国体創造 - 4 様々な提言

4.10 年金辞退者、健康優良老人を顕彰せよ

[執筆日:H29/9/9]
あなたは28521人目の国体創造者です

 日本の財政問題とは、膨大な年金問題であり、老人医療の問題である。毎年とんでもない支出であり、増加傾向にある。
 これの増大を緩和する案を提案する。

1 年金辞退者を顕彰せよ

 膨大な資産を持ち、さらに膨大な収入のある老人が年金を受けている有様に釈然としない人は多いだろう。10万円にも満たない年金で細々と暮らす老人がいる一方で、年収1000万の老人にも同様に支給する有様には、何か非人間的なものを感じる。
 とはいえ、高額年収の人間には、支払いをやめろ、とまでは言わない。年金掛け金を支払ったのでから、受け取る権利があるのは当然だ。

 そこで、年金受給を辞退できる制度を設け、辞退者には行政が顕彰する制度があればいいと思う。受給する権利があるのもちろんだが、同時に自ら辞退するのも勝手だ。

 年金辞退者には、辞退期間に応じて等級をつけ、それぞれ異なる顕彰をするのがいいと思う。例えば、

一年以上辞退者:感謝状送付(感謝状は辞退した年毎に来る)、希望者のみ官報に記載
三年辞退者:年金記念碑に小さい字で名前を残す権利
六年辞退者:年金四等勲章、中学校での感謝式典への出席の権利
十年辞退者:年金三等勲章、小学校での感謝式典への出席の権利
15年辞退者:年金二等勲章、福祉官僚からの表敬訪問
20年以上かつ最多年辞退者:年金一等勲章、行政の長からの表敬訪問
30年以上かつ終生辞退者(死ぬまで一度も年金を受け取らなかった):年金記念碑に大きな字で名前を残す権利

 本人の希望により、年金辞退者の氏名を記念碑に残せるようにするべきだ。記念碑は公園や役所の庭に設置する。名も無い一介の住民であっても、ある程度年金を辞退するだけで、永久に名前が残り続ける栄誉を得ることができるのだ。
 小中学校にて、若い世代から年金辞退老人に感謝する式典を行うのがいいと思う。この式典の中で、高潔な老人に接することで、子供たちは、自分たちもまた年金辞退老人同様に子孫のために行動しなければならないという意識を持てるようになると思う。

 この案への批判として以下がありえる。

(1)予想される批判1:年金を辞退できるのは金持ちだけであり、これは金持ちを顕彰する制度だ

 金持ちが金持ちとしての社会的責務を果たすのは重要なことだ。金持ちは慈善で虚名を得て、貧者はその慈善を受ける、という状態になって、誰が損をするのか。誰も損をしない。皆が得をする。金持ちはおだてて、カネを出させりゃいいのだ。

(2)予想される批判2:収入の高い老人に、高収入なのに年金を受け取っている、という圧力が周囲からかかるようになる

 かければいいのだ。どんどんかけろ。掛け金を払っている以上、当局が年金を払わないようにする、という選択肢は無い。したがって、金持ちが年金を貰い続けることで、隣近所から噂のタネになり、実質的に受け取れなくなるように誘導する以外にない。また、年金をあきらめた高収入老人には、徹底的におだてればいい。

2 健康優良老人を顕彰せよ

 老人医療費の削減のために、健康優良老人を認定し、顕彰する制度を設けるべきだ。
 健康優良老人の定義は以下である。

条件1:前年度、病院で診療行為を受けていない。
条件2:前年度、健康診断を受けており、各種数値が規定の範囲内である。
条件3:家族親族からの診療依頼が無い。
条件4:本人からの健康優良老人認定証の申請がある。

 これらの条件を満たした老人は、健康優良老人として認定証が送られる。また希望者は官報に記載される。
 さらに、認定された年数に応じて、認定証に記載する等級を変えるといい。例えば、

一年:健康優良老人 初段
二年:健康優良老人 二段
 :
十年:健康優良老人 師範一級
十一年:健康優良老人 師範二級
 :
二十年:健康優良老人 翁一級
二十一年:健康優良老人 翁二級

 条件2と3は重要である。この制度により、頑固に病院に行かない老人が出る可能性がある。それを阻止するために、顕彰対象となるためには、単に病院に行かないだけではダメで、自己管理し健康である必要があるようにするといい。
 これらの認定証として、例えば柔道着のような帯として支給し、色別で等級を示すのもいいと思う。本人が誇りを持って周囲に顕示できるような何かがいい。大きすぎず、スポーツをしている時に装着しやすいものがいいだろう。バンダナやリストバンドという手もある。受領者自身が選択できてもいいだろう。

 例えが乱暴だが、これは自動車のゴールド免許制度や車検制度に似ている。ゴールド免許を取るためには、一定期間、事故や違反を起こさないことが必要である。また自動車に乗るためには、定期的に車検を受ける必要がある。

 社会的なコストが少ないままに、人々が健康に長生きできるのなら、それは何にも増して結構なことだ。
 これらの案は、全てさして費用を要さずに実現できる。

 これらの制度を行う場合、注意するべき点がある。それは、これらの顕彰者に対して、後の年金支給額の増大や減税など、当局は特典、実利を一切与えてはならない、ということだ。それを与えた瞬間、この制度の栄誉としての性質が消滅する。個人的利益を省みず、後世代の利益に貢献したがゆえに、顕彰に値するのだ。

3 老人が尊敬される社会を復刻せよ

 かつて老人は尊敬される存在であった。長年の知恵を有し、それにより若者を導く存在だった。
 しかし今では時代の移り変わりは速く、老人が持っているスキルは瞬く間に陳腐化する。おまけに今では政治的にはお荷物扱いである。現代では、老人が尊敬される場は限定的である。

 何年か前に、世代間闘争に関わり、興味深い出来事があった。大阪の橋下徹氏が、大阪都構想をあげて住民投票を行ったが、老人票に阻まれ構想を実行できなくなった出来事だ。老人達は、都構想が実現するとバスの無料券が無くなるというアジテートに怯え、都構想に反対した、という見方もある。その見方をする人間からすれば、老人が、自分世代の利権を守り、若者世代から毟り続けようと必死になる有様に見えるだろう。中には「老害」と批判する人もいた。
 さらにある世代は、旧日本軍兵士だったご老人を「侵略者」「虐殺者」と喧伝、教育してきた。こういう自分が祖先を何一つ尊敬しない連中からすれば、子孫をいたわるなど思いもしないことだろう。祖先を罵倒する喧伝や教育を垂れ流した連中が、子孫からの税金収奪にいそしむのは、むしろ当然のことである。ようするに、子孫も祖先も関係ナシで、てめえの利権だけに頓着するクズだ。

 「自分の世代の利権ばかりに頓着する老人」と、「その老人を『老害』と罵倒する若者」から成る社会を脱却して、「子孫のためにどうすればいいのかを思慮し行動する老人」と、「その老人を尊敬する若者」から成る社会へと変わっていく必要がある。
 老人と若者が憎み合い奪い合うのではなく、助け合うのが本来のあり方である。老人に長命の罰を与えるような政策ではなく、子孫のために行動できるようにする政策が必要だ。

 「(若者から)貰えるものは貰っておけ」の発想ではなく、「若者のために辞退できることは辞退する」発想が、老人には必要だ。そしてその発想を、くみとり、生かせる制度が必要だ。


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