国体創造 - 様々な提言

自由とは選択できることであり選択の結果に責任を負うこと

[執筆日:H16/5/3]

 本ページでの「兵役か高額納税かを選べるようにせよ。」との提起に対して、「軍隊と高額納税のなかでジレンマに葛藤する人が増加し、政治不信となる」という批判があった。自由の意味を理解していないのだろう。
 今現在日本国民は「兵役か高額納税かを選べない」状態にある。国民に国防の自由は無く、国民に選択の余地は無い。アメリカ製憲法により国防のできないアメリカの軍事植民地としての分岐のない一本道のみが続いている。

 これと同じ状態がある。奴隷だ。
 かつてアメリカの黒人奴隷はいつに何を食べ何をし何を信じ何を着て暮らすべきかを、全て主人が考えてくれ、寝床も食べ物も女も全部用意してくれた。いささかもジレンマに悩むことは無い。いつ死ぬべきかという命題にすら思い悩む必要は無い。持ち主が無用と判断すれば処分するだけのことだ。BSEに感染したニワトリのように。(奴隷とは人間家畜のことである。)
 しかし奴隷解放により、黒人は自ら思考し働き自分の処遇をあれこれ悩むジレンマに襲われる結果となった。白人は突如何もしてくれなくなった。自分で自分の向いている仕事を考え自分で探し、自分の住む場所や食べるものや自分の着る衣服や宗教を自分で探し選ぶ必要が生じた。これが自由である。自らの処遇を自らで判断しその結果を自らが受ける責務を果たすことのできる状態を自由という。

 奴隷制の是非を論じるにあたって「黒人を自由にすれば様々な自由がもたらすジレンマに葛藤する黒人が増加し、政治不信となる」とし、奴隷制継続を主張する者がいるとするなら、それはとんでもない人種差別主義者だろう。こういう言い草は、「黒人は自らの処遇を自らで判断する能力の無い劣等人種」という前提に立ってこそ、吐くことができる。
 同様に「軍隊と高額納税のなかでジレンマに葛藤する人が増加し、政治不信となる」という言い草は、「日本人は自らの処遇を自らで判断する能力の無い劣等人種」という、実質的に我は人種差別主義者なりという自白をしてこそ、吐くことができるのだ。
 ただ言うまでもなく現憲法をふくむ戦後体制、戦後教育の目的は「日本人を軍務や高額納税などを選ぶジレンマに耐えられない腑抜けにすること」にある。ようするにそれは奴隷化である。
 国家への責務と自由の関連性を理解できない腑抜け。餓鬼のように自分自身の「平和」だけに執着し、自分の「平和」のためには拉致被害者も北方領土から疎開させれている人々も沖縄で強姦される女学生にも徹底して冷酷にないがしろにできる腑抜け。アメリカ占領軍が投げ与える餌(平和)チョコレートをひたすらがつがつ貪る豚。アメリカ占領軍が与える「平和」という餌にために、あらゆる自由と尊厳を投げ捨てることのできる豚。その典型例が「ジレンマ耐えられない」論者だろう。こういう豚は自由がもたらすジレンマに勝手に苦しめばよい。

 我々日本国民は、アメリカの軍事植民地支配(国家的奴隷状態)から脱却を目指すのであるなら、自らを自らで守るために国民はもっともっと葛藤する以外にない。(アメリカによる支配からの)自由を求めるのなら、自由がもたらす恐るべきジレンマに悩まねばならない。
 国民が軍務か納税かを選ぶ悩みの果てにこそ、国の独立があり真の自由郷があるのだ。