政治に関心を持つ者が陥りがちな思い上がりに以下のようなものがある。
俺は政治に関心がある→だから俺は意識の高い立派な人間
政治に無関心な人々→意識の低い馬鹿
「皆、政治に無関心な人ばかりです。」などと安物のテレビ解説者みたいなセリフで嘆いてみる人は多い。
我々はこういう政治至上主義的な思い上がりを持たないように戒める必要がある。
言うまでもないことだが政治に無関心な人間がいてもよい。人が何に関心を持って生きようがその人間の勝手である。
関心の対象が、政治であっても異性であっても仕事であっても賭け事であってもいっこうにかまわない。はなはだ人の勝手というものだ。
こういった政治至上主義的な思い上がりは、左右両翼を問わず政治マニアにありがちだ。中でもサヨクは、「俺は政治に関心がある→だから俺は意識の高い立派な人間」と訴えること(政治至上主義的に思い上がること)が最終目的なので、ほぼ100%この手の思い上がりをもつ。
一方、政治マニア以外にはこういった思い上がりはまず存在しない。国民全てが靴に関心を持つべきだと考える靴屋。国民全てがガンダムに関心を持つべきだと考えるガンダムマニア。国民全てがロック音楽に関心を持つべきだと考えるロック音楽ファン。こういう馬鹿はまず存在しない。
しかし、国民全てが政治に関心を持つべきだと考える政治マニアは存在する。こういった思い上がりは政治マニア独特のものだ。
筆者もまたサヨクマニアを名乗っている通り、政治にいくらかの関心がある。だからと言ってなにかエライ人などでは全くない。ただのサヨクマニアであり、ガンダムマニアとかスカトロマニアとかより別段偉くもなんともない。
もちろん投票に行く行かないも人の勝手である。投票率が低いことを問題視する公共媒体は多いが、別に問題でも何でもない。
いずれにせよ、
@ 国民全員が政治に関心を持たねばならない社会体制
@ つまり政権に反対であることはもちろん、無関心であることすら弾圧の対象となる社会体制
@ 当局などから政治について問われたら、当局が指示した通りの「政治への関心」を答えなければならない社会体制
@ 共産党推薦候補のみが立候補する選挙に投票に行くことが、五人組連帯責任により義務ずけられている社会体制
@ つまり支那とか北朝鮮(ギネスブックによると投票率99%以上)みたいな社会体制。
など、全くろくでもないシロモノだ。
政治に関心を持たない自由もまた、極めて重要な政治的自由の一つなのだ。