左翼がサヨクにさよく時 - サヨクの主張を検証

教養とは何か

[執筆日:H12/2/8][病理:虚勢癖]

 筆者はさんざんサヨクを無教養とか毒づいているが、はたして教養とは何か。サヨクが思い込みがちな「教養」と、日本人にとって伝統的な意味からの教養を以下に記す。

1: サヨクが思い込みがちな「教養」とは

 サヨクが「教養」と思い込みがちなモノを以下に列記する。

@ 西欧のナニガシカのエライヒトが記した晦渋な用語や言い回しの知識
@ 外国語の知識
@ 外国の情勢やマス情報の知識

 サヨクはこれらを「教養」と信じる場合が多い。そしてこれらの知識を大量に口移すことのできる人間(つまり、それにより自分を過大評価させる能力に長じた人間)を「教養人」と考える場合が多い。特にこういった「教養」に秀でた人間の中には、テレビや著作物で日本人や日本社会や日本政府を相手に、西欧人になりきって高飛車に説教する者もいる。「おそ松くん」に登場する、おフランス帰りを自慢する「イヤミ」のようなキャラだ。「シェー、チミたち遅れてるザンスねえ。おフランスでは..」  その「教養人」はおおむね年長者にタメ口で(ホーケンテキな考えにシバラれていないから)、初対面の相手に足を組みながら「あんた、○なんだからさあ。」「おたくねえ」などとあきれ顔で首をすくめて話す。
 これに下級サヨクは「かっこいいなあ」などと思う。

 とはいえこういった俗物はサヨクに限らず多い。知識自慢の俗物君はあらゆる場所にいる。これはグッチやアルマーニを身につけることで虚栄心を満たす女と同じだ。グッチやアルマーニの代わりに西欧系の知識を身につけて虚栄心を満たしているというだけの話だ。空虚だがおおむね害は少ない。
 しかしながらサヨクとはこういった数ある俗物のうち、占領政策と冷戦により腐ってしまった種族なので有害極まりないのだ。

2: 真の教養とは

 教養とは豊かな品性品格を生み出す素養だ。日本には豊かな品性品格を身につけることのできる様々な教養がある。以下のような。

@ 茶道:他人をもてなし見苦しくない所作を行うための心構え
@ 華道:他人に華やいだ場をもたらすための心構え
@ 和歌:他人に美しい言葉を発するための心構え
@ 武道:他人や自らを理不尽な暴力から守るための心構え
@ 神道:神(=祖先や自然。つまり他者)を尊び敬う人となるための心構え

 つまり他人とより誠実に接するための心構えが教養なのだ。その心構えを、より完全に緻密に身につけた人間を教養人という。これらの心構えを身につければ、なんら知識自慢で虚勢を張らなくとも品性品格がにじみ出て人を和ませる。

 人は誠実であればそれで人として十分だ。その点を直接鍛練する発想に立ったこれらの文化は、あまりに高度で偉大である。こういった文化は外国では見られない種類のものだ。人と誠実に接する技術が一つの文化となっているなど、外国での例を知らない。これらを軽んじてきた明治維新後以降特に戦後という時代を、実に残念に思う。誠意とか礼儀とかへったくれもない利害の権化である支那とか西欧の蛮族による侵略の危機にあっては、これらを捨てざる得なかったのは事実だが。

 ちなみに筆者は到底教養人などと言える人間ではない。筆者はそんじょそこらの下品なあんちゃんだ。ただ、下級サヨクが崇拝する「教養人」がただのニセモノであることを知っている。かつ真の教養人がもつ品性を感じ取れないほど愚鈍でもない。かつ真の教養人がもつ品性品格を妬み、自分並みのレベルに貶めようとするほど卑小ではない。という程度の人間に過ぎない。