確かにサヨクは「軍隊に志願して戦うことなどごめんだ。国も他人もどうでいい、自分が『平和』でありさえすればいいのだ。」という他人を守る気などさらさない汚物であることは認める。しかしサヨク以外の人々はサヨクよりはるかに高潔であり、ましてや日本軍兵士の方々とは比較にもならないことをサヨクは知るべきだ。
日本の国体とは天皇であり日本であり日本国民であり日本文化であり日本の国土のことだ。それらのうちいずれが欠けても国体損なわれる。それぞれを守ることがそれぞれを守ることなのだ。
いずれにせよこういうセリフは、志願し自らの命を日本沖縄の守護にささげた特攻隊員や、満州を守る戦いでソ連軍に抑留されシべりアでの強制労働で亡くなられた兵士の方々を「国民を守らなかった」と表現する糞野郎であってこそ吐くことができる。
↑こう表現することで何やらテンノーセーなるものにモンダイセーがあるかのような雰囲気にしようというわけだ。
アメリカ占領軍は占領政策において様々な日本文化を利用した。占領支配の正当性を喧伝するために日本語を利用した。日本の国土を利用した。日本で駐屯する米兵は日本にある酸素などを含む空気を呼吸に利用した。
何らかの政治体制が伝統文化を利用する(つまり大切にする)政策をとることは間違っているか。全く間違っていない。むしろ利用しないほうが狂っている。
伝統文化を利用しない政治体制とはどんな体制か。それは例えば支那だ。
宗教を麻薬とみなし弾圧し(すなわち利用せず)、既存の権威を破壊し全ての権威を共産党へ向かわせた。満州などでは伝統的な文字などの文化を破壊し(すなわち利用せず)、漢民族の文化で埋め尽くした。
韓国による日本へのいいがかりも、「日韓併合時代に、日本が韓国の文化を破壊した(利用しなかった)。」という主旨だ。もちろんこれは一面的ないいがかりだ。日本はハングル文字の普及など朝鮮伝統文化の保守につとめてきた。もちろん破壊した面もある。例えば朝鮮人が「日本は公的な教育制度をしきハングル文字を普及させるなどし朝鮮大衆の教育レベルを上げた。朝鮮は伝統的に大衆が読み書きなどしない身分制の伝統があるのに、日本がその伝統が破壊した。」「日本は朝鮮人に議会政治を教え選挙権被選挙権を与え議員にした。朝鮮は伝統的に身分制封建制の伝統があるのに、日本がその伝統が破壊した。」などと言いだせば、これはその通りだと認める以外にない。
アメリカ占領軍の問題点は、そもそも日本を占領支配した点そのものにある。
これは基本的な誤解なのだが、日本は無条件降伏をしていない。ポツダム宣言を受諾したに過ぎない。ポツダム宣言は実質的には軍備の解体しか記されていず、政権の全てを明け渡すことなど記されていない。「日本は無条件降伏をした」という嘘プロパにより、憲法投下などいかなる理不尽な蹂躪にも甘んじねばならないかのような気分にさせられたわけだ。
「利用した」みたいな言い草で日本を罵倒することを朝鮮人もまた好む。韓国は、日韓併合時代に日本が朝鮮に悪事のみを行ったかのような政治宣伝や教育を行っている。そういうキチガイじみた反日政策に対して、「日韓併合時代において日本は劇的な朝鮮近代化を行った」と指摘すると、「それは、あくまで日本のためであり朝鮮のために行ったわけではない。(利用したにすぎない。)」と言う朝鮮人もいる。
底無しの図々しさだ。こういう言い草は、「日本が自らの国益を眼中に入れず、朝鮮近代化のみを目的とするべきだった。そうでなく、日本は日本の国益をも眼中に入れて朝鮮近代化を行ったので良くないのだ。」と言っているのとほとんど同じである。日本が日本の国益を重視していたことが、あたかも問題であるかのようにほざいている。
あたかも母の愛を求める幼児のように日本に絶対的な無償の愛と奉仕を求める韓国人。みっともない。もう既に韓国は日本の援助で大幅に近代化し終えている。いつまでも日本に甘えるべきでない。
かつて我が国は対列強防波堤の役割を見出し朝鮮を利用した。朝鮮は近代化のために我が国を利用した。利用して良いのである。韓国人は何ら日本の手により近代化されたことを引け目に感じる必要はないし、また憎しみに裏返す必要もない。むしろ韓国人は日本を利用し近代化できたことを誇るべきなのだ。
かつては朝鮮半島は日本にとって、ロシアや支那やイギリスなどといった列強への防波堤として重要な位置にあった。そして今は、日本や米国にとって対共産圏防波堤として半島は重要な位置にある。
これは韓国の不利な点でもあるが、有利な点ともなりうる。この地勢的な状況は、はっきり言って韓国の唯一の資産だすら筆者は考える。韓国の浮き沈みは、この資産をどう運用するかにかかっている。
戦前の朝鮮人は、本来不利になるはずのこういった位置そのものをたくみに利用し日本に朝鮮を劇的に近代化させることに成功した。少なくともこういった朝鮮の先人は、馬鹿な反日騒動に終始する今の韓国朝鮮人の百倍は賢明な人間とは言えそうだ。
要するに「利用した」という言い回し雰囲気プロパが馬鹿げているわけだ。
そもそも人は人を利用して良い。
読者諸氏の多くは、おそらくは学生もしくは雇われ人などであろう。諸氏は、なぜその学校や職場に向かっているのか。それは諸氏がそういった場所に利用価値を見出しているからだ。諸氏に給与をもたらしうるという利用価値。諸氏に社会との関わりをもたらしうるという利用価値。諸氏に卒業証をもたらしうるという利用価値。諸氏に学業をなさせるという利用価値。などだ。
経営者であっても同様だ。なぜ取引先と関係を持つのか。利益がもたらさせるから、すなわち利用価値があるからだ。
読者諸氏は、あたかも蟻のように職場や学校が発する甘い蜜の臭いをくんくん嗅ぎ分け群れ集まっている。骨の髄まで利用してやろうとよだれを垂らしつつ。
そしてなんら利用して良い。
更に言うなら、我々は他人から利用価値があると思われる人間を目指すべきだ。人に役立つと言いかえてもいい。他人から「あいつはいい仕事をするので取引すると得をする」、「あいつの商品やサービスは優れているので取引をすると得をする」、「あいつの経営している会社は給料が高く安定しているので就職すれば得をする。」などと思われる人間を目指すべきだ。
道楽や遊びの付き合いでも同様だ。不愉快なヤツが相手では道楽を楽しめない。不愉快でない人柄を育むべきだ。近所付き合いでも同様だ。利用しあう、すなわち助けあうことも時に必要だ。
利用価値のある人間のところには頼まなくとも人は寄ってくる。他人との有意義な関わりを求めるのであるのなら、自らの利用価値を高めるべきだ。
人や会社や国は、人や会社や国を利用していっこうにかまわないのだ。そして人も会社も国も、みずからの利用価値を高めるべきなのだ。
言葉遊びで罵倒する発想。「おまえのかーちゃんでーべーそー」みたない幼児の発想である。
ここには
「母親は本当にでべそか」
「母親がでべそだからどんな問題があるのか」
などという思慮はまったく無く、悪意ある表現で貶め罵倒しようとする発想のみがある。その幼児の罵倒レベルのシロモノが公的媒体や教育機関でまかり通っている。
サヨクの主張であれ誰の主張であれ他人の主張を聞く場合、我々は内容そのものを冷静に把握する知恵を持たねばならない。特にサヨクは、主観的な形容表現や修飾をちりばめた雰囲気熟成プロパを得意とする。
「アメリカ占領軍はニホンをシハイするためにテンノーセーを利用したのは知っているよね。」みたいな雰囲気プロパを言われて、何やらテンノーセーなるものにモンダイセーがあるかような気分に浸る阿呆になってはならない。