左翼がサヨクにさよく時 - サヨクの主張を検証

「戦前は独裁体制」もまた嘘

[執筆日:H13/4/23][病理:戦前罵倒による対日侵略戦争美化]

 日本がナチスドイツと同一の社会体制であったことにどうしてもしたかった占領軍は、「戦前はグンブ独裁体制だった」というプロパカンダを提灯マスコミを通じ戦後日本人に刷り込んだ。
 そのプロパカンダは今現在もサヨクの間で引き継がれている。更に支離滅裂になった形で。現在、サヨクは以下のような戦前独裁体制論を奏でるに至っている。

1:軍部独裁体制論
2:天皇独裁体制論
3:東条英機独裁体制論

(1)軍部独裁体制論、天皇独裁体制論、東条英機独裁体制論を同時に主張する一部サヨクの愚劣

 特に程度の低いサヨクは上記を同時に主張していたりする。これの最もありがちなケースが、「天皇主権」と「軍部独裁」を同時に主張するケースである。教科書上でおなじみのケースだ。「戦前は天皇主権」などと表現してあたかも天皇が戦前の独裁者であったかのように表現しつつ、「軍部独裁」などと表現する有様。底なしの阿呆と呼ぶ以外に無い。
 独裁者とは政治権力を寡占的に手中に収めた存在を言う。Aが寡占的な政治権力を得ている状態とは、A以外の存在の政治権力が制限されているということに他ならない。つまり例えば「軍部独裁」なら「天皇」「東条英機(国民の代表者)」の権力が制限された状態ということに他ならず、「東条英機独裁」なら「天皇」「軍部」の権力が制限された状態ということに他ならないのだ。
 要するに「独裁」という言葉を罵倒用語程度に解釈して、軍部や天皇や東条英機に当てはめて喜んでいるというだけの話だろう。

 はっきり言って、上記のように「独裁者」とあてはめる存在が戦前独裁体制論者の間で多種多様であるという事実自体が、戦前が独裁体制でなかったことの証となるのだ。

(2)共産党一党独裁国家支那との比較で明らかになる、戦前独裁体制論の馬鹿馬鹿しさ

 またもちろん上記1、2、3はそれぞれ単一の主張であっても間違っている。以下に間違いなく独裁体制と呼びうる共産支那と、上記1,2,3を比較する。共産支那と、上記1,2,3それぞれが全く異なることを理解してもらえるはずだ。

[1] 司法権

 共産支那:共産党の支配下にある。司法組織は共産党の手足となって判決を下す。特に共産党中央に近いものは政治的失脚がないかぎり絶対に裁かれない。また共産党の最高幹部は政敵を政治犯にしたてあげ吊るし上げ裁判などをえて自在に殺すことができる。
 戦前の軍部:任務中の軍人自身の犯罪を除いて、なんら国民に対する司法権を持たない。なんら国民を裁き判決を下す権限をもたない。また軍人の行為が軍法会議で裁かれるのは、今現在の先進国においても一般的なことだ。
 戦前の天皇:一切国民に対する司法権を持たない。国民を裁き判決を下す権限をもたず、かつ裁き判決を下した事例もない。当然だ。
 東条英機:戦前も三権分立は機能しており、内閣総理大臣は一切国民に対する司法権を持たない。国民を裁き判決を下す権限をもたず、かつ裁き判決を下した事例もない。

[2] 立法権

 共産支那:議会議員には共産党推薦候補のみが立候補することができる。与党共産党が唯一の合法政党であり、共産党以外の政党の結成は認められず弾圧の対象となる。議会は、全議員が共産党で埋め尽くされた完全な共産党の下請け組織である。共産党は思うがままに自在に法律を可決することができる。
 戦前の軍部:なんら法を可決する権力をもたない。なんら立法権を持たない。法案の可決は全て軍部から独立した議会が行っていた。
 戦前の天皇:憲法上では天皇に立法権が認められてあり、国民はその協賛者である。ただし、実際に天皇が法案を可決された事例は無い。
 東条英機:戦前も三権分立は機能しており、内閣総理大臣は立法権を持たない。

[3] 行政権

 共産支那:国政から地方行政に至るまで完全に与党共産党の支配下にある。
 戦前の軍部:なんら行政権をもたない。ただし軍務については、必ずしも内閣総理大臣の指示に従うものではなかった。
 戦前の天皇:憲法上では天皇に陸海空軍の統帥権のみ認められているだけで、それ以外のいかなる行政権もない。更に、実際に天皇自身が行政を行われた事例は「二/二六事件に対する判断」「終戦の聖断」の二つのみである。しかもこれらは自ら進んで指示されたのではなく、為政者から求められて指示されたに過ぎない。
 東条英機:内閣総理大臣は行政の最高責任者である。

 見ての通りである。共産支那は間違いなく独裁体制である。しかし戦前独裁体制論など、全くのトンチンカンとしか言いようがないのだ。

 サヨク教師は「戦前は学校で嘘が教えられました。」などとプロパカンダする。いいかげんにしろ。嘘八百を教えているのはサヨク教師だろう。
 見てのとおり我々は学校であらゆる嘘八百を教わってきた。それゆえ、新しい教科書を国民の手で作ろうという機運が高まっており、かつ多くの人々に支持されているのだ。