2.12 サヨクの文化弾圧統制体質
[病理:文化弾圧統制体質]
サヨクはおうおうにワルイ文化とかヨイ文化とかを規定して弾圧統制したがる。きもちわるい発想だ。文化を統制するということは、人間を統制するということだからだ。
そういったサヨクの文化弾圧統制体質について記す。
1 文化政策の分類
文化政策(文化に対する政策的な取り組み方)は、おおまかに以下のように類別できる。
(1)革新的な政策
政府が積極的に政策的に文化を改めていくべきという考えにもとずく政策。
伝統文化の評価 :愚かな陋習が多い。愚かな陋習かどうかを政府が判断し、愚かな陋習と政府が判断した文化については破壊し改めてやる必要がある。
新しい文化の創造:民衆に自由な文化活動を認めると遅れた陋習を復古させたり、悪しき退廃文化を作り上げたりしがち。政府が正しい文化を創造し民衆に与えてやるべき。
文化統制 :愚かな民衆が遅れた陋習を復古させたり、悪しき退廃文化を作り上げたりしないように監視する必要がある。そういう反動分子は矯正し時に粛正する必要もある。
教育する文化 :愚衆が培った陋習を教える必要はない。子供たちには政府が進歩的な文化を示し教えていくべき。
(2)保守的な政策
政府は民衆の培った文化を謙虚に保守していけば良いという考えにもとずく政策。
伝統文化の評価 :先人の偉大な知恵である。政府は保守していかねばならない。
新しい文化の創造:政府が創造し民衆に与えるなど僭越。文化の創造は民衆にまかせれば良い。
文化統制 :民衆の文化活動を監視統制などするべきでない。政府は民衆が行う文化活動を妨げないようにするべきだ。伝統文化の保守以外には国策上有益と思える文化活動を補佐する程度にするべきだ。
教育する文化 :子供たちには民衆が培った伝統にもとづく文化を教育するべき。
社会主義諸国では(1)の政策がとられ、自由主義諸国では(2)の政策がとられる。(1)のもっともひどい例は支那の文化大革命である。毛沢東率いる紅衛兵は支那全土において、数百年数千年前から続く仏像などあらゆる文化財を破壊しまくり、愚かな陋習の継承者とみなした人間など数千万人を虐殺した。
サヨクはこういった文化大革命支那政府などのお達しに忠誠を発揮し、こういう社会体制をおおむね愛している。
政府がとるべき文化政策は、ひたすら謙虚に民衆の培った伝統文化を保守し、また民衆が作り上げる文化活動をできるだけ阻害せず時に補佐する程度でいいのだ。文化の在り方などを政府ごときがご指導ご鞭撻くださる必要はないのだ。
もちろん国営放送によるテレビドラマ製作なども筆者は否定する。
2 サヨクの文化評論にある恐るべき紋切り型
サヨクはよく映画や書物やゲームなどあらゆる文化の評論を訳知り顔で行う。その評論内容はおそろしいまでに紋切り型である。おおむね内容そのものの出来栄えとは無関係な評論である。
サヨクにありがちな紋切り評論の例
@ ダンジョビョードーを訴えている→よい作品
@ ニホングンの行ったセンソーのヒサンサを訴えている→よい作品
@ ボーリョクテキ→わるい作品
@ テンノーセーをサンビしている→わるい作品
@ ケンリョクシャ(なぜかサヨク権力はこれに該当しない)と戦う人々を描写している→よい作品
@ ジンケンに配慮しない用語が用いられている→わるい作品
このオンオフデジタル思考はほとんどアホである。文化の善し悪しは何かの政治宣伝を行っているかどうかなどと全く無関係なのだ。あたりまえのことだが。
読者諸氏の中には映画や音楽や書物や絵画や舞台やゲームなどのいずれかを好きな人もあろう。読者諸氏が、なぜそれを愛好するに至ったのか。「なにかの政治宣伝を行っている作品なので良い」などと考えたからではないはずだ(中には「カムイ伝は階級闘争を描いたものだから良い」みたいな分かってないトンチキクンもいるだろうが)。
サヨクによる文化紋切りボケ評論の具体例を以下に記す。
文化紋切りボケ評論1:天皇陛下ご即位十周年記念式典へのX−JAPAN参加にうろたえボケ評論
天皇陛下ご即位十周年記念式典に人気ロックバンドX−JAPANなどが参加した。日本有数のビッグバンドの参加にうろたえたサヨクは、例によって以下の紋切りモードのボケ評論を展開した。
@ テンノーセーをサンビしている→わるいバンド
@ ケンリョクシャ(陛下がこれに該当するらしい)と戦っていない→わるいバンド
演奏した内容と全く無関係なボケ評論を奏でまくっている。頭が奇怪な政治思想でパンクしてハードにデスメタル状態だ。
サヨク「ああ、X−JAPANはハンケンリョクだったのにテンノーセーをサンビしているうう。ロックのココロを忘れてしまったのかしら。ああ元に戻ってよおお。」
仮に日本がサヨクが支配する支那みたいな社会体制であったなら、X−JAPANのメンバーは自己批判を強制され時に粛正されるのだろう。(というか支那ではロックミュージック自体が禁止されているのだが。)
文化紋切りボケ評論2:あるサヨクのばかげたドラゴンクエスト批判
ドラゴンクエストとは子供たちや若者なら誰でも知っている人気コンピュータゲームだ。多くの敵と遭遇し倒して力量を上げ、最後の敵を倒すというもの。このゲームに、あるサヨクがイチャモンをつけた。
「ドラゴンクエストは敵とのハナシアイがないからダメ」
わ、わ、笑っては気の毒。↑これは福島某というサヨク国会議員のドラゴンクエスト評である。
何かのアニメーション映画(題名を忘れた)において怪物と意思疎通を行う場面があった。そこで感動をしたと訴え、それに引き換えドラゴンクエストはそういった意思疎通がないのでダメとの論旨だった。
誤解のないように記すが、筆者はドラゴンクエストを批判してはダメなどと主張しているのではない。ドラゴンクエストを好きな人間もいようし嫌いな人間もいよう。別に批判しても賛美してもかまわない。
記しているのは論評内容の並外れたトンチキぶりである。ゲームなど文化表現の内容を評論する場合に、「敵とのハナシアイがないからダメ」などと記す底抜け脱線トンチキぶり。
全く分かっていないことすら分かっていない「かしこさ1」のサヨクロードが、おうおうに文化をめちゃくちゃにする。自分にはあらゆることを論評するナシガシカの見識があると思い上がった「かしこさ1」が。そして方々の文化に対してこういう大恥評論の呪文を唱える。
そして更にそれを真に受けてメダパニ状態になる「かしこさ0」のサヨクパピーがいたりする。
かつて支那では毛沢東(サヨクロード)が紅衛兵(サヨクパピー)を支那全土に放ち、殺戮と虐殺が渦巻くドラクエワールドへと変貌させた。文化大革命だ。
3 サヨクの言葉狩り体質 [執筆日:H12/4/15]
サヨクが得意とする文化弾圧の一つは、言葉狩りだ。
@ 石原都知事による「三国人」という言葉を用いたことへの、狂気のような吊し上げ。
@ 支那と書くな言論弾圧。
なんでもこれらの言葉はサベツテキだからダメらしい。話にならないいいがかりだ。いかなる用語も差別的に用いられる場合がある。
アメリカ人、インド人、かしこい、馬鹿、おもしろい、へんな、かわった、などいかなる言葉であっても、差別的な言い草の文脈で用いられる可能性がある。
例えば、在日米軍基地に反対する近隣住民による言い草。
「アメリカ人の兵隊が来ると、治安が悪くなる。」
↑これはどう見ても明瞭な差別発言である(事実ではあるが)。
ちなみに、筆者は差別的であるかどうかなどより、事実であるかどうかを重視するのでこの発言を肯定する。例えば「黒人がアメリカの治安を悪くしている。」のような発言でも。筆者は、アメリカゆずりのサヨクのような偽善的なジンケン主義には立たない。事実は事実として語られるべきという発想だ。
とはいえ、規律ある兵隊なんぞより六本木あたりでたむろするアメリカ人のほうが、余程治安を悪くしているのもまた事実だ。
アメリカ人という言葉が差別的に用いられている。だからアメリカ人という言葉は禁止などとは、サヨクといえども言うまい。
いかなる用語も差別的に(差別をするにあたって)用いられる場合がある。差別的に(差別をするにあたって)用いられた言葉だから使うなどという論法は、そもそも間違っているのだ。
言葉もまた大切な文化である。かたわ、めくら、おし、ちんば、いざりなどの伝統的な言葉が「体の不自由な人」などの奇怪な言葉に置き換えられている。昔のテレビ番組を収録したビデオなどに、大量の鋏が入っている。まともな所業ではない。文化への敬意が全く不足した思い上がった所業だ。
こういった三国人と言うな支那と書くな言論弾圧とは文化大革命の日本版なのだ。
4 サヨクの文化論や文化政策にある狂気
以上に例示したサヨクのボケ評論や言葉狩りにあるのは
「何かの政治宣伝を行っているかどうかで文化の善し悪しを判断する狂気」
「文化(=民衆やその祖先の営み。すなわち民衆そのものやその祖先そのもの)に対する思い上がり」
である。
「何かの政治宣伝を行っているかどうかで文化の善し悪しを判断する狂気」とは、「政治的価値や政治的意味付けで文化の善し悪しを判断する狂気」と言い換えることができよう。こういう連中(サヨク)が政権を握ると(1)の社会体制となる。
こういった政治的評価で文化の善し悪しを論じる病理は底無しの独善性をもつサヨク政治家独特のものだ。例えば自由民主党の議員などがある文化を、「自由主義的でないからダメ」「民主主義的でないからダメ」などいうボケ論評をする例はまずない。
昨今(平成十三年)、サヨクは扶桑社の教科書を検定通過させまい、採用させまいと文部省や教育委員会に対して狂ったような圧力をかけている。かつて文化大革命で膨大な書物を焚書にし焼き払った支那共産党のように。扶桑社の教科書を教室から焚書すべく常軌を脱した悪宣伝を繰り返している。こういう狂態が発生する理由とは、サヨクが上記の狂気におかされているためなのだ。
5 ある政党が文化弾圧統制体質の持ち主かどうかを知る方法
ある政党や政治組織が、上記の文化弾圧統制体質に犯されているかをどのようにして知ることができるか。それは皇室への考え方を知れば分かる。
皇室は日本におけるあらゆる伝統文化の中核をなす存在であり礎である。政治組織や政治家などの文化政策や文化に対する考え方を知るには、皇室をどのように見据え評価しているかで最も顕著に知ることができる。皇室すら否定する政治組織であるなら、他の日本文化などいとも簡単に干渉添削修正弾圧迫害を行うであろう。
ある政党や政治組織がテンノーセーハンタイとなるには、
政府による文化統制を肯定する発想:政府が民衆の培った文化の善し悪しを判断し改変する行為を肯定する狂気
民衆への思い上がり:民衆が生み出した文化(つまり民衆そのもの)に対する思い上がり
が必要である。上記条件を完全に満たした者のみが、テンノーセーハンタイに陥ることができる。これはすなわち(1)である。
具体的には共産党とか社民党の一部とかである。
共産党は最近、文化大革命でおなじみの共産党一党独裁国家支那政府への接近を始めている。かつてはあらんかぎりの罵詈雑言で罵倒し合っていたにもかかわらず。わざわざ支那に出かけて、支那事変当時支那人日本人を大量に虐殺した支那共産政府を相手にニホングンコクシュギのシャザイを行うなど。類は友を呼ぶというやつだ。
読者諸氏の中には映画や音楽や書物や絵画や舞台やゲームなどといった文化を好きな人もあろう。もし仮に(1)の社会体制(政府が政治的に文化の善し悪しを判断し弾圧する社会体制)となれば、もちろんそういった文化のすべてが政府による干渉添削修正弾圧迫害対象となる。
@ ボーリョクテキ→わるい作品
@ テンノーセーをサンビしている→わるい作品
@ ジンケンに配慮しない用語が用いられている→わるい作品
@ 敵とのハナシアイがない→わるい作品
@ 社会主義に反対している→わるい作品
@ 共産党政府を暗に批判している→わるい作品
@ ナンキンダイギャクサツの嘘を看破している→わるい作品
@ ムカシの悪いシャカイタイセーの伝統を受け継いでいる→わるい作品
こういった幼児のような論法により。
6 総括(サヨクは人間よりイデオロギーを大切にする)
文化とは人間の営みである。「人間の営み(皇室など文化)は尊びませんが、人間は尊びます」などという発想は成り立たない。人間の営み(文化)を尊ばないということは、人間を尊ばないことに等しい。
政治的価値や政治的意味付けてで文化の善し悪しを判断する発想とは、文化よりイデオロギーを優先させる発想である。つまり人間よりイデオロギー(憲法とかナントカ主義とか)を優先させる発想だ。
こういう発想だからこそ、サヨク権力の総本山である支那では政府のイデオロギーに当てはまらない大量の人間を殺しまくった。また日本のサヨクも、外国の軍隊や災害により殺される人々の命よりもヘーワケンポーを大切にする発想を得意とする。
サヨクとは、人間(の営み=文化)よりイデオロギーを優先させる狂気をもっているのだ。
サヨクは文化的な意味からも百害あって一利なし。潰さねばならない。