国体創造 - 平成新憲法私案

自分のいいところが見えない日本人

 よく、自分の長所短所は自分では見えないと言われる。これほど日本人に当てはまる指摘はない。

 権威権力二分化は三権分立などより更に重要な事柄だ。そういう政治制度の根幹に関わる部分で、いとも簡単に日本人は鎌倉時代に完全な政治制度を作り上げてしまった。それがいかにものすごい事かを、多くの日本人は理解していない。

 支那やロシアでは、皇帝(権威者兼権力者)の圧政に人々は苦しみ続けた。その圧政が終わりレーニンやスターリン、毛沢東の時代が始まっても何一つ圧政は改善されなかった。毛沢東やスターリン(権威者兼権力者)が全く批判(権威の瓦解)を許さず誤謬に満ちた政策を行い、数千万人の餓死者を出した。おまけに人々の吊し上げを恐れた毛沢東やスターリンは、文化大革命など更に数千万人を殺すとんでもない虐殺恐怖政治で応じた。
 ポーランドやルーマニア、東ドイツなど東欧諸国においても同様である。戦前ではヒトラー(権威者兼権力者)が、ユダヤ人を殺しまくった。
 南米やアフリカにおいても幾度と無くこういう社会体制が生まれ滅びていった。そしてそれは今現在も続いている。

 明治維新の成功も結局はこの権威権力二分化体制に起因する。十八世紀以降、悪辣な欧米列強の侵略に世界中の国々は、傍観と内紛に明け暮れ、目先の利益の為に列強の手先となる者も現れ、結局次々と植民地となり続けた。日本においても内紛に発展しかけたが、維新軍が天皇をいただき皇軍となったため幕府は江戸城を明け渡し内戦による国力疲弊は抑止された。そして世界中の国々が欧米列強の支配下におかれなから、日本のみ近代化に成功し植民地化は回避された。

# 欧米列強の植民地化を回避できたこと。
# 独裁虐殺恐怖政治を抑止してきたこと。

 これがいかに素晴らしい事か、多くの日本人は今一つ理解していない。これに苦しみ続け、あるいは今も苦しみ続けている世界中の人々からすればヨダレが出るような事柄だ。

 権威権力二分化体制の桁外れの利点は、現在ではほとんど隠蔽されている。
 その理由は明白だ。この政治体制の大切さが人々に知れ渡ると困る連中がおり隠蔽をしてきたからだ。それは主に社会主義者及びそれに操られた連中である。権威権力二分化体制の桁外れの功績に光が当ると、社会主義体制への批判につながり、更に皇室の大切さを再認識する結果となる。全力で隠蔽するべき内容となるわけだ。
 そもそも本来、社会主義とは独裁主義のことだ。「労働者の政権」なるものによる独裁により、気に入らないあらゆる政治勢力を暴力革命で駆逐する発想である。あらゆる社会主義体制は、恐るべき暴力と恐怖で国民を統制するが、その思想的背景はその点にある。思想的基盤自体が暴力による政治弾圧や統制を肯定するものなのだ。それゆえ、戦前の共産党や現在の中核派なども殺人テロや放火を繰り返した。中核派などは今現在も続けている。
 独裁主義者が、独裁を抑止する政治制度を阻もうとするのはしごく当然の事だ。共産党など独裁政党が伝統的にテンノーセーハンタイなのは、結局その点にある。
 権威権力の全てを手中に収めようとする政治勢力なら、他の権威者の存在を否定するのは当たり前の話だ。

 我々日本人は、こういう桁はずれにすごい事を成し遂げていながら、自分では今一つ分かっていない。その一方、ヘーワケンポーとか諸外国から見れば愚にもつかないようなシロモノを鼻高々と自慢する連中がいたりする。
 よく、自分の長所短所は自分では見えないと言われるが、日本人ほどこれに当てはまる指摘はない。

 山本七平氏は、こういう日本人の有り様を「優秀だが世間知らずのお坊ちゃん」と評している。このお坊ちゃんは、他人から見れば羨望の的となるような、とんでもなく高度な仕事を苦もなく行う。しかし世間知らずのお坊ちゃんは、自分ではたいしたコトとは何ら思わない。その一方、悪趣味な掛け軸(憲法)などの下らない道楽を鼻高々と自慢する。