平成一三年一二月産経新聞によると、超党派の有志議員でつくる「チベット問題を考える議員連盟」(代表・牧野聖修民主党衆院議員)に対し、「チベット問題は内政問題」とする支那政府が活動を停止するようロビー活動を展開していたらしい。議連メンバーの多くが五日に予定している会合に欠席する結果となった。
そのロビー活動とは、
東京・永田町の議員会館にいる議連メンバーを個別訪問し「活動をやめないと所属政党の幹部が訪支した際、支那政府要人には会えなくなる」「なぜ支那を敵視するのか」などの言い回しで、活動の中止や議連からの脱退を要請。
大使館員が議連メンバーの地元選挙区に出向いて、支那進出企業のオーナーを務める後援会幹部に対し、議員が脱退しなければ支那での企業活動に支障が出るかのように脅す。
というもの。ようするにこれが支那だということだ。特に支那に進出する企業は2:を肝に銘じるべきだ。支那とはこういう社会体制だということを。
本来政治家とは、こういう支那国民はおろか外国国会議員にすら言論弾圧を行うような異常なロビー活動こそを批判するべき立場にある。
「批判封じの恫喝があった→恫喝に屈し批判をやめてしまう」
ではなく
「批判封じの恫喝があった→その恫喝による批判封じそのものをも問題視しさらに徹底して批判する」
こそが真に言論の自由を尊ぶ政治家の有り方なのだ。
筆者が本ペ−ジで問題視しているのは、まさにこのことなのである。戦後日本が外国独裁政権の言論統制下にあるということ、外国の干渉により国民の政治権力が制限されているということ、つまりまともな民主国家でないということを問題視しているのだ。代議士(国民に代わって議場などで議論する人間)という本来最も言論の自由が保障されるべき存在にすら、外国からの恫喝が行われ口封じが行われるという状況。そしてその口封じがある程度成功するという状況。永田町にある政治組織の多くが、国民の利益代表ではなく外国の利益代表であるという実態を露呈したものだ。
と同時にこういう言論弾圧に何ら屈することもなく政治活動を行う民主党牧野衆院議員など「チベット問題を考える議員連盟」を主催し参加を貫いた議員や、こういう問題を掲載をする産経新聞のような存在は実に勇気ある政治家でありメディアだと思う。支那の言論弾圧恫喝にガーガー唱和する北京ダックは各党内に大量にいる。そういう北京ダックからの攻撃に耐え、言論の自由を貫き支那の劣悪な人権問題に目を向け祖国の独立を守る信念のある議員。「外国反動メディア」と称して外国マスコミ締め出しを得意技とする支那の恫喝に屈しないメディア。言論の自由とか、人権とか、国の独立などを重視する立場から考えれば本当に貴重な存在だ。
こういう人々がいなければ、わが国は今ごろ完全に支那の属国となり、今現在の支那人と同様の言論弾圧人権迫害を丸ごと受けるハメとなっていたかも知れない。「ナンキンダイギャクサツ」やら支那政府の政策やらを疑問視しただけで戦車で踏み潰され人間煎餅となるハメに。今現在既に「支那と呼ぶな」言論弾圧、「自国兵士を弔うな」宗教弾圧は受けてはいるが、それ以上の。
この一件で、あらためて筆者は国民会見の必要性を実感した。見てのとおり多くの議員や多くのメディアは、外国の恫喝に腰砕けになるのみであり役に立たない。国民そのものが直接動き直接質疑できる仕組みが必要だ。外国独裁政権にせよ議員やメディア関係者を恫喝し意のままに動かすことはできても、日本国民全員を恫喝し意のままに動かすことなどできない。
いかなる恫喝も泣き落としも裏取引も収賄も通用せず全てがうやむやとならない、完全な民主制を確立する必要がある。