どうしても外国に金を与えたいのであるのなら、相手国の国債を買う形にするべきだ。なぜ国債を買う形にするべきなのか。それは債務関係をあらわすものとして比較的信用度が高く、うやむやにされる可能性が低いからである。
国債とは会社で言う約束手形のようなものだ。手形の支払期日が来ても支払わなかったり、ましてやうやむやになどしたらどうなるか。言うまでもなく会社は潰れる。
国債とは、その国の国民をも含むあらゆる存在に発行しているものだ。その国債の償還をうやむやにしようとしたらどうなるか。その国の国債そのものの国際的な価値を大きく下げる。もしくは皆無とする。そんなことを行ったら最後、その国の国債を誰も買わなくなるだろう。そしてそれは、その国そのものの価値や信用を大きく下げる結果となる。
相手が自由主義経済を前提としている社会体制の国であるなら、相手国の国債を持つことで相手国に極めて優位な立場に立つことができる。
ただし、これは経済的な信用を重んじる自由主義経済を前提としている社会体制の国であった場合である。会社と国とでは異なる。会社は経済的な関係のみによって社会と結びついている。よって、経済的な信用喪失は会社の破綻という結果になる。国は経済のみならず、軍事的な関係によっても国際社会と結びついている。
国債を紙切れにすることにより自国の経済的な信用を落とし、その結果国民を飢餓に陥れたとしても全く動じない開き直り国家の場合は、国債の購買はそれほど相手国への優位性を保証しない。つまり支那や北朝鮮みたいな国だ。国債を国民や外国に乱発し、償還をバックレたあげく、文句がきたらナイフ(国民に対しては官憲、外国に対しては核兵器など軍備)を振りかざして「うっせーんだよ」で終わり。支那はこういうことをやりかねない国だ。
支那にはいかなる金も与えるべきでない。