筆者は本文でサヨクを馬鹿扱い卑劣漢扱いしているが、本質的には必ずしも馬鹿でも卑劣漢でもない場合も多いと考える。
そう考える理由は、サヨクが西欧のエライ人や支那政府当局や公的媒体などの口移しができることなどではない。これはむしろサヨクがテープレコーダー並みの馬鹿である根拠にしかならない。
そう考える理由は、要するにサヨクの有り様は、現在の公教育や公的媒体の情報を受けて育った人間が必然的に陥る結果だからである。
逆に現在の公教育や公的媒体の情報を受けて育ちながら、筆者のようにサヨクにならないヤツが、ある意味ヘンではないかとすら考える。上記のような「平和教育」を受けて育って、サヨクにならないほうがおかしい。
北朝鮮に育ちながら朝鮮労働者党の支配する社会体制に疑問を感じるヤツとか、幼児のころからオウムのサティアンに育ちながらオウムの存在そのものを疑問視するヤツとかがいるのなら、それはそうとうにある意味ひねくれたヤツである。そんなヤツは、いかなる雰囲気にも呑まれないずばぬけて合理的で論理的な体質の持ち主か、とんでもなく破壊的でひねくれた不良か、いかなる圧力迫害にも屈しない鋼鉄のような信念の持ち主か、それらの全てに該当するかであろう。
朝から晩まで「金正日様の偉大さ」を喧伝されて幼少期から育てば、盲目的に金正日を信奉するようになるのが普通だ。同様に、朝から晩まで「ニホングンの行った戦争のヒウサンサ」を喧伝されて幼少期から育てば、盲目的にニホングンを毛嫌いするようになる。これは、馬鹿のリアクションではなく普通のリアクションなのだ。サヨクとは要するに普通の人間なのだ。
もちろん「サヨクの有り様は、現在の公教育や公的媒体の情報を受けて育った人間が陥る必然的な有り様」だからと言って、それで良いなどとはまったく考えない。
つまり筆者の主張は↓こうである。
本質的なサヨク問題とは、「公教育や公的媒体の情報を受けてサヨクに退化するヤツ(筆者のいう下級サヨク)がいること。」にあるのではない。本質的なサヨク問題とは「普通の人間をサヨクに退化させる公教育や公的媒体(筆者のいう上級サヨク)が存在すること。」にあるのだ。
更に言えば、
サヨクは(大東亜戦争について多角的に考察できないなど)馬鹿であり、(祖先吊るし上げに身を投じるなど)卑劣漢である。しかしそれは子供たちにある馬鹿で卑劣な側面を拡大し利用する公教育や公的媒体が存在するためである。馬鹿であろうが普通であろうが、子供たちがサヨクに退化しない世の中にする必要がある。
ということだ。