ドイツの法学者カール・シュミットは、憲法学はたんに法文の字句だけの解釈に拘泥することなく、目の前の「憲法現実」という現実的情況を常に反映していくべきだと唱えました。この論によれば、例えば国家が本当の危機に瀕したときは、憲法典の記述をまったく無視して為政者はフリーハンドの政策を取れることになります。
まったく正しいことであり、為政者や政治決断にかかわる政府首脳は、現実の政策を遂行する過程で、憲法なぞの一字一句にとらわれずに、ほんとうに最善の政策を選択すべきです。国民を守るという要請にこたえるためには、当然のことです。
だいたい、現在の押し付け憲法自体が完全な違憲です。論議の余地はありません。というのも、昭和押し付け憲法は、一応、明治憲法の改正手続きのもとに発行したかのような外観を取っていますが、
明治憲法一条
大日本帝國ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
三条
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
に完全に反しているからです。つまり、昭和憲法は、明治憲法の正規の改正法としては存在し得ないものであります。これについて、人権屋を含む法学者はめちゃくちゃな論を立てて正当化しようとしており、例えば「1945年8月15日には日本に革命が起こった。その革命が原因ならば明治憲法の改正として成り立たないはずの昭和憲法が成立できて当然」などといっています(私の知る限り、8月15日に日本に革命が起こったなどということをいっているのは憲法屋だけで、特に歴史学者も社会学者も全員が否定する内容のものであろう)
以上のような内容は、ほとんどすべての憲法の本に書かれています。
日本を戦前の様な一等国にしなければだめだ。まず憲法を改正を急ぐべし。
日本国憲法は押し付け憲法という論法は正しいと思います。憲法におけるサヨクの論法は全く理論がなっていないと思います。
サヨクは日本の軍政下に置かれた満州国や汪兆銘を非難する。軍国主義、侵略主義の象徴とでも言いたげな論調で。だが、彼らは軍人であるを頂点とする組織であったGHQを旧日本軍ほど非難していない。放送、出版の検閲を批判する人もいないわけでは無いが、日本国憲法という民主憲法を制定したことが、日本の民主主義に検閲などの占領政策を帳消しにするくらい大いに貢献していると主張する。
この論法はおかしくはないか?軍政という点において、旧日本軍とGHQは全く同じである。当時、他国による憲法の押し付けは「民族の自決権」という国際慣習法において違法であった。軍国主義を批判するなら、何故GHQを非難しないのか?GHQは日本を再びアメリカの敵とならざるために日本国憲法9条を加えたのではないか。おまけに、GHQのスタッフには憲法の専門家も参加していなかった。他国による憲法を押し付けが問題ないのなら、ソ連の影響下に作成された東欧諸国の憲法も何ら問題ないことになる。
結果として、旧憲法より民主的憲法になったからいいではないか、という意見もある。その主張が正しいとしても手続きが不当であれば、独立を果たした時点で再度民意を問うべきである。
つまり、サヨクは民主主義国と称するから派遣された軍人が、国の最高法規たる憲法を押し付けても問題ないらしい。一方である国の軍事行動を一切禁止しようとしている。これはダブルスタンダードというやつではないか。
この論法が正しいなら、建前で民主主義をとなえて、自分が正しいと思えば、法律、憲法、国際法を無視して好き勝手なことをしても構わないことになる。つまり、日本国憲法の手続きを不当であるとすら言わない人は(上にあげたような)無法者ということになる。
サヨクのアジテートは、ご指摘の点も含め全てにわたって完璧なまでにダブスタです。むしろダブスタでない意見がまれだと思います。
また「建前で民主主義をとなえて、自分が正しいと思えば、法律、憲法、国際法を無視して好き勝手なことをしても構わないことになる」というご指摘。まさにこれがサヨクのミンシュシュギです。現憲法の導入経緯に思考停止している時点で、まさにこれを自白しているのと同然なわけです。
憲法は国防できない問題があるが、すぐれているところもある。とりあえず政府修正案よりはましだ。勝てば官軍負ければ賊軍。
私とは憲法の問題について、貴殿とは意見の一致をみないようであり、ざんねんに思います。
現行の憲法に巣食う問題はそも、憲法教育の不足によるものであり、制度(憲法)それ自体が粗製濫造のものであるとは、私には思えません つまり、現在の9条の学説は戦後直ぐ、民主的な制度下で育った学者・裁判官等が存在しない時期に確立されたものであり、現在にいたってもなおこの古く、国家無答責(国家体制=平和主義をまもるためであるならば何をしてもしてもいいのである)的な立場によって発表された学説を後生大事に守らざるを得ない空気。またそれに則った教育にあると考えるからであります。
憲法における最も重要な、すべての解釈の幹となる条文はこの国が国民国家である以上、国民の生命・自由・財産を最高の価値とする(これを個人の尊厳=個人主義という)13条であります。 このことは諸外国(共産圏を除く、Reson=最高の価値、それは共産党およびそれに所属する人々)においても同様で議論の余地のないものであります。
よって私は現在の改憲論には疑問を呈さざるを得ません。所詮憲法とは生き物であり、それを運用する人間次第ではどのようにも歪められてしまうものであるからです。憲法問題に関する判断を下すのは選挙によって選ばれる人々ではなく裁判官という官僚であり、また裁判官に影響を与える世論(そしてそれを操作するもの)であるからです。
結局は憲法を変えるよりも、我々国民の一般家庭から国家と個人のかかわりを丹念に子弟に教えていくほか、迂遠ながら道は無いのではないでしょうか。
国民の生命・自由・財産が重要だという点には賛同しますが、なぜ「個人主義」なるものが国体運営上の最上の価値なのか不明です。また前提と結論が結びつきません。「13条が最上の価値」という前提なら「13条を第一条にすえた憲法に変えるべき」という結論になるべきだし、「憲法とは運用する人間次第ではどのようにも歪められてしまうもの」(この意見には賛成しますが)という前提なら、例えば「憲法は不要」という結論になるはずです。更に文章のいかなる部分にも「結局は〜」の結論の根拠となる記述がありません。
コメント読みました。 非常に残念です。13条は9条よりも貴い、この一番大事なことを貴殿が理解してくれなかったとは・・・。ああ。もうこのページは読みません、あほくさ。
「9条より尊い」などという表現ほどあほくさいものはありません。「うんこより臭くない」と自慢するようなものです。そもそも現憲法は前文段階から全部だめなのです。ああ。もうこのページを読まないで下さい。
日本は、経済的な成功のために失ったものが多すぎますね。優しい強い人たちの国をつくることを目的として、政治も経済も、教育も運営して行かなければならないと思いました。
まずは塊より始めなくてはというのは、絶対正しい意見であると思います。
「自国のために力を尽くすは世界のために力を尽くすことである」と言っていた人物がいました。
この言葉はこの不況時に重要視されるべきである。政府はビッグバン等のようなことよりも、自国産業を外国から守るために力をつくすべきだ。
コメの自由化には反対する。食糧自給率の低さは情けない。我々、日本人は出来る限り国産品が多くなるように力を尽くす必要があるとおもう。
教育では、グローバルよりも、自国のために力を尽くすことをおしえる。
沖縄のお嬢さんをワスプのお供物に2度としないために、日本の真の独立のために、真剣に考えねばならないとおもう。
現今の主な政治問題は、上部に於いては盲目的金権主義による総合的国益を無視した行い、中部及ぶ下部に於いては日本独特の思い遣りや気遣いの伝統的精神の薄れ乃至欠落で有る。何故所謂サヨクや自虐的輩と呼ばれて居るものは自己否定を求めて止まないので有ろうか。現今を否定し正体不明乃至現実離れの「新たなるもの」を夢みて生きて行くもの達の斯様な態度の動機とは何か。
「やってて楽しければ、そんなに悪い事じゃ無い」と思わせ、満足せしむ考えの根に有るものは何か。二十世紀の近代化により生の一般化が成った。戦前、戦時中の若者達は死に甲斐を求めて努めた。戦後の若者達は生甲斐を求める。
もはや、我国の伝統的精神的基盤は若者達の要求の重さに耐えられなくなったのだろうか。本質的に無根拠な進歩的思想に依存して居るもの達は今や意識内の無底の泥沼にはまった。少しずつ彼等は現実から落ち離れて行く。現実から想像の世界へと引っ張りこまれて居ると知らず知らず乃至進んで思い込んで、自らはまって行く。哀しいものだ。
我が国は戦後ひたすらイジメラレッ子だったがもう一日も早くマトモな国になるべきである。
その為今の我々大人が二十一世紀に生きる子供達が肩身の狭い思いをしなくて済むような国造りをするべきである。その為にはやはり憲法改正が絶対必要であると思います。
何故我が国が有色人種の国の中で唯一近代化し世界的にも類希なる裕福で恵まれた国になれたのか、それはやはり先人達が頑張ってくれたからではないのでしょうか?特に明治期の政治家たちの血の滲むような努力には本当に頭の下がる思いであります。
彼らに恥じないような国造りをする事が今の我々に課せられた使命であると思います。
私が思うに、革新系は周恩来に、保守系はマッカーサーに洗脳されたままの、頭の治療が必要な政治家しかいないと思う。
森さんの神の国発言は、逆にまともな日本人の証明であり好感を持った。時代錯誤と発言した政党が最も時代錯誤なのは当たり前なので腹も立たないが、平和ボケ人権ボケ平等ボケ人間の多さには、憤りを感じる今日この頃である。
私が政治家だったら、馬鹿は刑務所に直ちにぶち込み、公共の交通機関で殺人するような奴は、その場で射殺できる国にしたい。
昭和20年から7年間日本は占領されていた。アメリカは日本に民主主義を注入した。今日の日本はアメリカ様のおかげだとも言える。
だが同時に、軍国主義につながると勝手に決め付け、日本の伝統、文化を壊した。だから日本人は神の国と聞いただけで軍国主義と答えてしまうわけだ。今、天照大神を知ってる奴さえいない。
大化の改新から千年の間、日本は神の国だった。それが昭和20年から、しかもアメリカに勝手に変えられたのだ。許せんことだ。これに気付いたなら神国日本を復活せねばならん。中国ごときになめられるような国ではないのだ。
日本は今ヤバイと思う。はやく普通の国になって欲しい。
全くその通りだと思います。
私は現在17歳です。年齢を傘にして、言い訳をするつもりもありませんが、この年齢で「天皇万歳」や「大日本帝国万歳」という思想がすっと受け入れられるはずもありません。また、私の年齢は既に「浅間山荘事件」が、歴史上のものすなわち過去のものと感じられる世代ですので、正直に申し上げて「戦争賛成と言う極右でなくどうして左翼が人殺しをするのだろう。」と不思議に思ってしまうくらいなのです。
あと、憲法については余計に難しい問題なので少し書きにくいのですが、あくまでも個人的な意見にとどめて書きますと、現在の高校生が使用している政経の教科書では、割合「日本国憲法は押し付けではなかった。」という説が主流であるように思います。現に、私の学校で使用している教科書でも、「日本国憲法は、憲法研究会が作った草案をマッカーサーが参考にし、GHQ草案にしたようである。」というような書き方になっていました。どうやら、必ずしもそうであったとはいえないようですが、もしそれが事実であるとするならば平和に対する意識を持って日本人が敗戦直後にすぐ何か形にしたというのは驚くべきことであると思うし、それを参考にして草案を書いたにも関わらず、現在日本に軍隊を持つようにというアメリカの論理は一貫性がないような気もするのです。
私は、できるだけ右寄りにも左寄りにもなりたくないと思ってはいますがもし平和を願うのが左寄りだといわれるのなら、そうかもしれないなとは思っています。なんにせよ、まだまだ勉強不足で色々と調べなくてはならないと思っています。このページでも色々と勉強させて頂いてありがたく思っています。
「戦争賛成と言う極右でなくどうして左翼が人殺しをするのだろう。」についてですが、そもそも「戦争賛成と言う極右」なる存在自体がサヨクが作り上げたファンタジーに過ぎません。存在するとするなら「軍備により戦争抑止を訴える人」と、「戦争反対を訴えることで日本の軍事力(及びそのバックボーンである米軍の軍事力)のみを弱体化し、支那北鮮の軍事力を相対的に強化したいサヨク。その下準備の上、対日戦争を起こさせ支那に『解放』してもらいたがるサヨク」の二種類です。おおまかに言えば。
また教科書上の記述についてですが、今の教科書にはとんでもない嘘八百が記されています。教育界そのものが根本的に病んでるからです。どう病んでいるのかは、「4.現代日本に巣食うサヨクの具体例」の官僚編をご覧下さい。また、どう嘘八百があるのかは、「3.2 『平和憲法を守れ』にあるバレバレな嘘」等をご覧下さい。
かつての欧米列強の植民地支配とは「現地住民に軍備を持たせず軍隊を駐屯し支配する」というものです。現地人に軍備やら教育やら与えると宗主国への反乱につながります。現憲法とは、その植民地支配の手法をマニュアルにしたものに過ぎません。今現在、米軍の軍事植民地支配が大成功し、また支那等への資産の搾取(ODA)などが大成功しているという現実を見据える必要があります。軍隊を駐屯され国の財産を収奪される存在とは、植民地以外の何者でもないのです。欧米列強と支那による植民地支配は、今現在日本に対して継続中なのです。そしてその日本植民地化を生み出している根本原因が、「憲法第9強:植民地主義 日本は陸海空軍等の軍備を持たず軍事植民地支配を永久にこれを受け入れる」が実質的な文面である条文なのです。
「平和を願う」のは結構なのですが、東トルキスタンやチベットや満州の人々は、今現在平和も自由も領土も人権も命も共産支那に奪われています。日本に「平和、平和」と騒いで日本の軍事力を弱体化をさせている連中とは、そういう国家もしくはその腰巾着(教科書を選んでいる場合もある日教組や全教も含め)であるという事実を忘れないで下さい。
最近、アメリカがイラク攻撃の後にGHQの日本占領を手本にした占領方式でイラクを民主化するとのたまっていましたが日本人としては実に腹の立つことです。しかもバカなアメリカ人がテレビに出てきてイラクは戦前の日本と同じだなどと言っていましたが、これを平然と放送できるマスコミにはほとほと呆れました。
もちろん、自分としてはイラクや北朝鮮の独裁体制など滅びてしまってもいっこうに構わないのですが、アメリカの喧伝する「民主化」は戦後の日本のサヨクの暗躍にみられるような惨状からすれば実に疑わしいものです。(ただし、最近のバカサヨクみたいに平和、平和とは言うつもりはありません。)あくまでも自分は日本の国益が第一です。果たしてイラク攻撃の後にはアメリカのイラク版サヨクは発生するでしょうか?
ブッシュ氏のその言い草は腹立たしいものですが、同時にある意味興味深いものでもあります。ブッシュ氏はまさしく日本のサヨクと同じ主張「戦前日本暗黒時代論」「米国が解放した」論に立っています。この論をもってブッシュ氏はイラク攻撃を正当化しています。サヨク諸氏は「戦前日本暗黒時代論」「米国が解放した」論が、イラク攻撃はおろか米国によるあらゆる国家への侵略と占領と憲法投下を正当化させているという事実を認識するべきでしょう。