日本国内で米兵による日本人婦女子の強姦事件が時折発生する。おまけに日本政府は米兵への司法権が条約で制限されている。ろくでもないことだ。
こういう強姦事件が起き日本政府の司法権が制限されている実態を見るたびに、沖縄県民を含む多くの日本国民が、米軍やそれに弱腰の日本政府に対して怒る。当然だ。頭に来ないほうがおかしい。外国兵が国内でやりたいほうだいをして円滑に裁けないなど、全く人を馬鹿にしている。
ただ、国民が頭に来るべき対象は米軍やそれに弱腰の日本政府のみではない。怒るべき相手はもう一ついる。実質的に米兵の強姦事件を直接呼び込んでいると言いうる、ろくでもない存在がいる。
それは沖縄県民をも含む日本国民自身、中でも男である。沖縄県民をも含む多くの日本国民は、自らの国の国防に徹底して怠慢である。兵隊になるのを嫌がるどころか軍備に金を出すことすら徹底して渋る。国防費を先進国の四分の一程度しか出さない癖して、それすら高いとケチるヤツすらいる。社民党とか共産党あたりに。楽をしたい金が惜しいの怠慢守銭奴の集団だ。
日本国民がこういう怠慢守銭奴の群であるがゆえ、政府は満足に国防ができず、外国軍隊の力を借りざる得なくなる。外国軍隊を自国に呼び込んでいるのは日本国民自身なのだ。
サヨクは「米軍基地があるから米兵による強姦事件が起きるのだ」と主張し、反基地闘争に利用する。日本の軍事力弱体化を目指すサヨクは、日本の軍事力を補完している在日米軍を何とか追い出そうと懸命だ。
実は「米軍基地があるから米兵による強姦事件が起きるのだ」という主張そのものは正しい。まさしくこれがなければ、米兵による強姦事件など起きないだろう。
ようするに沖縄県民をも含む我々日本男児は以下二つから選ぶしかないのだ。
日本男児A「兵隊になるのも国防費の負担もごめんだ。今後も国防を外国任せにしよう。日本に駐屯する外国兵は、時に日本の女を強姦するだろうがやむおえないな。日本の女を外国兵に差し出し国防を拒否しよう。」
日本男児B「外国兵が駐屯し日本の女を強姦するなど絶対に許せない。国防費を先進国並み(数倍)にし核武装し日本の国防を我々日本国民自身で行い、外国駐留軍を追い出そう。」
今の政府の方針はAである。政府は「日本に駐屯する外国兵は、時に日本の女を強姦するだろうがやむおえないな。」などと主張していないと言うだろう。無意味な言い草だ。外国兵が日本に来れば中にはおかしな連中がまざって来るのは当然のことだ。外国軍隊の駐屯を肯定することがすなわち、「日本に駐屯する外国兵は、時に日本の女を強姦するだろうがやむおえないな。」と言っているのと同じなのだ。
筆者はBである。また世界一般の先進国はことごとく、ほぼBである。いくぶんかの外国軍駐留を認めている国もあるが、日本ほど圧倒的に国防に怠慢な国民と持ち、膨大な外国軍を駐留させている国もない。
自分が兵隊に行くのが嫌なばかりに外国兵に日本の女を犯させておく日本男児。男として情けないことだ。
「男として」などと強調すると、ある種のフェミニストは言葉尻を捕らえてヒステリーを起こすだろう。そういうフェミニストは、日本男児Aで埋め尽くされた現状を喜ぶといい。現代の日本男児は「男として」などと肩肘を張らず兵役を嫌がり米軍駐屯を永続化してくれている。米兵による強姦事件が起きても、「男として」肩肘を張り助けるなどせず放置してくれている。米兵の犯罪を円滑に裁けない状況にも、「男として」どうにかせねばなどと肩肘を張らず、犯罪者を米本国に引き渡し続けるだろう。
米軍の駐屯も、それによる米兵の強姦事件が起きるのも、それを円滑に裁くことすらできないのも、この国に「男として」などと肩肘を張らない男で埋め尽くされた結果に他ならない。
ようするに、沖縄の婦女子が強姦される結果を生み出しているのは、ヘーワケンポー9ジョーだのハンセンヘイワだのの空念仏を唱え続けることでヘーワシュギシャ気分に浸り自国の防衛力完備を妨害している連中、すなわちサヨクなのだ。こういう連中がハンセンヘイワの妄言を発するたびに、沖縄の女が米兵に犯されると考えればいい。しかもハンセンヘイワの言葉遊びで、自国の防衛力完備を妨害している連中は沖縄県民にも多い。アメリカ占領軍の「ヘーワケンポー投下による日本の軍事力弱体化→米軍駐屯の永続」という戦略に、沖縄のメディア等一部沖縄県民は率先して協力している。口先では米軍基地反対を唱えつつ、ハンセンヘイワ節による米軍駐屯永続への努力を怠らぬ一部沖縄県民のおかげで、米兵は沖縄の婦女子を犯す機会を得ることができるわけだ。
強姦米兵も、こういうハンセンヘイワ沖縄マスコミには感謝をしていることだろう。「沖縄のメディアがハンセンヘイワの言葉遊びに泥濘し、日本の軍事力充実を妨害してくれるからこそ、俺達は日本に駐屯でき沖縄の女にありつける。そうら、ご褒美に沖縄の女をハメてやるからな。」
こういうヘーワケンポー9ジョーだのというアメリカ占領軍のお達しを崇め奉り日本の防衛力の充実を妨害する連中が存在する限り、米軍は駐屯を続け、沖縄の婦女子は今後も何度でも何度でも米兵に犯され続けるだろう。
「自国で起きた犯罪を自国政府が取り締まり裁く権利」は独立国である限りしごく当然の権利だ。ただ、この権利は「自国の国防を自国国民が行うという責務」という独立国の国民にとってのしごく当然の責務を果たしてこそ、もたらされる。その当然の責務を果たさず国防を外国任せにするから、当然の権利もまた欠落するのは、しごく当然の話だ。そもそも国防とは「外国兵による暴虐を防ぐこと」が目的だ。それをサボれば外国兵による暴虐が発生するのは当然の結果だろう。
外国兵の暴虐がいやなら、自分で国防をやることだ。防衛費を数倍にし核武装をしまともな国防を行えば、在日米軍は不用になり在日米兵による暴虐はなくなる。しかし沖縄県民を含む日本国民がまともな国防費も出さず核武装もせず兵役を嫌がりつづけるのなら、今後とも米軍の駐屯は続き沖縄の婦女子はその犠牲になりつづける。それだけの話だ。
日本男児は、戦後一貫して米軍から投下されたヘーワケンポーをあがめて拝みつづけ国防をサボり米国任せにし、日本の女を米兵に貢ぎつづけている。男として情けないと思わないのか。
思わないのだろうな。沖縄県民などを含む日本人からこういう自らの国防の怠慢を反省する意見はほとんど聞かない。他人が悪い、米軍が悪い、日本政府が悪いの反日朝鮮人のヒステリーにも似た反米基地闘争に精を出す輩は多いが。
一体誰が国防をサボり米兵を呼ばざるえない状況を作り出しているのかを考える国民が増える必要がある。
沖縄県民も含む戦後の日本国民は、国防という観点から今後どうあるべきか。それは結局は、以下二つなのだ。
「センソーハンターイ」と叫んで自分のヘーワ主義者ぶりに酔いしれ、「戦争の無い世界」を夢想しながらアメリカ占領軍から与えられたヘーワチンポーをシゴき続ける道。シゴき続ける間も沖縄の婦女子は強姦され続ける。米兵による強姦事件が発生したら、自らの国防努力なしに米軍は絶対に出て行かせることはできないという現実に思考停止しつつ、「ベーグン出て行けええ」「ニホンセーフはタイベーツイジューするなー」と、とりあえず叫ぶことで他者への怒りをぶつけて満足する道。叫んだ後も沖縄の婦女子は強姦され続ける。
自らの国防努力なしに米軍は絶対に出て行かせることはできないという現実に目を向け、責任を持って沖縄県民を含む日本国民自ら国防努力を行い、米軍を不要にする努力を具体的に行う道。それにより米軍の治外法権的な立場を無くし、米兵による強姦事件を完全に抑止する道。