左翼がサヨクにさよく時 -

自分の文章への反論に、非常識な嫌がらせで応じた元朝日記者

[執筆対象:朝日新聞本多勝一]

 報道とは恐ろしいものである。身に覚えの無い報道をされたあげく、自殺に追い込まれた人もいる。
 朝日新聞昭和五十五年九月十三日朝刊に「同志社大教授 催眠療法でいたずら?」「『裸にされた』少女訴え」と題する記事がに掲載された。その報道の対象となったS教授は、テレビ番組「ウイークエンダー」に取り上げられるなど、マスコミによる吊し上げの標的にされた。ところが、これが極めて根拠薄弱な記事だった。同志社大教授は「マスコミの力は強い。ああ一斉に報道されると、生活にも困ってしまう。紙の剣で殺されるとはこれであろうか」という内容の遺書を書いて自殺する。

 仕事で人殺しを行う業種は、民間では暴力団以外には朝日記者のみだろう。

 その朝日の元記者に、本多勝一氏という人物がいる。名前の知れかた、及びその体質から朝日を象徴する存在に思えるので紹介する。

 ベトナムが北ベトナム軍に侵略統一された後、南ベトナムのカントー市にある永厳寺という寺で十二人の僧侶が集団自殺をする。共産政府への抗議の自殺である。
 これについて本多氏は、著書「ベトナムはどうなっているか」(朝日新聞社刊)において、「サイゴン当局の捜査によれば、色気違い坊主による単なる無理心中事件。」と発表。
 この本多氏の著述について、元東京学芸大学教授の殿岡昭郎教授は、昭和五十六年五月号「諸君」において、「本多氏はハノイのスピーカー役を果たしている」と批判。殿岡教授は、ベトナム統一仏教会最高委員会のマン・ジャック氏と会い、真相を聞き、焼身自殺直前の勤行を録音したテープを入手し、心中などでなく共産政府への抗議の殉教である確証をつかんでいたのだ。
 さて、これにより、殿岡教授と本多氏の間で、殉教自殺か心中かという学術論争が始まったか。全く違う。逆上した本多氏は以下の挙に出た。
(1)「諸君」編集部へ、殴り書きの人格攻撃はがきを送付し、掲載を要求。

(2)本多氏が連載する「貧困なる精神(昭和五十六年九月号)」において、「敵を攻撃するときの文章作法」と題し、匿名扱いの殿岡教授を、「馬鹿か無能」「物笑いの種」などと罵倒。

(3)殿岡教授が勤める学芸大学当局に「公開質問状」と称する手紙を送り続ける。内容は、「殿岡氏のような程度の低い教授が一度任命されれば、もはやこれを罷免する権利はどこにもないのでしょうか。」という類。本多氏自身の程度をよく表現した内容だ。
 学長や教授会幹部は、「無礼な手紙に答える必要はない」とし無視するが、これから三ヶ月後、殿岡教授は学芸大学を退職する。殿岡教授は本多氏の手紙とは無関係と言っているらしいが、これは大学関係者を気ずかってのことだろう。
 本多氏の意図は成功したのだ。

(4)「諸君」の発行元文芸春秋や殿岡氏を相手取って、損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こす。本多氏は、ハノイ当局の見解を伝えただけなのに、それが本多氏本人の見解であるかのように執筆した点が、名誉毀損と主張する。
 そもそも、記者たるものが、他人の見解を伝えただけと居直る発想が腐っている。これは、「わたくし本多は事件を伝える際に、信憑性を考慮したり、裏を取ったりする能力がありません。」と言っているのと同じである。無能は本多氏なのだ。
 本多氏は、裁判中、殉教自殺か心中かはという争点からは避け続ける。平成四年二月二十五日、東京地裁民事三十六部において「本多氏の取材内容の信憑性を疑ったことは相当の根拠があった。」とし、本多氏の請求を棄却する判決がおりる。

 自分の意見に反対するヤツは敵と位置づけ、反論ではなく陰湿なイヤガラセで応酬。典型的なサヨクである。
 出典元:朝日新聞に内部崩壊が始まった 塚本和博著 第一企画出版

 なお、「4.1.1.朝日新聞報道年表」にも本多氏に関する記述はある。

参考ページ:本多勝一研究会ホームページ

 本多勝一氏について体系的に研究している。本多氏が「忍法、社会主義政府当局の見解たれ流しの術」の使い手であることが解る。