テレビの相談番組に、少女期から両親に虐待を受けて育った人物が出ていた。その人物は、かなり冷静に自分の心理的なありかたを分析していた。その虐待児童の境遇は、戦後日本の境遇と驚くほど一致していた。
両親によるなんら教育的な意味のない理不尽な暴力。少女はそれにより、何か自分に問題点があるのではないかとさい悩む。また両親もそのように叱責する。「おまえが悪いからだ」。ひとい目にあいすぎた少女は、何がどう悪いのかさっぱり判らないが、とにかく自分が悪いと思い込む。そしてますます自己嫌悪に陥る。悪いのは両親の方なのだが。
原爆投下や空襲など、アメリカによる理不尽極まりない虐殺暴力。その後やってきた占領軍は「おまえが悪いからだ」と叱責し、でっちあげ裁判で更に多くの日本人を虐殺する。ひとい目にあいすぎた日本人は、何がどう悪いのかさっぱり判らないが、とにかく自分が悪いと思い込む。
そして占領軍が持ってくるニホングンによるギャクサツなどの嘘事例に対して、冷静に分析し検証できなくなる。「とにかくアタシがワルイんだあ」。また、大東亜戦争の桁外れの功績に思考停止する。大東亜戦争の功績に目を向けること自体が、あたかもワルイコトであるかのように思い込みむ。「とにかくボクがワルイんだあ」。
悪いのは日本人を虐殺し支那事変を起こしたを支那であり、世界中で侵略を続け殖民地支配し日本をも支配下に置こうとした欧米列強であり、原爆を投下したアメリカなのだが。
また少女の父親は義父だ。その義父から性的な行為をされ、それを嫌がったとたん義父は少女との意思疎通を断絶した。「相手にしてほしければ体を寄越せ。」ということだろう。愛に飢えた少女は、体を差し出したく思い、体だけでも愛される自分を夢想したという。こういう少女の心情を思うと、どうにもやりきれない。
軍隊の駐屯とは国家的な強姦である。敗戦後、軍備の持てない憲法と共に軍隊の駐屯という強姦をされた日本は、いまでは強姦状態を当然のように思い、すすんで強姦を求めるようになった。「相手にしてほしければ基地用地を寄越せ。」と言われ、進んで尻を高く上げ基地用地や駐屯費用を差し出し、強姦を求めるまでに。
戦前以前には日本に外国の軍隊など存在しなかった。それが普通なのだ。情けないことに、米軍の駐屯を疑問視する存在はこの日本では筆者と共産党ぐらいだ。
その少女は大人となり、自分が受けた虐待を自分の責任にする必要などないことを理解した。悪いのは虐待両親であり、少女自身ではないこと。そして、自分が罵倒と叱責の連続により精神が退嬰化していたことを認識することができた。冷静な判断力のある大人となったのだ。
一方日本は、戦後五十年以上経過しいまだに精神年齢十二歳のまま「とにかくボクがワルイんだあ」と連呼し思考停止する。占領軍から刷り込まれた叱責をいつまでもリフレインしている。
「とにかくボクがワルイんだあ」と連呼し思考停止するのはさぞや楽だろう。考えなくていい。主張しなくていい。主張すれば時に対立も生じる。対立が生じれば、対処がめんどうくさい。だから「とにかくボクがワルイんだあ」と開き直り土下座をし金をばら撒く日本政府。祖先の自尊心と子孫の資産を売り渡すという、国民にとって最悪にして政府にとって最も楽な道を日本政府は選び続けた。
悪いのは日本人虐殺事件を起こした支那であり、世界中で侵略を続け殖民地支配し日本をも支配下に置こうとした欧米列強であり、今現在日本を軍事植民地支配下においているアメリカであり、原爆を投下したアメリカなのだ。日本はその欧米列強と戦い、数百年続いた欧米列強による支配からアジア諸国を解放したのだ。
我々日本人も、この事実に目を向ける判断力のある大人となる必要がある。「とにかくボクがワルイんだあ」と思考停止する精神年齢十二歳の虐待児童から脱却しなけらばならない。