左翼がサヨクにさよく時 - 現代日本に巣食うサヨクの具体例

結果を単純に人格的要因につなげるのは間違っている

 「相対評価反対」とは、「学業成績を人間の価値と同一視」という前提があって成り立つ。「学業成績を人間の価値と同一視」とは「学んだ結果で人間の価値を推し量る」発想に他ならない。
 結果を単純に人格的要因につなげているわけだ。言うまでもなく間違った発想だ。

 結果とは様々な要因が複雑にからんでもたらされる。学業においては、本人の資質以外に、その学業の好き嫌いや興味の有無、保護者の学業への情熱(例えば学業より家業を重視する家庭などもありうるし、あっても良い)、体調や運不運などだ。結果を人格論に結び付けて評価するのは間違いなのだ。
 実社会において最も望ましくない結果となった存在とは、ホームレスであろう。そのホームレスを落下傘ごっこでいたぶり殺した子供たちがいる。その子供たちはホームレスとなったという結果を見て、人間として価値なしと判断しいたぶり殺したわけだ。結果のみで人間を判断するなら例えばこういうリアクションもありうる。

 と同時に結果により、(人格でなく)能力を判断するのはしごく正しく必要なことだ。価値の低い商品やサービスを買う必要はない。職業能力の低い者は解雇されるべきであり取り引きを停止させるべきだ。そしてまた、能力が低くその結果解雇された者だから人間としての価値なしというものではない。