たとえ負けが分かっていようが闘い抜くのがレジスタンスというものです。それは「勝つ」ことではなく、「抵抗」することに意義があるからです。「勇敢に抵抗した」という記録を残せればそれでいいのです。
沖縄の神風特攻隊の抵抗が無意味というなら、全ての「抵抗」はこれからもずっと無意味だ。日共の「反基地闘争」なんてガキの遊び。たかが市民運動ごときで何ができよう。
「中国は戦勝国」という彼らの主張はまさに虎の威をかりるキツネだ。実力もないくせに、イヤーな奴ですね。そこまでアメリカに頼っていて「アメリカの覇権主義を中国が阻止する」「日米ガイドライン反対」などとぬかしているのだからあきれる。
天皇陛下に対してはとくに肩を持つわけではないけど、戦争犯罪者呼ばわりされるのはあまりにも気の毒と思います。
だいたい大東亜戦争は、ほかに外交的な選択肢が無くやむを得ず起こしたものです(国民の支持の下で)。それを天皇陛下一人の責任に帰して、自分たちは善人ぶるという行為は、正義などでなく卑劣な行為です。
それを百歩(万歩?)譲って認めるとしても、彼らはなぜ我が国をここまでおとしめることができるのでしょうか。どんな国でも(北朝鮮ですら)、他の国より自分たちの国を、大事にするのは当然のことです。
大東亜戦争は香港における軍票問題、捕虜の取り扱い問題。これらの問題があるため、一概に賛成しがたい(欧米列強がこれよりもっとひどいことをしたという比較論で論じるべきではない。日本軍が行った問題に関してはたとえ相手国から賠償請求放棄があっても、日本の歴史を認識し悪かったことに関しては謝罪の気持ちを持つべきだ)。
私は戦争は「勝ってなんぼ」と思っております。ですから日本が負けた戦争は肯定できません。
日本軍兵士の方々が大東亜戦争を戦われ戦死され、また戦後は祖国復興に努力されてもたらされた平和と豊かさ。それを貪りつつ、「勝ってなんぼ」などとぬけぬけと断罪する戦後日本人の思い上がりは更に肯定できません。
初めまして。18歳の男子学生です。
僕が左翼問題興味を持ったきっかけは、やはり「太平洋戦争」についての問題です。従軍慰安婦、南京大虐殺、強制連行等、小中学時代の図書室にある日本史を扱った本に必ず載っていました。それまでは「日本軍はこんなに悪い集団だったんだ」と思っていましたが、祖父が実際に体験した「ソ連への強制連行」を聞いてから疑問を持つようになりました。内容は割愛しますがそれを聞いて思ったことは、ソ連の方が極悪じゃないか? ということです。それからは原爆についてもそうでした。
「仮に日本が史実にあるように極悪集団であったとしても、一般市民を殺していいのか?」
と、思うようになり教科書が胡散臭く思えてきました。ルパンの台詞ではありませんが、歴史は教科書どおり動いてないと思いました。
日本の左翼は滅ぶべき。今はそう思っています。
サヨクはあらゆる史実を隠蔽歪曲しています。しかしご祖父のように実際に軍務を体験なされている身近な人々の声(NHKなどサヨク媒体に出てくる『元兵士の声』などでなく)をうかがうと、サヨクのインチキぶりがあまりに明瞭になります。
大東亜戦争を従軍されたご祖父のおっしゃる内容など、こういった本当の生の声は戦後一貫して媒体上では隠蔽されてきました。しかも近年特に元兵士の方々がご高齢になられ亡くなられる方も増えてきたのに比例して、サヨクの嘘歪曲でっちあげの分量が増えているようです。「死人に口なしでっちあげやり放題だあ」とばかりに。特にNHKなどで。
支那や北朝鮮や日本の教科書には「史実」と証明されていない、いかがわしい内容が大量に記されています。また重要な史実が意図的に削除されています。
削除されているのは、「共産支那による支那周辺国への侵略支配と膨大な虐殺という史実」「文化大革命など共産支那の虐殺恐怖政治という史実」「それを賛美した日本人がいたという史実」「大東亜戦争を契機に東亜諸国が欧米列強の植民地支配から解放されたという史実」「占領軍による支配が言論弾圧恐怖政治そのものであったという史実」「現憲法はそういう社会体制の中で投下されたものだという史実」「支那やアメリカなど占領軍の行ったインチキ裁判で多くの無実の兵士が殺されたという史実」などです。
腐った「史実?」を撒き散らす一方、重要な史実を完全に隠蔽するサヨク。少なくとも公教育の世界からは滅ぶべきですね。
私は大筋に於いて筆者氏に賛成なのですが、アメリカによる原爆投下、これについては非難することに反対です。その理由として、
1,当時、アメリカはドイツに対して千機爆撃などという、いかにも単純馬鹿なアメリカ的発想で一つの街を千機の爆撃機で「消す」という作戦を遂行していました。これを日本でもやっただけ、だと思われます。グアムから日本本土までの距離と英国からドイツまでの距離、また連合軍が使える機構上の数等を勘案すれば原爆使用という選択肢もある意味当然だったと思います。
2,ホウシャノウについて解っていなかった・・・・つまり、ニューメキシコで原爆実験をした際、「爆心地に向けてトツゲキィ〜」という訓練を行っていたのです。アメリカが原爆を単に「強力な爆弾」としか捉えていなかったことの証左でもあります。
3、使う以上、試したい。貴重な原爆を使うのですから、最大限の軍事的、科学的、政治的効果を追求するのは当然です。その結果「人体実験」の要素を含んだこともあるでしょう。
4,トルーマンの政治的立場・・・・原爆を使わずにアメリカが本土決戦を敢行し数十万人の犠牲者が「余計に」出て、さらに戦後、「実はこんなん(原爆)ありました・・・・」などと「最終兵器=勝利の切り札」があることがはっきりすれば、トルーマンは死ななくても済んだアメリカの若者を無用に殺した、殺人者として米国民に糾弾されます。さらに、当時は原爆について現在のような知識・理解が一般国民は当然、政府首脳にも殆どなかったであろう事を考えればその本当の恐ろしさを知らずに原爆を使ってしまったのは仕方がないそして、最後にこれが最も重要ですが、
5,米国による原爆投下をあまり強く非難すれば、日本は将来に於いて核武装の正当性を失いかねない。日本はいつまでも「犠牲者」でなければならないのです。糾弾者になってしまっては自己の選択肢を狭めるだけです。
また、誇り高い(?)日本人として、支那や南北朝鮮人のような浅ましい糾弾者になり下がることに対する精神的な嫌悪もあります。ま、これは個人的な問題ですが。
例え日本に原爆が投下されなくても、遅かれ早かれ原爆は2〜3回は使われたでしょう。たまたま日本は運悪く2度も投下されてしまったのですが・・・・
実物を見てその威力を初めて実感し、理解するのはいつの時代も同じです。日本は運が悪かったのです。それだけだと思います。
「侵略」を恥じる必要はないと考えております。
なぜなら、第2次世界大戦以前の世界情勢そのものが、武力を持って小国を併合・植民地化するいわゆる帝国主義を是認していたからです。世界中の強国が帝国主義に邁進しており、国家が生き残るためには自らも強国となって帝国主義に邁進するしかなかったのが戦前の世界秩序であったのです。そして日本は明治維新という奇跡的な無血革命をもってそれに成功したのです。
確かに日本は朝鮮半島・支那大陸に経済進出し、その保護のために軍を送りました。その地の先住民族が望まない進出を「侵略」というなら、日本の行いは確かに「侵略」と言えるでしょう。しかし、あの時代に国家が独立を維持しようとするなら、他の選択肢はなかった。日本は大きな努力を払い「侵略する側」に生まれ変わって独立を維持したが、朝鮮や清・中華民国にはそれができなかったというだけのことでしかありません。
現在、我々の世界秩序では一国家が武力をもって他の国家を併合することを「悪」だと断じております(共産主義国家とサヨクは別にして)。それは(後に述べますが)第2次大戦の結果として日本が闘いとった成果です。大戦中に連合国側がプロパガンダとして発布した「太平洋憲章」が、アジア各国の独立によって既成事実化したからこそ、帝国主義は終わりを告げることになったのです。ほとんど独自の武力を持たぬ我々が安穏としていられるのはアメリカ軍の駐留のみが理由ではなく、我々の祖父・曾祖父がこの世界秩序を闘いとったからでもあります。その成果にあぐらをかきながら祖父たちの「侵略」を罵倒するサヨクの行いは真に醜いものです。
*付:
日本が東南アジア諸国に独立をもたらしたのは事実であり、大いに誇っていい。だが、日本は東南アジアを独立させるために大東亜戦争を闘ったわけではない、という点には留意しなければならない。
アジアの独立は、欧米諸国から経済封鎖された日本が独自の経済圏を確保するための手段であった。決して「アジアを欧米のくびきから救い出そう」などという善意によって行われたものではないし、だからこそ正しい選択と言えるのである。政府は国益を最優先して政策を決定すべきであり、大東亜戦争も日本の国益のために行われた。そして東南アジア諸国の独立勢力もそれを知悉しており、その上で日本を利用して欧米からの独立を成し遂げようとした。我々は相互に利用しあったのであり、それによって互いに目的を達成することができた。慶賀すべきである。東南アジア諸国が親日的なのは当然の成り行きだ。
朝鮮半島や台湾の領有もまた日本の国益のためのものであった。しかし朝鮮や台湾はその恩恵も大いに受けた。中世段階で止まっていた国家体制を破壊し、新たに近代化への道を開くことになったからである。現在の台湾はそれを認め、日本という国に公正な態度で接している。ただ朝鮮半島だけが異常なのだ。
にも関わらず、我々はあまりにこうした事実を知らない。だから国内にサヨクが跳梁跋扈し、国家元首であるにも関わらず村山元総理のような恥をさらすことになるのだ。歴史教育の重大さを痛感する。
ほとんどの記述に賛同します。ただ「日本は東南アジアを独立させるために大東亜戦争を闘ったわけではない。」という点には賛同できません。
東亜の解放は多くの日本軍兵士の願いであったことは間違いありません。「桃太郎海の新兵」という戦前の名作動画を見たことがあります。日本軍を見立てた桃太郎が、欧米を見立てた鬼から東亜民衆を見立てた動物達を守る動画です。これは多くの日本兵にとっての共通認識だったと考えます。
上層の「軍部」なるものの政略的認識を推察した結果から「日本は東南アジアを独立させるために大東亜戦争を闘ったわけではない。」と主張する人が多いようです。そんなものより、日本軍兵士一人一人の気持ちや思いを大切にするべきだと思います。日本軍兵士の発想が自国のことのみに向けられていたのであるなら、インドネシア解放軍に参加などしません。
大東亜戦争において日本は必ずしも敗北したわけではないと考えております。
貴兄は「自国が敗戦した日を祝う必要がどこにあるか」という趣旨の発言をなさっておられたかと思います。しかし、私は「終戦」記念日は祝うに足るどころか大いに祝うべき日だと考えます。
確かに、日本軍は軍事的に敗北しました。敗北どころか壊滅させられました。
しかし、戦争における勝敗とは「目的(戦略目標)を達成できたかどうか?」という点にあるのであって、個々の戦闘の勝敗によるのではありません。
日本の戦争目的は何であったか? 最大の(そして最低限の)目標は「日本国の独立を維持すること」であったはずです。支那大陸における権益維持や東南アジアの解放は手段であって目的ではない。それらは「日本の経済を立ち行かせるために必要」であったにすぎません。現にハル・ノートを突きつけられた日本政府は、最終妥協案として支那大陸からの全面撤収という条件すら提示しております。それを拒絶されたからこそ、日本は戦争という選択肢を選ばざるを得なかったのです。
そして、軍事的には各地で惨澹たる敗北を喫しながらも、その奮戦によって欧米諸国(端的に言ってアメリカ合衆国)に「戦争継続による人的被害の大きさ」を示し、結果としてポツダム宣言によって国家の独立を勝ち取ったのです。
それだけではありません。日本は大東亜戦争の結果として
○アジアの独立=全世界的な帝国主義の終焉
○自由貿易体制=戦前のような経済封鎖の可能性の消滅
○腐敗していた日本軍の消滅(註1)
と、これだけの成果を得たわけです。戦略目標は完全に達成したといっても過言ではないでしょう。
もし無条件降伏しておれば、日本もまたドイツの悲劇(註2)に陥っていたでしょう。それを思えば「終戦」記念日は大いに祝うべきではないでしょうか。日本が敗れたのは、むしろ「戦後の戦い=進駐軍の占領政策と情報戦」であり、この事実を認識することこそが必要だと思います。
註1)日本軍の腐敗
この腐敗とは金銭的なものではなく、天皇制に対するダブル・スタンダードをさす。
特に若い将校たちは「天皇陛下の御為」という大義名分を掲げつつ実際には「天皇はクーデターの道具」としか思っていなかった。2・26事件を想起されたい。彼ら決起将校は決して特別な存在ではなかったのだ。
このダブル・スタンダードによって軍部は暴走を重ねていくことになる。
註2)ドイツの悲劇
国民は虐殺され(西側諸国にも、だ。アイゼンハワー将軍はドイツ国内に絶滅収容所を作り、ドイツ人を強制収容して餓死させた。『アサー・ロス〜消えた100万人〜』に詳しい)、国家は分断され、旧連合国との平和条約調印を拒否されつづけ、外交主権すら西側諸国に握られた状態。あまり知られていないが西ドイツに軍隊はなかった。あるのはドイツ人で構成され、西ドイツ製の武器で武装したNATO軍であり、その指揮権は西ドイツ政府ではなくNATOにあった。また東ドイツとの国境線には戦術核地雷が仕掛けられていた由。
*付:
後知恵を承知でいえば、大東亜戦争を避ける道はあった。ハル・ノートに対して外交的に切り返す手段もあった。ルーズベルトが「戦争を起こさない」という公約を掲げて当選した大統領である以上は、日本側にもまったくカードがないわけではなかったのだ。しかし、残念ながら当時の政府にはそれを実行できるだけの政治家はいなかった。東条は確か
に真面目ではあったが(いやだからこそ)、政治的には全く無能であった。このためハル・ノートに対して有効な対処ができなかったのだ。
しかし、我々には後知恵で先人たちを責める権利はない。彼らは自分たちが置かれた状況の中で、自ら選びうる中で最良の選択をしたのだ。当時のことは、当時の状況の中に身を置かなければわからないものなのだ。安全地帯から無責任にヤジを飛ばすのは醜い態度だ。
*付2:
余談ながら、かの大戦において失うものが多かったのはむしろアメリカの方であろう。
当時(日露戦争以降)、アメリカはその世界戦略において日本を最大のライバルとしていた。大東亜戦争はアメリカの世界戦略の完成を意味するものであり、だからこそルーズベルトはしゃにむに日本を戦争に追い込んだのだ。
ところが、戦後日本が軍事的に無力化したにも関わらずアメリカの世界戦略は完成しなかった。ご承知のようにソビエト連邦が大国化し、反英米姿勢を明確に打ち出したからである。しかもその地位はアメリカからの借金(大戦中の対ソ援助。トレンド=リース法)によって作られたものであった。無論当時のソ連元首・スターリンは、この借金を踏み倒した。
その上、ソ連の核技術・ロケット技術開発(=ICBMの開発)によってアメリカ本国は安全保障を失った。戦後すぐに日本その他が提唱した「核兵器の国際管理」を蹴ったツケが回ってきたのだ。これに対抗するためにアメリカは日本を始めとする親米諸国に援助を続け、ソ連を軍事・外交的に包囲しつづけて破産に追い込んだ。しかしその時には、アメリカ自身も破産直前にまで追いつめられていたのである(いや、実はアメリカ経済はとっくに破綻していた。それを支えたのが日本からの借款である)。
終戦の日について:おっしゃる内容にもっともな点は多いと思います。むしろ大東亜戦争開戦の日を「東亜の日」とするのがいいと思います。
日本軍の腐敗について:腐敗していたから解体して良かったというのは極論かと存じます。いかなる官僚組織も制度的な抑止なしなら腐敗するものと考えます。昨今、サヨク組合教師の膨大なサボタージュに対して給与返還を求める動きがあるなど、教育官僚は腐敗の極に達しております。この場合も教育関係者を全員解雇し教育機構全般の根本的な解体という手段より、一部の癌を切除しおおぜいのまじめな先生方を大切にしていくのが望ましいと考えます。
僕は南京大虐殺は無かったと確信しています。なのに、今学校でつかっている教科書の資料集に見開き1ページを使って、南京大虐殺についてかかれていました(しかも参考資料は当事者とされる元兵隊の日記)
僕も少し前まで、南京大虐殺があり、日本は間違えていると思っていましたが、今は全然そうは思いません。というか、これだけ無かったという証拠がでてきているのに、なぜこうも『あったあった』とわめくのでしょうか・・・悲しいです。
遅かれ早かれ意義は理解されるでしょう、特にアジアでは。
急ですが、「ムルデカ17805」を見ましょう!はたして、かつての日本軍のやったことが「侵略」であったか、なかったか、一目瞭然である。日本人として、知っておくべき歴史の一場面である。
7月14日から映画「パール・ハーバー」が公開されます。内容が反日的だそうですが、日本はこの映画の上映を拒否するべきだったのでしょうか。また、上映が決まった今、我々日本人は上映中止の運動をするべきなのでしょうか。
アメリカによる30万人を殺したと言われる原子爆弾の投下や、日本全国における空襲についての見解を聞かせて下さい。の質問についての解答は両極端すぎて、私の考え的にいずれにも当てはまりません。「日本人にとって憎むべき行為であるが、50年も前の事であり、大声を上げて批判する事は今の中韓両国のやっている事と変わらない。」という選択肢があれば、そこに投票したでしょう。
取り合えず、便宜的に「史上まれに見る許し難い大虐殺である。」に投票しました。
世の中には、負けるとわかっていても、自分の誇りのためには買わねばならない喧嘩が厳然として存在すると思う。じっさい、アメリカへの戦争はそれであったと固く信じる。コテンパンになりながらも最後まで喧嘩し続けた(イタリア、ドイツが負けた後も)気合があったからこそ、依然として日本に対し敬意を払うアジアの国、一部のイスラム国家さえ、存在するのではないか。
ただし、中国(言い慣れているので、この言葉を使わせていただきます)で日本刀の試し切りをしたという実例も耳にする。(友人の爺さんのいうことだから間違いないと思う。)ただ、これは戦争そのものが一部の人間の理性を奪うものである、という一般論に帰するものであって、戦争になってとんでもないことをやらかすのがすべて日本兵というわけではないと思っている。
要は、如何にすれば人の理性を奪ってしまう戦争というイベントを避けることが出来るか、ということを真摯に考えるべきであって、それは"平和””護憲”といった言霊で侵略がなくなる、なんていう空虚な純情を振り回すことではいけないと思う。軍隊(自衛隊)があるのに、ない振りするのはやめさせたい。軍隊(自衛隊)が必要なのに、必要ない振りするのもやめさせたい。
ご友人のおじいさんの話であっても、その種の話は眉にツバを付けて付け過ぎということはないと思います。その種の「証言」をやりだした元日本兵のほとんどが、支那の戦犯狩所での贖罪洗脳を受けてきた法螺吹きであったという実例をふまえるべきかと思います。
何度も何度も支那の政治宣伝に騙されてまた騙される愚をおかすべきでないと考えます。「日本刀の試し切りをしたというおじいさんいること」は事実でしょうが。「UFOを見たというおじさんがいること」「霊魂と交信をしたというお姉さんがいること」は、必ずしもUFOや霊魂の実在を証明するものではありません。
自分は工業高校の出身ですが、100人切れる刀は物理的に無理です。硬くすれば、その分刃がかけやすくなります。それ以前に日本軍の軍刀なんて1人切れるか切れないかのナマクラです。
南京大虐殺については前々から疑問を持ってましたが今その心が晴れました。
質問があるのですが、バターン死の行進や関東軍731部隊の人体実験などは本当にあったのでしょうか?日本軍の正当性を訴えようとしても、その事件を出されると、何にも反論が出来なくてもどかしくて悔しいです。
いろいろ調べようと思ったのですが、教科書を読んでも証拠は提示されない、ネットで調べても納得した答えにたどりつけない。もし良かったら是非教えてください。
結局「支那の政治宣伝は全部信憑性は無い」という事だと思います。支那はその種の調査をさせませんし支那が崩壊しないかぎり真相は絶対に明らかにはなりません。「共産主義国家の政治宣伝に全く信憑性はない」ということは、旧西側国では常識なのです。その常識を踏まえておけば間違いはないでしょう。
「日本兵など日本人を洗脳し口移しをさせる」なども支那の常套手段です。共産支那自身は発する主張でなくとも、旧日本軍のギャクサツ云々の情報は全部マユにつばを付けて付けすぎということは無いようです。
結局、「旧日本軍のギャクサツ云々の情報は、支那が現在の法螺吹き言論弾圧反日思想統制国家であるかぎり全部却下」でいいと思います。今は学術的な研究のできない状態にあるわけなのですから。
貴殿のHPを拝見して胸のすく思いがしました。
『所謂南京虐殺』は最近支那が『100万人説』という途方も無い事をホザき始めております。またさる東大教授も支那に媚売りたいのか『NHK歴史講座』の中で『100万人説』を「誠その通り」と紹介しておりました。こんな人に歴史を習っている学生が気の毒でなりません。
私事ですが、私はさる病院にて働いております。患者に旧海軍の方がおり、よく体験談を聞かせて頂いております。ある日、その方が海軍の他の患者と従軍話で盛り上がってた所、どっかのバカ女が「あんたらアジアの人間を殺戮してよくそんな偉そうな顔してるな。百人斬りしたんだろ」とボケな事をホザきました。すると普段温厚な『海軍さん』は烈火の如く怒り、「バカな事を言うな!我々は誓って民間人を虐殺してない!」と言ったのです。私も腹が立ちまして「虐殺話は今日、ホラだと証明されている。当院の患者を公衆の面前で愚弄する事について断じて看過出来ない!」と抗議しました。バカ女は旗色が悪くなり立ち去りました。その後『海軍さん』は私に「有難う、亡き戦友達に代わって感謝します」と泣きながら礼を述べられました。
私は皆さんに言いたい。もしどこかでこの様な場面に遭遇したら勇気を持って軍人さんを弁護してあげて下さい。大東亜戦争を戦った勇士に報いる為に!
胸がすく思いがするのは、むしろあなたの行動です。私からも感謝いたします。本当にありがとうございます。
祖国のため我々子孫のために戦った兵士の方々をこういう境遇に追い込んでいる連中に対しては、あらためて身震いするような怒りを感じます。
アメリカに謝罪しろと言いますが、歴史・法は勝者が作ります。前大戦の敗者である日本は発言権があるわけありません。また、ドイツに発言権があるのは、白人だからです。
本質的に発言権を決めるのは昔がどうだったかとか言うものではなく、今現在の軍事力によるのです。単に勝利できる軍備を整えれば発言権は飛躍的に向上します。例えば日本が核武装をすれば即座に常任理事国入りとなるでしょう。また白人以外の多くの有色人種国家も大東亜戦争により発言権を飛躍的に拡大しましたので、今後白人支配を更にたたき壊せばすむことです。
@大東亜戦争は侵略戦争でも解放戦争でもない
大東亜戦争について、侵略戦争派は「無用の戦争を起こした」という。しかし、この論者は日本とアメリカが開戦前に一年近く交渉をしていたという事実を忘れている。当時の交渉過程をつぶさに見れば、日本が戦争回避に向け努力をしていたことは確かであり、日本の方から積極的に仕掛けたというのは間違いであろう。別に戦争回避の努力をしていたから、日本は悪くなく責任は全てアメリカにあるなどとと言いたいのではない。日本とアメリカが不幸にも戦争をしてしまった理由は、まず日米双方に利害の対立があったこと・お互いパーセプションギャップにより不信感を募らせ、交渉により妥協点を見出すことが不可能になったことに帰せられるであろう。これはもう日本とアメリカ、どちらが善くてどちらが悪いという問題ではない。逆に言えば、責任は両方にあるのであり、日本だけが悪いというのは間違いである。
また、なんとなく「東南アジアに進駐したから侵略だ」という観点から侵略戦争と言う向きもある。変な話だ。日本の開戦理由の多くは東南アジアの資源を獲得するためだったのだから、現地の駐留軍を排除し、占領するために軍事進出するのは至極当然のことではないか?このような見解には当時の世界を現在のような自由貿易体制と見て、日本は主に領土的野心から東南アジアに進出したという誤解がある。
東亜解放戦争的な見方にも疑問がある。日本は交渉妥結による事態の収拾が困難になったため、「自存自衛」のためやむなく戦争を始めたというのが正解であろう。東アジアを解放するという理想のために起こしたのではない。と言っても、それは別に恥じることではない。国家が国益を追求するのは当然のことである(戦争を始めたこと自体が国益に反するという意見もあるが、当時の日本が置かれていた状況を考えると、そう言い切るのは難しい。望ましくない選択肢しか残されてないときもある。そうならないようにするべきだったという批判はありだが。)もちろん、東亜解放という理念が存在し、日本がある程度本気でそれを実行していたということは事実である。しかし、専ら日本が『東亜解放のため戦争を始めた』とするのは正しくない。
@大東亜戦争は異常な戦争ではない。日本は異常な国家ではない 以上のように、大東亜戦争は日本人が軍国主義に狂って起こした侵略戦争ではなく利害の衝突から起きた、その意味ではごく普通の『戦争』であり、世界史的に見て異常な事態とは言えない。戦争犯罪も多く伝えられているが、それは日本に特殊の事情ではなく、戦争に必ず付随してくる悲劇である。他国と比較して日本の戦争犯罪が突出して多く、残虐であるわけではない。ドイツのホロコーストと同列にするのは論外である。
こういう言い方は「居直り」といわれるかもしれない。しかし次のような意見を参考にしてほしい。『ここで、我々は国際社会の倫理というものを考える際に、「正義」という観念と、「正常」という観念を区別しなければならないように思われる。通常の一国内部の市民社会は、完全とは言わないまでも「正義」がほぼ貫徹される状態が「正常」である。ところが、国際社会の場合は、各国が、そうした「正義」の基準からすれば、きわめて低いレベルにおいて実際に行動し、かつそうした低レベルの基準で自国の行動を評価しており、実はそれこそが国際社会の「正常」な状態なのである。』 我が国は(他の国の多くがそうであるように)「正義」でもなく、さりとて「悪」でもない、「普通」の国(=軍事国家)であっただけである。
「大東亜戦争は東亜解放のため戦争でない」派の人は結論のみを連呼される傾向にあるようです。「欧米列強の支配から東亜の人々、有色人種を解放しなければならない。」は、当時の日本の基本的なスタンスです。そう断じうる理由は、
1:当時東亜諸国は欧米列強の支配下にあり、結果として大東亜戦争により東亜諸国は独立した。
2:目的が領土拡張にあるのなら現地国民に軍備など教えない。今現在米国が日本に行っているように、植民地支配とは現地人に軍備を持たせず軍隊を駐屯することで行う。
3:国民意識、兵士の意識は間違いなく欧米列強の侵略と戦う意思があった(これが一番重要)。大東亜戦争を戦われた兵士の方々が東亜の解放を目的としてないのなら、インドネシア解放戦争に参加などしない。
4:カンボジア首脳等が、自国の独立は日本の闘争によるものだと公式に認めている。
5:東亜の独立を目指した大東亜会議を主催した。
6:国際連盟に人種差別撤廃を求める運動を行ったが、欧米列強に否決される経緯があった。
7:そもそも大東亜戦争という名称。
解放闘争と断じるしかない実例、証拠が多すぎるようです。
もし仮にあの世という所が有ったとして。我々日本人が死後、「尊い命」を戦争に捧げた沢山の若者達に胸を張って会うことが出来るのでしょうか?日本軍が行ったとされる「大量虐殺」が偽善者の連合軍や中国軍・朝鮮人・サヨク等に拠るでっち上げであるという事が白日の元に晒され、正しい歴史が語られる様になる事を心から願っています。
我々戦後の日本国民は浄土におもむいたおり、あるいは靖国神社におもむいたおり、英霊の方々に対面して恥ずかしくないようになるべきだと思います。
昭和20年8月、日本の敗戦はもはや決定的なものとなっており陸軍海軍政府らの首脳全員が日本の敗北を心の中では認めていました。しかしながら御前会議では終戦か徹底抗戦かの判断がつかず、昭和天皇の「終戦のご聖断」により日本は本土決戦という民族滅亡のシナリオをギリギリ回避することが出来ました。
僕は想像してしまうのです。「もし日本が天皇陛下が存在しない共和制国家だったとしたら・・・?」と。 そうなると誰も終戦の決断を下せず、なしくずし的に本土決戦に突入して、死傷者数千万という凄まじい人的被害を出し、僕の祖父母達も死んでしまって、今の僕も存在してなかったかもしれません。そういう意味では今を生きる戦後世代がこの世に生を受けて誕生してこれたのは天皇陛下のおかげなのかもしれません。
少々極端かもしれませんが、こういう考え方をする僕は右翼なのでしょうか?
「大東亜戦争は敗戦のい決断が遅れずるずると続いた」という人が時折います。全く逆です。大東亜戦争は極めて早期に終戦ができた例です。沖縄など国土のごく一部が戦場になったのみだからです。(空襲を受けることは正確には「戦場となること」とは異なります。もし「空襲を受けること」を「戦場となること」と定義したなら、日本は北朝鮮からのテポドンによる空襲を受けていることになり、北朝鮮とは交戦状態にあることになります。)
支那事変での支那軍は日本にとっくに本土を侵攻されておきながら、敗戦を決断することもなくずつずると戦争を続けました。(「日本政府が早期に敗戦を決断しなかったせいで多くの犠牲者が出た」というサヨクの言い草を転じると、支那事変については「支那軍が早期に敗戦を決断しなかったせいで多くの犠牲者が出た」となります。)ベトナム戦争での北ベトナム軍も米軍に延々と侵攻をされながら、敗戦を決断することも無く延々と戦争を続けました。更に今現在、共和制国家、朝鮮民主主義人民共和国の独裁者は人民を餓死させて対米徹底抗戦を貫いています。
また終戦のご聖断もそうですが明治維新の成功により外国からの侵略を回避できたことも皇室の存在に起因します。
「朝鮮がロシアの勢力化におかれると日本は経済的に大きな打撃をうけ植民地化においこまれる。朝鮮さえしっかりと近代化に国家が取り組んでいく政治形態が整って いれば日本も動くことはなかったのである」よく言われる日本植民地支配免罪のための論理ですけど、全くたわごとですよ。日露戦争以前に、日本は朝鮮の頭越しにロシアと交渉して、満州のロシア権益を認める代わりに、ロシアに朝鮮における日本権益を認めさせようとしています(ついでに、満州におけるロシア権益をできるだけ制限しようともしてました)。また、日韓併合の前に行われた日露戦争においてすでにロシアは疲弊しており、日本に向けて出兵するような余裕など無かったことは当時の日本政府も認識していました。つまり、ロシアから日本を防衛する必要など、日韓併合の行われた1910年の頃には全くありませんでしたし、日本をロシアから守りたかったのではなくて、満州への足がかりとなる朝鮮での支配権を確立したかったにすぎません。すなわちロシアからの防衛として、朝鮮を支配したのだという論理は全く成り立つ余地がありません。
憲法は押しつけだとか、時代に合わないとか言ってますけど、時代に一番合わない天皇制や、軍隊なんかを押しつけようとする憲法改悪のほうが、よっぽどアナクロなんですけどねぇ。血筋、血統などという理由で特別な地位につけるようなことを許すのは、民主主義のルールに反します。
天皇は万世一系の尊い血筋だ、などという人もいますが、そんな人間はこの世に存在しません。なぜなら、人間が生まれるのには両親が必要だからです。一系など、代々処女懐胎でも繰り返さないかぎり不可能です。天皇制は、そういった意味で男女差別、血統差別の象徴と言えます。そんなものを国民統合の象徴に据えるのは、とても恥ずかしいことのように思います。天皇も、軍隊もどっちもいらないって。金が掛かるだけで役にたちゃしないんだから。そのための憲法改正なら大賛成。
「天皇いらない論者」=「戦前の日本に冤罪を着せようとする汚物」=「軍隊不要論者」=「憲法に国防を定義することに反対する者」=サヨク
この伝統的なサヨク等式をひさびさに拝見いたしました。この等式におおむね更に、=「支那北朝鮮賛美者」=「社会主義共産主義賛美者」=「拉致はでっちあげ論者」などがくっつきます。こういう異常者の多くが「天皇いらない論者」であるという事実こそが、皇室の重要性を絶大な説得力をもって物語ります。泥棒が警察を嫌がるという事実こそが、警察の重要性を示すように。
ご投稿を読んであらためて思うわけですが、皇室は闇を浮き立たせる光のような役目を果たしています。光があってこそ、「天皇いらない論者」=「戦前の日本に冤罪を着せようとする汚物」=「軍隊不要論者」=「支那北朝鮮賛美者」=「社会主義共産主義賛美者」=「拉致はでっちあげ論者」=「テロリスト」という闇、つまりサヨクが明瞭に浮き立つわけです。まさしく陛下の御威光が我が国の汚点をあきらかにしています。
ご批判をいただく折にいつも思うのですが、とにかくまずは本ページをお読み下さい。ご指摘の内容のどこがどう妄言なのか、懇切丁寧に記しております。ご投稿で触れられている事柄について、トップページから簡単に検索できるにも関わらず、全く読まずにご意見いただく方が時折いらっしゃいます。というか本ページの反対の意見を投稿されるかたは全く読まずにもしくは理解せずにご意見を投稿なさります。そのためページ内容に書いていることを、再びわざわざここに記さねばならなくなる場合もあります。サヨクとはただ刷りこまれた内容を吐きだすだけの存在だという具体例を頂戴させていただいてはいるわけですが。
戦前の日朝両国の併合政策をご批判なさっておいでですが、「日本の指導により近代化を遂げて欧米列強の侵略を回避する」という朝鮮当局の方針はきわめて現実的なものだと考えます。例えば筆者が当時の朝鮮の王だったなら同様の判断をするでしょう。
確かに日本が朝鮮を李王朝の求めに応じて併合し、未開状態から劇的に近代化させたことによって、現在の朝鮮人が世界中で行っている暴虐の遠因をもたらし禍根となっていることは素直に認めます。近代兵器をたずさえた朝鮮人はベトナムで強姦と虐殺を繰り返しました。
ロシアとの交渉云々は全くあなたの結論にはむすびつきません。
また「日韓併合の前に行われた日露戦争においてすでにロシアは疲弊して」とのことですが、もしそうなら朝鮮人はまずロシアの軍事的な国力をそぎ対韓侵略を抑止した日本に感謝をするべきでしょう。
またロシアに侵略能力のない時期があったことは、朝鮮半島を軍事空白にしておいていい根拠にはなりません。支那米国などあらゆる侵略的な国が存在し、また時間の経過が状況を変貌させるからです。現にロシアはほどなくソ連となり侵略と虐殺を開始し北朝鮮を支配下においています。「今日我が家に泥棒が来なかったから今後も戸締りは必要無い」というものではありません。
万世一系の意味を理解するには家系という日本語の意味を理解する必要があります。がんばってください。サヨクの皇室に対する粘着的なストーキングにこそ、サヨクの変態性を如実に表現していると考えます。くわしくは「3.3 サヨクの伝統的主張テンノーセーハンタイ」をご参照下さい。
最近のネットサヨクは「軍事力増強は必要だがテンノーセーには反対」みたいな言いまわしでかく乱する手法を好みます。そんな中で「旧日本軍に冤罪を押し付たがる者=テンノーセーハンタイ論者=軍事力無用論者」の典型的なサヨク等式を完璧に体現なさっているのは昨今正直かつ珍しい方かと存じます。ここに支那北朝鮮賛美、共産主義賛美が加われば完璧です。より完璧を目指してください。