筆者は別に同性愛者に悪意などない。他人の趣味をとやかく言わない。ただ、同性愛結婚を法的に認めるべきでないと考える。
結婚にあたってなぜ様々な制度的な優遇があるのか。それは、結婚をするということは、子供を産み育てるということであり、つまりは新たな国家構成員、納税者を作り出し国や社会に貢献する行為だからだ。母子家庭への優遇処置も同様である。しかるに同性愛では子供はできない。よってなんら国家は制度的に優遇する必要は無い。
「同性愛結婚を認めろ」という同性愛者の主張は、「私は(国家構成員を生み育てるという)国家への貢献をしない。しかし国家からの優遇は受けたい。」と宣言しているの同じことだ。筆者が嫌うのは、まさにこういう発想なのだ。自分自身が(国家構成員を生み育てるなどの)国家への貢献をしている多くの国民から、膨大な利益を受けていることを理解していないのだろう。というか自分の個体そのものがそういう貢献から生まれているのだが。
そしてこう主張した者は老後になって、他者が(国家構成員を生み育てるなどの)国家への貢献をした結果である若者が支払う社会保険料から福利厚生をぬけぬけと受けるのだろう。
要するに筆者の主張とは「国家に貢献しないのなら国家に頼るな。」である。
だいたい同性愛者の結婚を認めるなら他の性的倒錯者の結婚も認めるべきだろう。犬との結婚、馬との結婚、死体との結婚、足や生殖器など人体の特定部位との結婚、電信柱や鉄柱など無機物との結婚、漫画キャラクターなど空想上の人物との結婚、自分自身との結婚、はては時間や空間との結婚などだ。同性愛者と他の性的倒錯者を差別するべきでない。
異性結婚者と、同性愛者をも含む上記の違いは、「子供を産み育てるという形で国家への貢献があるかどうか。」である。国家制度の良し悪しを論じる重要な観点は、「国家への貢献とそれへの報奨という点でバランスが取れているかどうか。」なのだ。
そもそも法はなんら同性の同居を禁止しない。したいもの同士勝手に同居すればいいだけの話だ。
都合のいいときだけお上に頼るべきでない。