国体創造 - 平成新憲法私案

君主の存在しない国はいかにして国体を保持しているか

 日本は皇室を権威者とすることで国体を保持している。では君主の存在しない各国はいかにして国を国たらしめているのか。それを以下に例示する。

米国:戦争

 米国が国を国として保持し続けるために行っているのは戦争である。米国を米国たらしめている根本神話は「世界の民主主義を守る強いヒーロー」という妄想である。この妄想を国民の共通認識とすることで国を保持している。
 ということは、戦争ができなくなれば米国は瓦解するということだ。戦争の繰り返しは米国の政治体制の必然なのだ。瓦解を防ぐためにも米国は今後も戦争を繰り返すだろう。
 日本を支配下におきソ連を叩き壊し、そしてイラク北鮮を「討伐」した後、敵として残るのは何か。それは支那である。米国は間違いなく残る唯一の敵である支那との戦争を行うだろう。それが米国の宿命だからだ。そして支那を「解放」した後、世界支配を完了した米国は戦争のできなくなった現実に茫然自失することだろう。

支那韓国北鮮:反日人種差別

 支那韓国北鮮が国を国として保持し続けるために行っているのは反日人種差別政策である。共産支那当局の支配を正当化している根本神話は「日本の『侵略』から守ったヒーロー」という妄想である。この妄想を国民の共通認識とすることで国を保持している。
 ということは、反日人種差別政策ができなくなれば共産支那は瓦解するということだ。反日人種差別政策の繰り返しは共産支那の政治体制の必然なのだ。日本がどれだけたくさんのODAを差し出そうが、瓦解を防ぐためにも共産支那は反日人種差別政策を繰り返してきたし、今後も繰り返すだろう。共産支那が存在する限り。よって日本にとっては、そもそも共産支那など潰す以外にないのだ。

フランス:革命神話の伝承

 フランスが国を国として保持し続けるために行っているのは革命神話の伝承である。フランス政府を政府たらしめている根本神話は「悪い王族をやっつけたヒーロー」という妄想である。この妄想を国民の共通認識とすることで国を保持している。
 よって革命後の支配者である侵略者ナポレオンは英雄として語りつがれる。

イスラム諸国:宗教

 イスラム諸国が国を国として保持し続けるために用いているのは宗教である。これはその宗教が国民にとって伝統的になじみ深いものである場合、政治体制として必ずしも間違ったものではない。
 しかし宗教の教えはおうおうに具体的であり、そのため時に国の進歩を妨げる。かつてイランでは国王が地主支配の打破など先進的な政策を行おうとしたが、原理的なイスラム集団(守旧派と言うべきか)の反対にあい退位に追い込まれた。その集団の指導者がホメイニである。国王よりも宗教のほうが上位であり、宗教の教えに反するものは国王ですら退位させられるというわけだ。国王ですら改革ができないわけだから、もはや誰にも改革などできまい。明治天皇が旗印となって明治維新をすすめた日本と対照的である。
 とはいえ今の日本にも憲法原理主義みたいな連中が天皇をないがしろにし改革を妨げまくっているわけだから、我々も安直にイランを笑える立場に無い。

 国であれ人であれ存在し続けるには、能動的な目的が必要なのだ。人の場合はそれを「生きがい」と言う。単に存在してさえいれば満足というものではない。米国は「『自由と民主主義の敵』をやっつける」戦争に存在意義(生きがい)を見出し、支那は「『侵略者日本』をやっつけた」戦争を美談として語りづぎ日本への憎しみを煽り続けることに存在意義(生きがい)を見出している。「憎むことが生きがい」という有り様は、ほとんど小説の宮本武蔵に出てくるお杉婆だ。

米国、支那、フランスなど非君主国:「侵略者」、「旧体制」、「民主主義の敵」をやっつける戦争や革命を行い、それを美化することで国を維持する。
日本、北欧、イギリスなど君主国:君主のもとで国を維持する。

 読者諸氏はどちらを望ましいと考えるだろうか。
 テンノーセーハンタイのサヨクは、非君主国が「戦争や暴力革命の美化」により国体を維持している現実を認識するべきだろう。と一応書いたが、そもそもサヨクとは支那における「戦争や暴力革命の美化」については看過もしくは賛同する輩=支那が行う戦争には積極的に賛同する輩なわけで、指摘自体が無意味なわけだが。