国体創造 - 3 国防に関する提言

3.5 中高年が軍隊に入隊できるようにせよ

[執筆日:H12/12/16]

1 軍隊には失業者対策の側面がある

 昨今、中高年の失業者が増えているという。失業者が増えているのなら軍隊に活用すればいい。そもそも軍隊とは失業者対策の側面もあるものなのだ。
 世界のほとんどの国では失業率十%以上である。不景気と言われながら失業率五%などという極楽トンボな国は我が国位だ。好景気といわれるアメリカがちょうど失業率五%だ。そういった多くの若い失業者を放置すれば時に愚連隊となり社会の治安を乱しかねない。
 そして軍隊はメシつき宿つき給料つきという、失業者や浮浪者の多い国の若者にとってはなはだ条件のいい職場である。少なくともメシなし宿なし給料なしという職無し状態よりはマシだ。いかに軍隊が過酷な場所であっても。
 また軍隊は健康でさえあれば、どんなロクデナシでも受け入れる。軍隊には、いかなるロクデナシであっても真人間に矯正する教育的な力がある。軍隊は、愚連隊となり社会不安の要因となりかねない失業者の若者に職を与え矯正する教育機関でもあるわけだ。

 失業者がいるのなら軍隊に活用すればいい。失業者対策が軍隊本来の役目のひとつなのだ。

2 中高年兵の肉体能力の欠如は徹底した機甲化で補え

 しかしながら中高年が肉体能力が劣るのは事実だ。そういった肉体能力の欠如を、徹底した機甲化で補うことはができないだろうか。荒唐無稽と笑う者もいるかもしれないが。
 従来機甲化しにくかった部署のひとつが歩兵であろう。人間の肉体にはきわめて高い機動性がある。森だろうが、草原だろうが、砂漠だろうが、浅い川だろうが、少々の崖だろうが人間はどこでも移動できる。歩兵の強みはそこにある。木々の茂った密林を移動できる自動車や戦車など存在しない。
 従来の技術ではそういった場所を移動できる乗り物は不可能だった。せいぜい車輪で平地を走ったり、浅瀬のない水上を櫓やスクリューで移動したり、沼を空気圧で浮上する程度だ。しかし現在はロボット技術に発達により、ある程度人間の機動性に近い乗り物が可能だ。今後さらに人間の機動性に肉薄し、時に越えるものすら出てくるだろう。
 そうった乗り物に乗り移動するようにすればいい。例えば防弾ガラスに覆われた車椅子に6本程度の節足が生えたようなもの。平地は車輪で移動し、階段や森は節足で移動するわけだ。またそれに乗っていれば、対人地雷なども屁でもない。歩く必要のない歩兵だ。
 また行軍を無人の自動ロボットに先導させれば、トラップなどを検知できる。ロボットが身代わりにトラップにひっかかってくれるわけだ。ベトナム戦争でアメリカ兵は、さんざんベトナム兵のトラップに悩まされたという。

 つまりロボット化超ハイテク化により、中高年兵の肉体能力の欠如を補うわけだ。

 もちろん今後も若者の兵士は重要である。潜入や斥候や工作員など、今後も機甲化の困難な部署もあろう。また戦闘機のパイロットのように、高い運動能力反射神経を要する部門もある。そういう部門は若者にまかせ、例えば空軍ならば戦闘機の保守や管理、物資輸送などで援護する部署につけばいい。
 もちろんパイロットの経験のある中高年なら操縦桿をまかせてもいい飛行機もあるだろう。中高年には、職業上の長い経験がある。それを生かした部署に配属するといい。

 そして機甲化ハイテク化により、軍隊はかっこよくなる。若者を集めるには実はこれが重要だ。戦前若者があこがれたのは戦闘機のパイロットである。圧倒的にカッコイイからだ。そしてそれはある程度の素養と努力でなれた。
 現代では戦闘機のパイロットになど、万にひとつ程度しかなれない。ごくわずかの人間にしかなれない。残りは地道な整備などの要員だ。もちろん整備も大切な仕事だが、これでは戦闘機に乗りたさに若者が集まるなどありえまい。
 しかし機甲化した大きなロボットマシーンに搭乗出来るとなると話は違う。若者にとって魅力ある職場となる。そんなマシンがあれば筆者とて乗りたい位だ。

 かっこよさとは虚栄である。軍人は時に命をかけて戦うことを要求される。金ごときのために人は命をかけない。虚名虚栄、すなわち栄誉こそが軍人が求めるものなのだ。
 軍隊を虚名虚栄を満たす場所にしなければならない。例えば徹底した機甲化により。
 もちろん超機甲化ハイテク化には当然多くの予算が必要だ。筆者は国防予算を四倍程度にするべきだと考えている。

3 祖先を毀損してきたクソであり続けた我々戦後の日本国民には、クソでなくなる機会が必要

 この戦後日本国民という豚たるや、てめえが豚たることにあきたらず、命を捨てて東亜を解放させ祖国を守った祖先にあらぬ冤罪を押し付け教科書にまで記すなど、徹底して祖先までを毀損してきた。豚というよりクソだ。動物未満である。犬畜生でも恩義を忘れない知性がある。
 クソがクソでなくなるには、中高年になった後にでも軍隊に入るなどして祖先の苦労をいくぶんかでも理解するしかない。それでようやく祖先に冤罪を着せ外国に売り渡してきた罪の、ごく一部のみがあがなわれる。それでも特攻隊に志願した若者の恐怖や苦痛の百分の一程度にもなるまい。

 クソであり続けた我々戦後の日本国民には、クソでなくなる機会が必要だ。
 クソは死ぬときまで電車に飛び込んでダイヤを乱し皆に迷惑をかける。敵艦に体当たりして死んだ先人の逆である。終始一貫してクソ人生で幕を閉じるのはやりきれなかろう。死ぬ前ぐらいクソから人間に成り上がるべきだ。
 軍隊に入れば成り上がることができる。責務と権利の関係を理解する人間のレベルに。軍隊にはクソから人間に進化するための、あらゆる地獄の訓練が待ち受けている。重装備を背負って何十キロメートルもの行軍訓練などだ。体にこびりついた戦後のクソを洗い落とす訓練の数々。

4 我々が中高年になった時に軍隊に入れる仕組みが必要

 既に職業についてしまった人間には社会的な責任が生じ気軽に軍隊に入るなどできない。我々が中高年になった後軍隊に入れる仕組みが必要だ。
 今後ますます高齢化は進む。また医療の進歩により健康な高齢者は増える。おまけに技術の進歩により中高年の働き場所は更に狭まる。少子化により若者の軍隊志願者は更に減る。ならば健康な中高年が軍隊に志願できるようにすればいい。

 それに軍隊という場所で死をかけて国を守るなどという仕事は、本来若者より大人がやるべきことのような気がする。若者を盾に大人が守られるという従来の国のありかたは、根本的なところで間違っている気がする。軍人に強力な肉体能力が要求された時代なら若者に国防まかせることには、それなりの合理性があったが。今はもう剣や槍で戦う時代ではない。軍事技術力の戦いとなる時代だ。ならば中高年にも可能な職務も多いはずだ。

 人はいずれ死ぬ。病院で体に管を巻きつけ、延命治療の医療費により健康保険料負担者や家族に莫大な負債を押し付け死ぬのが幸せとは断じきれまい。また敵艦に体当たりをして死ぬのが不幸とは断じきれまい。死ぬ前に祖国に報じるのも悪くはなかろう。
 死にがいを与えられぬ国家は生きがいを与えられない国家と同じく不完全なものだ。


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