7.4 我々戦後の日本国民にはサヨクを笑って済ませる資格はない
本文に記されたサヨクによる卑劣で愚鈍でチンケな醜態の数々。実に陰惨ではあるが、その天然ボケぶりは大笑いである。サヨクの価値は唯一、天然ボケで世の中を愉快にするピエロとしての価値のみだ。おおいに笑えば良い。ボケはツッコミがあって笑いとして引き立つ。本文はそのツッコミの役目を果たしている。よって、本文はサヨクにある唯一の価値を引き立たせている内容といえる。サヨク諸氏は筆者に感謝してもらいたいものだ。
ただ、世の中にこんな馬鹿な連中がいると単純に笑って済ませる資格は我々戦後の日本国民にはない。
サヨクによる陰湿な元日本兵イジメのありさまを見て見ぬふりをする我々戦後の日本国民は、イジメを楽しむサヨクと五十歩百歩である。トンチキサヨクを嘲笑うのはおおいに結構だが、そのあと自らを省みるべきだ。こういった腐った連中といったいどこが違うといえるのかを。悪を見逃すのもまた悪なのだ。
終戦直後、昭和天皇の玉音放送にあった「耐難きを耐え、忍び難きを忍び」という一節。耐難き事とは、てっきり占領軍による蹂躪(じゅうりん)を指していると思われた。もちろん占領軍による悪辣な蹂躪も耐難き事だったが、耐難き事は占領政策の後にも続いた。サヨクによる元日本兵の冤罪捏造と嘘宣伝による徹底した元日本兵イジメである。
これに対して、多くの元日本兵は沈黙を続けた。敗者は多くを語らないという、潔い武士道だ。こういう高潔なあり方は、実は本来我が国では最も尊いあり方である。真のあるべき日本人の姿と言ってもいい。まさに耐難きを耐えたのだ。
こういう高潔な日本軍兵士の方々や昭和天皇に対して、我々戦後の日本国民はどのように言うべきだったか。それはこうである。
「もう耐え難きことに耐える必要はありません。日本軍兵士のかたがたの戦争により、あまりに長い欧米列強による支配から東亜は解放され、日本も独立を保てました。いわれのない冤罪の苦しみや処刑にあまんじる必要はもうないのです。帝国軍人であったことに胸を張って下さい。多くの亡くなられた戦友の方々は祖国をそして全アジアをそして世界中の有色人種を救った英雄なのです。あらぬ罵倒に耐える必要はもうないのです。」
こういうセリフは隅でわずかに聞かれるのみだった。戦後の日本国民による日本軍兵士の方々へのセリフはこうだった。
「今後とも耐え難きことに耐えろ。我々はあらゆる捏造をし、歪曲をしててでもおまえたちの戦争を貶めてやる。おまえたちは未来永劫、天皇に騙された馬鹿としてさげすまれ嘲けられる続けるのだ。例え死んでもおまえたちは罪を犯した虐殺者強姦者として全否定され耐え続けなければならないのだ。犠牲者はただの犬死だ。」
「耐難きを耐え、忍び難きを忍び」というセリフは日本軍兵士と苦楽を共にした昭和天皇のみに許されるセリフだ。これを戦後生まれの日本国民は、ぬけぬけと日本軍兵士に延々と命令し続けた。外交上の打算などにより。
とにかく日本軍兵士の高潔さはサヨクの有利に働いた。元日本兵の高潔な沈黙を利用して、サヨクはあらゆる嘘、捏造を大量に散布した。高潔な生き様は、ある程度の高潔さをもつ相手にのみ理解できる。サヨクという下衆の極みにある存在には、いかなる高潔さも誠意も無意味だ。それが政治宣伝を行う上で有利と考えれば、他人の高潔さをいともかんたんに踏みにじるのみ。
そしてその耐難きことを押し付けたまま、我関せずと放置した我々戦後日本国民。元日本兵の我慢の上にどっかりあぐらをかいて、近隣諸国に土下座してひたすら金もうけ。なさけない話だ。
誤解のないように記すが、筆者は元日本兵の高潔さを批判しているのではない。元日本兵の高潔な生き様を汲み取る義侠心の欠如した戦後日本国民と、高潔さを利用し続けたサヨクの下衆を批判しているのだ。
我々日本国民は、戦後五十年間延々とサヨクによる日本兵イジメを放置してきた。これは戦後日本国民のぬぐいがたい原罪である。こんな卑劣は日本の歴史上存在しなかった。我が国はあらゆる社会体制に変貌してきたが、支那の革命政府みたいに旧体制で生きた人々の苦労をつるし上げる思いあがりは存在しなかった。戦後日本国民は、こういった偉大な祖先に顔向けができず、更に子孫からも唾棄されるような所業を終戦以来繰り返してきたのだ。
この原罪に目をむけその病根であるサヨクを駆除することによってのみ、この原罪をわずかながらでも償うことができるのだ。