左翼がサヨクにさよく時 - サヨクの心理

日本を男女差別国家ということに、したくてしょうがない欧米マスコミ

[執筆日:H12/10/29][病理:人種差別]

 欧米マスコミは「日本は男女差別国家」というイメージを広める。日本では、女はゲイシャガール扱いされているかのような思い込み。連中にこんなイメージをプロパカンダしているのは誰だ?いかにもサヨクがやりそうなコトではあるが。

 シドニーオリンピックで高橋尚子選手がマラソンで優勝した。これについて、あるシドニー地元マスコミは、オーストラリア原住民のフリーマン選手と同一視し、両者を差別からの解放のシンボルであるかのような言い回しをしていたという。

 根本的に勘違いをしている。シドニー五輪においてなぜ日本女子選手が活躍できたのか。それは日本で女子選手が男子同様に訓練する機会を与えられている結果に他ならない。学校教育においても、女子運動部の存在などなんら珍しくない。スポーツを行う環境が男女平等であるから、あれだけ大量の女子の実力者が育ち、またオリンピックに派遣できたのだ。
 虐殺されてきたオーストラリア原住民の立場とは、全然違うのだ。
 例えば中東の国では、女子選手の参加のほとんどない国も多い。とはいえ、オリンピックに参加できるから平等とも言えないのだが。

 なぜ、欧米マスコミは、男女差別国家という構図をあてはめたがるのか。
 それはアジア諸国特に日本は、前近代的であって欲しいという希望的な願望から来ると考えられる。なぜそういう願望をもつのか。
 要するに日本はアジア人国家でありながら、超先進国となったからであろう。桁外れの経済力、圧倒的な科学技術力工業力、戦前においては軍事力、しかも犯罪発生率が恐ろしく低く、失業率も不景気といわれる現在ですら5%程度だ。これは好景気と言われるアメリカの数字と同じである。先進国では10%を超えるのが普通だ。
 しかもせっかくアジアに持っていた植民地を、日本が大東亜戦争でほとんど全部解放させてしまった。

 要するに欧米、特にヨーロッパには自慢するものが残っていないのだ。
 ただ、確かに欧米の文化には魅力的なものが多い。町並みなどは美しくおいしい料理も多い。教会音楽は荘厳で優れた絵画彫刻が多い。
 しかし文化の価値とは相対的なものだ。興味のない人間には何一つ価値はない。例えばHipHopとバスケットボールの好きな若者にとっては、欧州の教会音楽などゴミクズほどの価値もあるまい。文化価値とは数値的客観的に表されるものでないため、絵画の善し悪しがわかりやすい例だが「とにかくステキだ」と言い張ることも可能だ。
 そもそも文化のみを自慢する有り様には、ある種非常に情けないモノを感じさせる。祖先の残した骨董品を自慢する没落貴族のように。

 そこで社会風土として日本はオクレテイル、我々はススンデイルという構図を持ち出す。「日本にはダンジョサベツがありゼンキダイテキだあ」というわけだ。

ドイツの教科書にある設問「日本女性の多くがゲイシャガールになりたがる背景を推論せよ。」

 いねえよ。そんなやつわ。馬鹿なことをホざいていると、ニンジャを派遣するぞ。

アメリカのテレビ番組「神社において赤ん坊の額に書かれる文字が、男子は『大』であり女子は『小』だ。日本の神には男女平等はない。」

 小さいことがなぜ劣っていることになるんだ?というか、小さい人間への差別感情の持ち主であることの自白同然だ。
 しかもこの番組では、気持ち悪い放送局側作成のイメージ映像(ゲンシャガールがかしずく姿が影となってふすまに映る映像)付きだった。おそらくは、日本で男女差別をわかりやすく表現する映像を撮れなかったため、わざわざ制作したのだろう。

シドニーの新聞「皇后は天皇より背を高く見せないように配慮するお国柄。」

 そんな配慮なんかしてねえよ。どっからそんないかがわしい情報を仕入れるんだ?日本のサヨクが撒き散らしている可能性が極めて高いのだが。
 というか、仮にそういう配慮をしたところで差別とは無関係なんだが。

 議会や政治家に女が少ないから、ダンジョサベツという指摘をする人間もいる。
 結果として政治家になる女が少ないことは、全く男女差別の根拠にならない。立候補権選挙権に男女差があるのなら話は別だが。
 なぜ女子政治家が少ないのか。それは女の立候補者には、土井タカ子氏とか、女の有権者も嫌悪するろくでもない立候補者が多すぎるためだろう。サッチャー氏の百分の一程度の能力も気概もない、ヘンチクリンが多すぎる。マスメディアがプロパカンダするダサい聞き飽きたスローガンを連呼するのみの、ただの土井タカ子のファンの立候補者。ヒマ主婦が共産党に入り、共産党から吹き込まれたスローガンをひたすら再生するだけの立候補者。こういうガラクタの山。
 とはいえ、中には高市早苗氏とか小池百合子氏のような有能な政治家もいる。逆にガラクタ政治家は男にもいる。社民党田辺氏、自民党野中氏みたいな。

 女であることをウリにするやり口は、幾分かの支持が得られ土井タカ子及びその亜種のいくつかを当選させる効果はある。フェミニズム馬鹿女及びフェミニズム馬鹿男の票は集まる。しかし、そのやり口では広い国民の支持にはならない。女も男も嫌悪するやり口だからだ。そもそも投票数は男より女のほうがはるかに多い。にもかかわらずガラクタ女のほとんどが落選している。女の有権者自身が明瞭に有能無能を男女に関係なく選び、有能な女を見抜く一方、ガラクタ女の政界進出を拒んでいる。
 サヨク立候補者が思うより、北鮮拉致協力政党党首土井たか子に投票するような一部の馬鹿を除いて我が国の男女は賢明ということだ。

 というか賢明な女は政治家になどならぬのかも知れない。男女共に馬鹿のみが政治家になるような感じがする。とすると、政治家に女が少ないということは女が賢明である証拠に他ならないのかも知れない。