勉強すると賢くなる。
人々は、そう思うだろう。むろん正しい場合が多い。しかし、馬鹿になる場合も有る。
晦渋な数式や用語の暗記を著しく繰り返すと、人間は正常な感覚が麻痺してしまう。馬鹿みたいに何度も暗記し、集中して偏った思想を丸覚えしすぎれば、モノが考えられなくなる。
過度な学習の繰り返しや丸暗記は、論理構築力を退嬰化させる。
宗教には、意図的に馬鹿になる修行もある。たとえば、写経、経文の暗記や繰り返しである。これは馬鹿になるが、意図的に馬鹿になっているのであり間違いではない。賢くなることは、煩悩の増大に通じる。それを阻止するために、時に馬鹿になってみるのも良かろう。賢ければいいというものではない。正しいことこそが重要なのだ。
中卒で若いときから働く人間に、理路整然とした的確な真理を話す人間が時折いる。論理的で、創意工夫にたけた人間。若い時に学習能力を訓練する機会を得ることが無く、思考能力に長けた人間だ。松下幸之助氏や、田中角栄氏のような。
逆に大学でミョーな詭弁と思想を吹き込まれ、それの再現を極めて的確にこなすが、ほとんどまともな論理を構築できない人間もいる。学習能力に長じ、思考能力に劣る人間だ。ほとんどのサヨク学生などがこれだろう。
前者はいわいる学校での勉強をしなかったから賢者となった。後者は学校の勉強をたらふくやって、馬鹿になった。
勉強をしすぎると馬鹿になる。子供のころの勉強は、程々がいい。勉強しすぎないと入れない学校には、入らないことだ。無茶な勉強をしなくとも合格できる学校を受験すればよい。