国営でテレビ番組制作などする必要は既にない。映像ソフト作成を国家プロジェクトでなけばできない時代はとっくに終わっている。企業どころか個人が映像ソフトを作成するなど、パソコン一台あればとっくに可能となっている。
国策をもって行うべき通信行政は、僭越で馬鹿げたくだらない映像ソフトを制作することなどではない。国策をもって行うべき行うべき通信行政は、光ファイバー通信網の整備など国家プロジェクトでなければできない大規模な回線ハードウエアの整備である。あとは現在ある各種通信衛星の保守や強化、通信プロトコルの規定、電波の管理や違法電波の取り締まり程度か。
NHKは番組制作などやめて民間の会社や個人が作成した映像ソフトを供給する回線屋、電波屋になれば良い。
光ファイバー回線網さえ整備されれば、企業や個人からありとあらゆる映像ソフトが供給されることになる。つまり、従来のインターネットホームページの動画をはるかに超えた高精度な動画映像のあるホームページが大量にできると思えば良い。
企業や個人からの映像ソフトの提供は、ビデオオンデマンドという形になろう。それは、映画館の映画のように、繰り返し供給されアクセスすると途中から見なければならない仕組みなどではない。アクセスすると先頭からも含めて映像ソフトのいかなる段階からでも見ることができる仕組みになろう。むろんこれは録画情報についてであり、中継の場合は無理だが。
人々はいながらにして、個人のアマチェアバンドの演奏やマイナー劇団の演劇から、大劇場の歌舞伎中継まで自在に見ることができるようになる。
そんな中で今更高額の税金で補填して、チマチマ人海戦術で受信料を徴収して国営放送の番組制作もないもんだ。
せいぜい公的機関が供給するべき映像ソフトは、公的な開示映像、例えば天皇陛下がなさる国事行為、内閣総理大臣や各地行政の長による所見演説、国会や地方議会や裁判の映像情報程度であろう。あとは在宅学習用ソフト(教科書の映像版)、災害時の特別な情報提供などか。
くだらないドラマ(国営放送のテレビドラマのつまらなさは群を抜いている!)、歌番組やクイズ番組(これこそ民間放送の得意分野のはず)、西欧クラシック音楽(アホな西欧文明の猿まね俗物根性丸出し)が無用なのはもちろん、ニュース番組やニュース解説やドキュメンタリー(すさまじい偏向ぶり!)、スポーツ中継(ガキの野球大会中継なんか昼間から延々とやるんじゃねえ!)など、一切国営で行うべき根拠はない。全て民間で十分可能だ。全て民間放送なら娯楽として昇華させることができる。
NHKが番組制作をする必要性は既に極めて低いが、回線網さえ整備されれば低いどころか皆無となる。
映像表現の王道は娯楽である。また娯楽にしかなりえない。真の教養はテレビなどでは身につかない。教養とは、鼻くそをほじくりながら寝そべってテレビを見ていれば身につくなどというものではない。
例えば、グルメ番組など見ても食通になどならない。食べることによってのみ食通になりうる。経済ニュースの解説など見ても本当の経済情報を知ることはできない。自ら経済活動を行うことによってのみ本当の生きた経済感覚を体得できる。テレビは、あらゆる文化の表面的な疑似体験(時にそれは偏向した)をするという程度のものだ。
我々は映像情報や文字情報など、ヴァーチャル情報ごときに過度な信頼や期待を持つべきでない。つまり宮崎ツトムとなってはならないということだ。
娯楽の供給において秀でているのはまぎれもなく民間である。NHKの役目はもう終わっているのだ。