日本政府は「専守防衛」なるスローガンをかかげている。外国軍が国内や領海に攻め入った場合にのみ撃退するという発想。一見もっともらしいが、実はこれは国民の生命財産を徹底して軽んじた発想である。
要するにこれは本土決戦主義のことだ。自国の国土を戦場として戦うことを前提とした発想。我々の郷土が戦場となることの恐ろしさ凄惨さを理解しない狂人の発想だ。
実は我が国はかつて本土決戦を行ったことがある。大東亜戦争末期の沖縄だ。沖縄の戦場は凄惨を極めた。防空壕にこもる住民を、米兵は火炎放射器で次々と焼き殺した。
本土決戦ほど悲惨な戦いはない。本土決戦とは、読者諸氏の暮らす町が銃弾と爆弾の飛び交う場所になるということであり、出歩けば地雷を踏みかねない場所になるということであり、外国兵が婦女子を強姦する場所となるということだ。国民の生命財産を重視する前提に立った場合、本土での戦争など絶対に回避するべきなのだ。
ただこのように本土決戦の凄惨さを記すと、「降伏してしまえばいい」と言う人間が出てくる。例えば共産支那あたりに降伏するとどうなるか。その時は、読者諸氏の暮らす町が、文革支那時代のように共産主義恐怖政治下で戦争など比較にならない数の犠牲者が生まれる町となり、核実験場となり、書籍手紙通信は検閲盗聴され、当局の弾圧に常におびえ、子供が親を当局に売り渡し、共産党政府への反対者は即日裁判で公開処刑され、共産党幹部の経営する企業で劣悪な環境で低賃金奴隷労働に従事させられ、大規模な政府批判の集会を開けば戦車にひき殺され人間煎餅となり、共産主義国家を守る軍事体制下で徴兵され政府批判の集会を開いた日本人を戦車で踏み潰す仕事をさせられ、台湾やチベットなどの現地人を殺す戦場に送られる町になるというだけだ。
有事の際に好き好んで本土決戦に持ち込もうとする戦略は、狂人の戦略である。祖国防衛を放棄し、国民の生命財産を守ることを放棄した狂人の。
政府自民党が「専守防衛」なるスローガンをかかげる主な目的は、「ニホンのグンジタイコクカへのケネン」を騒ぎ立てる核武装軍事国家支那のご機嫌をそこねないようにすることにある。ようするに政府自民党とは、おおむね↓こういう発想の連中だということだ。
核武装軍事国家支那のご機嫌 > 日本国民の生命財産
おまけに公明党共産党社民党民主党の一部など、残りの連中はというと、↓これだ。
核武装軍事国家支那のご機嫌 >> 日本国民の生命財産
↑こういう発想だから、「専守防衛」なる日本の国土を大戦末期の沖縄化することを前提とした防衛計画をぬけぬけと立てることができる。
外国の共産主義軍事独裁政権を代表する政党ではなく、日本国民を代表する普通の政党はないのか?筆者を含む多くの国民が待ち望んでいるのは、日本国民の意見や気持ちや生命財産を重視する普通の政党なのだ。