グレイシー柔術という技を使う世界最強と言われる男、ヒクソン=グレイシー。その男にプロレスラー高田選手が挑戦し二度も敗れた。しかも腕ひじぎ十字固めという、最も基本的なプロレスの間接技により負けた。完敗と言うべきだろう。
この完敗は、明治維新と大東亜戦争の敗北による外国文明の模倣に終始した戦後日本人の完敗に他ならないように思える。
明治時代、日本に嘉納治五郎という柔術の名人がいた。柔術は本来、合戦の殺人技である。嘉納治五郎は柔術を危険性の少ない近代スポーツに改良した。柔道である。
近代スポーツ柔道は世界中に広まり、ワールドスポーツとなった。今では南米、中東、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、北アメリカ等、世界中で盛んである。少なくとも野球などよりは、遥かに世界的にメジャーなスポーツだ。有名なことだが例えばロシアのプーチン大統領は柔道の使い手である。柔道は明治時代以降に生まれた日本文化のうち、世界が認めた数少ない文化のひとつである。
一方、プロレスはアメリカを中心にショービジネスとして発達したものだ。戦後間もないころ元関脇の朝鮮人レスラー力道山が日本にもたらし、日本でもメジャーなプロスポーツとなった。
大相撲と共に興行的になりたつ数少ない格闘技であるプロレスに、戦後多くの格闘家が集まった。野球などに多くのスポーツ選手が集まるのと同様、格闘技界においても日本人は外国の猿まねに走った。しかもプロレスというアメリカの最もショー的な側面の強い格闘技に。
ヒクソン=グレイシーの祖父は、日本の柔術を改良してグレイシー柔術を完成した。グレイシー一族は柔術をより強固に洗練させた。そしてヒクソン=グレイシーという世界最強の男を生み出した。現在、グレイシー柔術の使い手に勝る格闘家は柔道家も含めて世界には存在しない。
柔道はスポーツ化することで世界でメジャーとなることに成功した。その一方、格闘技としての完成度ではグレイシー柔術に遅れをとった。
そして今、そのプロレスの日本における実力者である高田選手が、日本の格闘技柔術の使い手であるブラジル人ヒクソンに惨敗する結果となった。ちなみに身長体重では高田選手の方が遥かに上である。
江戸時代以前の先人が生み出した柔術という格闘技は、世界最強の格闘技だったのだ。現代の日本人は、この事実を謙虚に受け止めるべきだ。柔術をスポーツ化し、あるいは見捨て、更にはプロレスというアメリカ人の模倣に精を出した結果を。
明治維新と大東亜戦争の敗北により我々が捨て去ってきた偉大な文化は、あまりに多い。江戸時代は文化においてあまりに高度に完成した時代だった。格闘技のみならず、芸術、芸能、哲学、服飾、礼節などあらゆる文化が。
ヒクソンはインタビューで「グレイシー家の誇りを守る。」と言っている。むろん、高田選手からは「高田家の誇りを守る。」などというセリフは出ない。
子孫への相伝は、本来日本の伝統であったはずだ。日本人はそれを偏狭な陋習とみなし、捨て去った。一方、グレイシー一族は子孫への相伝を貫き、ついに最強の格闘技に昇華させた。文化の保守と洗練という観点にたった時、子孫への相伝が最も合理的である。
先人の文化を捨て去ってきた現代の日本人(プロレスラー高田選手)が、日本人の偉大な先人の文化を正しく継承してきた外国人(柔術家ヒクソン=グレイシー)に敗北。これはすなわち、ひたすら外国の模倣をして進歩したと思い上がった我々現代人が、偉大なる先人に対して敗北したとも言いうるのではないか。