2.14 サヨクは弱い人の味方ではなく、利用しているに過ぎない
[病理:弱者を反日闘争兵に]
サヨクを弱い人の味方だと誤解する人は多い。いわいる保守系の人にも。その点を疑わず、奇妙な信頼をサヨクに寄せるいわいる右翼もいる。
サヨク弱い人の味方ではない。本質的にサヨクが味方するのは自分自身のみである。サヨク自身のサヨクアイデンティティの保守やサヨクイデオロギーの宣伝要員するために、弱い人を利用しているにすぎない。はっきり言えば、サヨクは弱い人の敵なのだ。
1 サヨクは弱者に恐ろしいまでに冷酷
サヨクはおうおうに、以下のような弱い人々に対して恐ろしいまでに冷酷だ。
@ 支那共産党の圧政下で苦しめられる弱い人々。
@ チベットなど支那政府の侵略に苦しめられている弱い人々。
@ ウイグルでの支那政府による核実験の放射線障害に苦しめられる弱い人々。
@ 支那や北朝鮮などで、「ニホングンのアクジ」とか、「金正日様の偉大さ」などを口を揃えて囀らねばならない言論統制に苦しめられる弱い人々。
@ 学校で、「ニホングンのアクジ」とか、「ヒノマルはセンソーのハタ」などを口を揃えて囀らねばならな状況に、内申書を背景にサヨク教師に追い込まれる弱い学生。
@ 学校で、「自衛官は人殺しの仕事」とかホザくサヨク教師のイジメに苦しめられる自衛官師弟の弱い学生。
@ 学校で、ボーリョクハンタイサヨク教師の無能のために、陰湿なイジメにさらされる弱い学生。
@ サヨクマスコミに冤罪を押し付けられる元日本軍兵士の弱い老人。
@ 犯罪被害に苦しむ弱い人々。
@ 北朝鮮に拉致された弱い人々。
@ 北朝鮮から出るに出られない日本人妻となった弱い人々。
何か弱い人間に恨みでもあるのかと問いたくなるような有り様。サヨクは弱い人の味方なる言い草は完全な嘘なのだ。
2 サヨクのセンソーハンタイに見る弱者に対する底無しの冷酷さ
時折、「外国の侵略があったら逃げればいいのだ。僕はそうする。」などとぬけぬけと言うサヨクがいる。恐ろしく冷酷極まりない言い草である。弱者に対して。
仮に日本が支那や北朝鮮の侵略にさらされた場合、一体誰が被害を受けるのか。真っ先に被害を受けるのが、逃げられないかたわや老人、強姦対象となる女など、社会的弱者である。
そういった逃げられない、めくら、いざりなどのかたわを捨てて、真っ先に逃げることをサヨクは得々と自慢する。外国侵略軍に女を強姦させておいて、これ幸いと我先に逃げるサヨク。これが、サヨクの言う「ブリョクの放棄」、「平和憲法の理念」の実態である。
サヨクの得意フレーズ「センソーハンタイ」。これを翻訳すると、「日本及びその軍事力補完を行っているアメリカの軍事力充実ハンタイ。支那や北朝鮮の軍事力に思考停止。」というものだ。要は「支那や北朝鮮の相対的軍事力増強賛成。」ということだ。今更言うまでもないが。
我らの祖国に暮らす社会的弱者をも含む人々を守ること。それは政府の義務である。その義務を代行する存在であるがゆえ、自衛隊で働く軍人は尊い。逆にサヨクが愚劣なのは、その外国侵略などから日本国内の社会的弱者を守る自衛官を軽視する点にある。
もちろん、弱者を困らせること事体がサヨクのヘーワウンドーの最終目的なのではない。しかし、その「ヘーワウンドー」と称する日本軍事力弱体化運動の結果、真っ先にひどいめにあうのが社会的弱者であるのはまぎれもない事実だ。サヨクによる「ヘーワウンドー」と称する日本危機管理能力弱体化運動の結果、自衛隊の行動は法的に制限され続け、阪神淡路大震災による膨大な追加犠牲者を生み出した。サヨクは今後も「ヘーワウンドー」により間接的に人々を殺しつづけるだろう。
外国侵略により日本の社会的弱者がどういう目にあうのか全く思考しないサヨク。社会的弱者に対する恐るべき冷酷さ。「一体どこが日本を侵略するというのか」、「外交努力が大切です」などというセリフを放って外国侵略について思考停止するサヨク。
サヨクの本性は例えばこういう所に見え隠れするのだ。
3 サヨクは弱者をサヨクウンドーの前線兵士に消耗利用する
サヨクは子供を思想運動の先兵に消耗利用することはよく知られている。支那の紅衛兵のように。日教組教師が子供を国旗国歌ハンタイの手先に用いる例などはなんら珍しくない。学生運動の昔から、サヨクは子供を思想運動の前線に立たせる兵隊として消耗利用してきた。
サヨクは子供のみならず、日本語以前に日本の政治的情勢に詳しくない外国人、かたわ、女などをも、思想運動の手駒にすることを得意とする。彼らを、ジンケイニシキの高い人などとおだて、政治利用するわけだ。
@ なぜかハンカクウンドーのデモ行進に加わる車椅子に乗ったかたわ。
@ 石原都知事吊し上げデモ行進に加わる不法入国外国人。
サヨクが企画し、その企画をリークされたテレビ媒体などが撮影し放映するデモ行進などの映像には、↑こういうものが多い。
結局サヨクにとり重要なことは社会的弱者云々ではない。自分の政治運動や政治思想、すなわち自分の思想的アイデンティティのみが重要なのだ。つまり自分が重要なのだ。
その自分の思想的アイデンティティの前には、サヨク全体主義体制で殺される数知れない弱者の命など、サヨクにとりなんら重要ではない。
この日本で、サヨク以上に社会的弱者を踏みにじる存在はない。サヨクは弱者の味方ではない。弱者を自らの楯や槍に消耗利用しているにすぎないのだ。