左翼がサヨクにさよく時 - 2 サヨクの心理

2.11 サヨクが目茶苦茶な論法をする理由

[病理:論理破綻]

 サヨクの論法は普通の常識人から見るとにかくヘンなものが多い。
 「推量が多い」、「そもそも何を提起しているのか解らない」、「結論のみを繰り返す」、「根拠がないもしくは貧弱」、「そもそも根拠が根拠になっていない」、「そのかわり感想が多い」、「主観的な形容表現が多い」、「あからさまな二重価値基準」などだ。
 サヨクによる珍妙な論法を例示し、かつなぜサヨク論法がおうおうに珍妙なシロモノになるのかを考察する。

1 サヨクの論法

 以下にサヨクの愉快な論法を列記する。読者諸氏は反面教師として参考にして欲しい。

サヨク論法1:二重価値基準

 ダブルスタンダード(いわいるダブスタ)とも言う。ある基準を特定の側にのみあてはめ、別の側にはあてはめない一貫性の欠如した論法のこと。

 サヨクの主張はほとんどがダブスタである。ダブスタでない主張をすることがむしろ希だ。支那政府による圧倒的な人権侵害を看過するジンケン主義。支那政府によるチベット植民地支配を看過するニホングンショクミンチシハイ告発。支那の核実験やその被爆者を看過するハンカクウンドー。共産支那の平和を乱しまくる行為に思考停止するヘーワウンドー。サヨクは常にダブスタ状態にあるとすら言っても間違いではない。

 以下にサヨクのダブスタ体質が最もわかりやすく現れている例、核武装についての支那と日本に関するダブスタを列記する。

ダブスタ1:

 日本の核兵器所持については発言段階からヒステリックに反対。西村議員核武装論議発言に対し、西村議員の役職を辞職に追い込む狂態もその実例。
 その一方、今現在の支那政府の核武装を看過。もしくは遠慮がちに核を持つべきでないとごくまれに一応主張してみる。そんな訴えで核武装をやめるわけがないことを承知の上で。

ダブスタ2:

 支那の核兵器は、米軍の核兵器に対応するためのものなのでしょうがないと主張。米軍が核武装をやめれば支那も核武装をやめるだろうと主張し、支那核武装の責任を外国に転化。
 日本の核兵器の所持は、支那の核兵器に対抗するためであってもダメ。日本の核武装は外国の核武装が原因と転化しない。

ダブスタ3:

 支那や北朝鮮の核兵器の脅威を感じないと主張。
 日本の核兵器の所持は諸外国の脅威となると主張。

ダブスタ4:

 日本は「非核三原則」とか「平和憲法」を保持すべきだと主張。
 支那には、「非核三原則」を議決し、戦力放棄の「平和憲法」を制定すべきだと主張しない。とにかく支那の核武装に完全思考停止する。

 軍事に関するダブスタは、冷戦時代から続くサヨクの伝統である。

 そもそも伝統的な左翼思想である社会主義事体がダブスタである。社会主義者は、シホンカと称する存在にはとんでもない性悪説を唱えながら、労働者の権力とやらには神か仏のような性善説をとなえる。以下のような。

* 資本家(生産手段を私的に所有する存在)
 自分の利益のみに執着するブタ。生産手段を所有する立場を利用し、労働者が生み出した利益を徹底して搾取する。
* 労働者の権力(公的に所有された生産手段を管理する存在)
 ひたすら社会や祖国のために働くエライ人。公的に所有された生産手段を管理するという立場を利用して搾取するなど全くない。

 ↑人間観において、あからさまにダブスタだ。
 ちなみに旧ソ連などでは公的生産手段を管理する立場にある存在(共産党大幹部から工場の監督者まで)は、徹底して公財産を盗み搾取しまくった。

 サヨクはその祖先である社会主義者の時点から既にダブスタなのである。社会主義者はサヨクに退化して、ダブスタ体質という劣性要素が更にデフォルメしたわけだ。

余談:支那の軍事パレードに参加し「パワフルで勢いのある『中国』を実感しました」と賞賛した社民党土井たか子氏[執筆日:H13/1/17][病理:ダブスタ体質]

 ヘーワケンポーをマモレ−をスローガンに日本の軍事力弱体化に情熱を燃やすことで知られる社民党&党首土井氏。土井氏率いる社民党は狂的な軍備拡大&チベット侵略植民地支配虐殺&日本近海軍調査船徘徊&対日核ミサイル装備の共産支那を平成十一年九月に訪問した。
 さて、「平和」を愛する社民党土井氏は、諸外国の平和を根底から乱している共産支那の暴挙について非難したか。もちろん全く非難などしていない。完全に沈黙した。おまけに非難するどころか何と共産支那の軍事パレードに参加し↓こういう感想を語った。

土井氏「国慶節のパレード(筆者補足:天安門広場を戦車やミサイル車などの兵器が行軍する軍事パレード)には、全国各省の代表が来て、農民、労働者、そして科学者が加わっていました。これは、『科学技術は第一生産力』という江沢民主席の打ち出したスローガンにもとづいて、強力にアピールするという姿勢の現れでしょう。建国五〇年を記念する儀礼的な式典に止まらず、参加している人たちのエネルギーを感じました。天を衝く怒濤のようなパワフルで勢いのある『中国』を実感しました。」
(以上は「保坂展人の突風行脚の記」より抜粋したもの。社民党保坂氏の記したこのページは、支那の暴虐の数々に思考停止しおまけに共産支那と共に日本非難を行うという社民党おなじみの共産支那参りの記録である。読んでみたが共産支那への忠犬ぶりしか見えてこない。わざわざホームページに立ち上げているが、自分の忠犬ぶりが自慢なのか。筆者などは↑この土井発言のようないいネタを貰えて感謝すらしているが。)

 何も付け加えることはない。これが社民党&党首土井氏にとっての、ヘーワなのだ。

余談:全く逆の前提から同じ結論になるサヨクの核武装反対論[執筆日:H14/7/7][病理:論理破綻]

 サヨクは、そもそも日本が主体的にどうあるべきかを論じるよりも、外国の権威付けで主張する事を好む。核武装論においても同様だ。核武装軍拡国家支那による「日本の軍事大国化をご懸念」ネタ以外に、アメリカを核武装反対論の権威付けに利用したがる。ただ興味深いことに、核武装反対サヨクはおおまかにアメリカ押付論者、アメリカ従属論者の二種類に別れるのだが、それぞれ正反対の前提から全く同じ結論になっているのだ。

アメリカ押付論者の日本核武装反対論要約

 前提1:日本の核武装論はアメリカの策略、押し付けによるものだ(アメリカは日本に核武装させようとしている)
 前提2:日本は国防面での対米依存をやめるべきだ(日本は国防面で対米依存をしなくとも国を守ることができる)
 結論:日本は核武装するべきでない

アメリカ従属論者の日本核武装反対論要約

 前提1:日本の核武装をアメリカは許さない(アメリカは日本の核武装を望んでいない)
 前提2:日本は国防面で対米依存なしに国を守ることができない。米国の命令には従う以外にない。
 結論:日本は核武装するべきでない

 アメリカ押付論者とアメリカ従属論者の両サヨクの主張は前提が全く逆でありながら、全く同じ結論(日本は核武装するべきでない)へとなだれこんでいる。なんじゃこりゃ。

 例えばそれぞれの前提2を入れ替えれば、↓こうなる。

 前提1:日本の核武装論はアメリカの策略、押し付けによるものだ(アメリカは日本に核武装させようとしている)
 前提2:日本は国防面で対米依存なしに国を守ることができない。米国の命令には従う以外にない。
 結論:日本は核武装をする以外にない

 前提1:日本の核武装をアメリカは許さない(アメリカは日本の核武装を望んでいない)
 前提2:日本は国防面での対米依存をやめるべきだ(日本は国防面で対米依存をしなくとも国を守ることができる)
 結論:日本は核武装することは可能だ

 アメリカ押付論者は、アンポハンタイ系の伝統的なサヨクである。共産党などがこれだ。
 アメリカ従属論者は、占領軍の犬となった奴隷根性を脈々と受け継ぎ、単なるアンポハンタイ論では民衆を扇動できないことを理解した「現実派」の仮面をかぶったサヨクである。本質的にはアンポハンタイ系と同根の連中だ。
 いずれにせよ「自国軍事力の弱体化=共産支那相対的軍事力強化」を目指す連中であることに変りはない。

 「物は言いよう」と言うが、全く逆の前提から同じ結論になるサヨクの核武装反対論はその典型例だろう。

 まあ何にせよ今後は、

 前提1:支那の核武装を日本やアメリカやインドなど、支那の周辺諸国は許さない
 前提2:支那は経済面で対日依存なしに国を成り立たせることができない。日本の命令には従う以外にない。
 前提3:支那は核攻撃力をふくむ軍事面で日本や米軍にかなわない。日本や米国の命令には従う以外にない。
 結論:支那は核武装をやめるべきだ

 という流れにするべきだ。日本が誠実に核武装を含む国防努力をすることで。

余談:ダブスタをさえずる者に権力を与えてはならない(教科書検定内政干渉により国の公正さが試されている)[執筆日:H13/3/16][病理:ダブスタ体質]

 ダブスタ体質とは公正性の欠如から生じる。
 自分の身内であるからとか思想的傾向が同一であるからとか地域の有力者であるからとかにより、ある規範を適用したりしなかったりする体質の人間。こういう者がある組織の権力者となれば、その組織はその権力者に私物化される。
 ぬけぬけとダブスタをさえずる者に権力を与えてはならない。何はともあれ権力者に必要な要件は公正さなのだ。

 公正さの欠如した権力者をわかりやすく例示する。例えば↓こういう教師だ。

「キミはニホンのセンソーハンザイを告発する意識の高い立派な子だ。百点をあげよう。」
「キミはニホンのセンソーハンザイについて疑問視する悪い子だ。0点だ。」

 読者諸氏が学生なら、↑こういう教師に学びたくはあるまい。試験結果を公正に評価せずに、教師と思想的傾向を同じくするかどうか(要するに好き嫌い)で成績を決める教師に。
 公正さとは権力者にとって最も重要な要件なのだ。

 そもそも法治国家の目的は公正な(平等ではなく)社会の実現にあると言い切ることができる。法を定め、その法を地主であっても小作人であっても大金持ちであっても浮浪者であっても名士であっても無名の者であっても官僚であっても民間人であっても政府関係者の身内であっても他人であっても同等に適用することで公正な社会を実現することにある。
 ある裁判官がある芸能人の犯罪について「社会的影響が大きい」などと言って重刑に処していた。とんでもない話だ。「社会的影響」なるものを裁判官ごときが考慮する必要は無い。芸能人だからと言って特に重くする必要も軽くする必要も無い。判例にもとずき公正に裁けばいいのだ。だいたい、その芸能人は公共媒体による報道の繰り返しにより社会的制裁は受けていた。わが国にこういう公正でない裁判官の存在することに、やりきれなさを感じる。公正でない裁判官になど存在意味は無い。

 最近(平成十三年三月)の教科書外圧騒動に見る、↓こういうあからさまなサヨク(社民党)のダブスタ。

@ サヨク偏向に満ちた家永教科書→文部省の検定は表現の自由を侵すものでありハンターイ
@ 新しい教科書を作る会の教科書→文部省は検定を通すなあ

 このわかりやすいダブスタぶりはほとんど漫画だ。この程度の論理的整合性をとる知力も無い言い草が、サヨクマスコミや大江健三郎などサヨクの間で、わが国ではある程度まかり通ってしまうことに毎度毎度やりきれない気分がする。底なしの馬鹿だ。
 ↑こういうダブスタ連中にいかなる権力も与えてはならない。↓こういう社会体制になりかねない。

@ 共産党大幹部の身内の犯罪→反動勢力のでっちあげだあ。無罪とする。
@ 共産党の政敵による同様の犯罪→許しがたい大罪だあ。極刑とする。

 サヨクが愛する共産支那はまさに↑こういう社会体制である。
 共産支那のように、共産党大幹部もしくはその身内であるなら、訴えられず裁かれず労せずして政府中枢の役職を得て公財産を私物化できる不公正極まりない社会。そういう社会を嫌うのであるなら、ダブスタサヨク政治家そして官僚を政界から一刻も早く権力の座から駆逐する必要がある。

 そして今、文部科学省にその公正さが試されている。「キンリンショコク(要するに韓朝支トリオ)の影響」なるものを「考慮」し、特定教科書のみを検定不合格にするなどという不公正極まりない暴挙を行うかどうかが。
 万一政府文部科学省が共産支那の恫喝に屈し、政府組織の存在意義とも言える公正さを投げ捨てるなら、自民党にとって取り返しのつかない結果になるだろう。間違いなく土下座朝貢外交にぶちキレ寸前の納税者国民や、自民党支持保守層の票は更にごっそり他政党に流れていくだろう。それ以上に国民にとって取り返しのつかないことになるのだが。

 ダブスタをさえずる者に権力を与えてはならない。ダブスタ妄言の要因が思想的偏向にあろうが論理構築力の欠如にあろうがその両方であろうが。
 権力者に最低限必要なのは何はともあれ公正さなのだ。

サヨク論法2:サイクリック論理

 根拠が結論になり結論が根拠になるグルグル論理。

* 支那は差別語だ。
 そう考える根拠。
* 支那政府及びその監視下にある人間が支那を差別語だと主張しているから。
 なぜその主張を正当だと考えるか。
* 支那は差別語だから
 そう考える根拠。
* 支那政府及びその監視下にある人間が支那を差別語だと主張しているから。
 なぜその主張を正当だと考えるか。
 :
 :

 だめだこりゃ。

サヨク論法3:外国政府の権威で主張する外患論理

 サヨクは、外国政府の権威を被って大騒ぎし、国内の日本人を攻撃するクセがある。これは冷戦時代から続く伝統的なサヨクの外患体質だ。

 サヨクはひたすら

 「支那政府様(あるいは北朝鮮韓国:キンリンショコク)のご理解が得られないいい。」
 「支那政府様(あるいは北朝鮮韓国:キンリンショコク)がご懸念だああ。」

 などと大騒ぎし続けた。もちろんこれは現在も続いている。時に支那政府の御懸念を勝手に先回りしてでっちあげて大騒ぎする場合も多い。
 他者の権威をかさに居丈高に威張る卑屈なイソップのキツネみたいな連中だ。胸が悪くなる。

 くわしくは「3.8 サヨクにある支那政府への忠誠心」に記している。

2 なぜこんなにもサヨクの論法が目茶苦茶なのか。

 以上の例を読むと誰でもこりゃおかしいと瞬時に理解できる。誰でも解ることがなぜサヨクには解らないのか。サヨクの論法が目茶苦茶である理由を以下に列記する。

目茶苦茶である理由1:サヨクは主張の珍妙さに価値を見出しているから

 サヨクの最終的な目的は「ボクはイシキの高いエライ人間だあ。」と訴えることにある。
 当然、主張の内容はどこにでもある凡庸なものであってはならないことになる。普通人が主張しない珍妙な論法や意見を話してこそ、自分をあたかも特別に意識の高いエライヒトと信じることができる。
 自分を特別視したいという心理は、おうおうに「私はUFOを見た。」「私は霊が見える。」「私はナンキンダイギャクサツが歴史的事実であることを知っている。」という妄想へと導く。

あ:霊魂が見えない→霊感の低い凡人。
い:霊魂が見える→霊感の高い優れた人間。

 という発想。上記の発想に著しく取り付かれると、おうおうに以下のような経路を辿る。

1:自分はい:だと信じたい。自分をどこにでもいるつまらない凡人だと思いたくない。
2:その結果、「私は霊を見た。」と妄想。
3:他人から根拠を問われる。
4:そもそも妄想であるため根拠は存在しない。
5:目茶苦茶な論法で証明する羽目になる。

 ということだ。
 サヨクの発想も完全に同じである。

あ:ナンキンダイギャクサツを知らないもしくは否定するヒト→ジンケンイシキの低いヒト。
い:ナンキンダイギャクサツを知っておりかつハンセーするヒト→ジンケンイシキの高い立派なヒト。

 上記の発想に取り付かれた場合も、おうおうに以下のような経路を辿る。

1:自分を意識の高いエライヒトだと信じたい。自分をどこにでもいるつまらない凡人だと思いたくない。
2:その結果、「私はナンキンダイギャクサツが歴史的事実であることを知っている。」と薄弱な資料から妄想。
3:他人から根拠を問われる。
4:そもそも資料が薄弱であるため根拠は弱い。
5:目茶苦茶な論法で証明する羽目になる。

 おまけに

6:また2:の妄想を打ち砕き自分を凡人だと認めるハメになるあらゆる資料に思考停止。

 ともなる。

 つまり自分をジンケンイシキの高いエライヒトと信じさせてくれる妄想がまずあって、それの根拠探しは後作業となっている。そのため目茶苦茶な論法で証明する羽目となるのだ。

目茶苦茶である理由2:支那政府などへの愛におぼれているから

 愛は人を盲目にする。
 サヨクは、支那や旧ソ連の相対的軍事力強化を計るための日本の軍事力弱体化を何が何でも進めたいがため、ワケがわからなくなっている。支那政府への愛におぼれ、何が何でも支那政府のお達し(支那と書くな言論弾圧など)に加担したいがために混乱しまくっているのだ。

目茶苦茶である理由3:頭が悪いから

 というか、サヨクが並みの頭、あるいは並み以下程度の頭しかないからと言うべきかもしれない。
 論理的に一般性のある言葉で筋道を辿って、自分なりに説得力を持った形で証明するという作業。実はこれは結構困難である。誰にでもできるものではない。
 筆者を含む多くの人々は、従来からあった論法を口移す程度のことしかできない。せいぜいそれにいくぶんかの小細工を行うという程度だ。
 これが普通なのである。

 ところがサヨクは頭が悪いくせに(というか普通もしくは普通以下のくせに)、何か自分が独創的な論理を組み立てる能力のある賢者と信じ込みたがっている。よって懸命に自分がナニか偉大な存在であるかのように思わせてくれる根拠薄弱な珍論を振りかざす。
 しかしモトが単なる頭ワルイクンの珍論なので、根拠を尋ねられてもまともな証明にはならない。その結果目茶苦茶となる。


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