共産主義国家では、あらゆる伝統文化が迫害弾圧滅殺対象となる。支那や旧ソ連では、奇怪なイデオロギーを基準に「反動的」などのレッテルを貼られ伝統的な文化や宗教や文化遺産が次々と破壊されてきた。もちろん日本のサヨクも伝統文化の破壊が殊のほか好きだ。
昨今左翼が情熱を燃やす文化破壊の一つが、「元号ハンタイ」である。朝日新聞のように「大相撲2001年場所」などと奇怪な言い換え表記をする異常者もいる。
サヨクの元号反対論の要旨とは↓こういうものだ。
サヨクの元号否定論:元号は日本のみで用いられているものなので使うべきでない。「世界」ではキリスト教暦が用いられているので、それを使うべきだ。
↑これは、前提、結論に至る経緯それぞれが完璧に間違っている。
頻繁に指摘されることだが、日本人が「世界」なる言葉で表現する地域には、おおむねイスラムもアフリカも南米も入らない。おうおうに欧米キリスト教圏である。(サヨクの場合は支那や北朝鮮)
世界で五億人以上いるイスラム教徒はおおむねイスラム暦を用いる。仏教暦を使う仏教国も多い。革命暦のような暦を使う国も多い。
世界でキリスト教暦を使う国は要するにキリスト教圏である。キリスト教徒だからキリスト教暦すなわち「主、イエスキリスト生誕の日より何年目」という年号を用いるわけだ。年号を何気なく用いる多くの日本人の多くは、こう指摘されてはじめて年号の宗教的意味に気が付く。
世界最大の宗教はキリスト教である。しかし世界の圧倒的多数は、非キリスト教徒である。世界は何らキリスト教暦を用いていない。欧米のみを「世界」と呼称する体質の持ち主でないなら、こう結論づけるのが普通だ。
そもそも年号を含み文化とは多種多様であってかまわない。単一の文化に統合される必要などない。
要するに「民族文化を保守するべきかどうか。」という問いかけにつきる。「保守すべき」という前提に立てば、「年号を大切にするべき。」という結論になる。「保守する必要がない」という前提に立てば、例えば元号否定論も戦前における朝鮮系日本人への日本人化政策も肯定される。
郷土や民族の多様な文化を政治思想の枠組みで評価し壊滅しようとする発想。まさしくこの発想こそが、世界中の左翼全体主義体制において文化破壊政策が繰り返されてきた要因に他ならない。今現在も共産支那はチベットの文化を「遅れた野蛮な文化」と決め付け徹底した破壊を行っている。
サヨクの元号反対。これはすなわち十字軍など異文化迫害布教宗教キリスト教に始まり、文革支那や旧ソ連など文化弾圧共産主義国家が受継ぎ、仏像破壊タリバンとサヨクが今に伝えるキ印の発想から生まれたものなのだ。